3-1.しばしばお世話になるよ
シュルツァーたちをランドルフが追い返してから十日が経った。
あの日以来ギルドへ赴いてはいないのだけれど、数日前に素材を換金に向かったシオ、それと来店してくれるアレニアやマイヤーさんたちの話によると、特に何か目立った事は起きてはいないらしい。
ランドルフはちゃんとギルドで仕事に追われているし、シュルツァーたちが私を探しているという話もない。それどころか、シュルツァーの姿そのものもギルドでは見なくなったとのこと。
もっとも、シュルツァー自身は来ていないけれど、彼らのグループと思しき連中は何度か顔を見せているみたい。ただ、その彼らも今では窓口を占領するようなことはせずに、キチンと彼ら用の優先窓口で粛々と換金作業を待っていたと、さっきビールを飲みながらジルさんが教えてくれた。
「ランドルフ支部長の喝が効いたんですかね?」
シオが客がいない店の床にモップをかけながらそう口にした。
それはあるかもしれない。ただでさえ大柄で強面のランドルフがあれだけの威圧感と迫力をかもしながら忠告したのだ。捨て台詞こそ吐いていたものの、あれだけ傍若無人な言動を繰り返していたのだからギルドに顔を出しづらい、というのは容易に想像できる。
「ま、なんにせよギルドに平和が戻ったというのは良いことだね」
「せやな。それに、ランドルフはんに何のお咎めもなさそうっちゅうのも、個別に仕事もらっとるウチらにしてみれば朗報や。最初話を聞いた時はちょいドキドキしたけど」
ロナの言うとおり、ギルドに秩序が戻ったのは良いことだと思う。他所への移住をほのめかしていたマイヤーさんたちもその話を撤回するようなことを言っていたし、ギルドで働く職員としても、探索者としても、そして常連を失わずに済んだ店のオーナーとしてもすべて丸く収まったと言って良いだろう。
「後はもうちょい店に客が来てくれれば言う事無し……て言うた矢先にお客さんかいな?」
入口へ振り向いた私を見て、クレアが尋ねた。それに首肯しながら店に近づいてくる気配を探る。
足音からして複数。四、五人、あるいはもっとだろうか。ただ、少なくともモンスターの類ではなさそう。
程なく入口のベルが鳴った。慎重に開けられた扉の奥にいたのは予想どおり人間で、数は五、いや――六人。四人が一人を取り囲むようにしていると思ったけれど、中心にいたやや中性的と表すのがしっくり来る男性の、そのさらに後ろにもう一人、メガネを掛けた小柄な男性がいた。
カフェ・ノーラは世界唯一の迷宮内喫茶店。なので当然ながらこれまで来店してくれたお客様はみんな探索者だ。けれども、その小柄な男性だけはまったく身なりが違った。
剣も防具も装備しておらず、白いワイシャツに黒いスラックス。くわえて足元は革靴だ。ワイシャツの上から長い白衣――と言っても少しくすんでいるけれど――を羽織っていて、首元には臙脂色のネクタイがあるけれど、今はかなり緩められて役目は形骸化している。どう見ても迷宮には似つかわしくない格好だと判断せざるを得ない。
「いらっしゃいませ」
扉が開いた瞬間は、先頭の二人は剣や大型の拳銃を構えて明らかに警戒をしていた。けれども外に比べてまばゆい天井の照明に目を細め、挨拶する私の姿を目に留めると警戒よりも戸惑いが強くなったのが分かる。
無理もない。誰も迷宮内に店があるとは思わないし、事前に話を聞いていても与太話、ホラ話の類と考えるのが普通だ。彼らの態度はひどく一般的なものであり、気にする必要はないと判断。改めて声を掛ける。
「ようこそ、カフェ・ノーラへ」
「……おい、嬢ちゃん。ここは本当に店なのか?」
「はい、間違いなく。上質なコーヒーからお酒まで取り揃えてます。ご希望があればお料理もお出しできます」
「ほら、だから言っただろう?」
中心にいた小柄な男性が、猫背のままクツクツと笑った。どうやら彼はこの店の事を知っていたと推察する。
(医者……否定、研究者と考えるのが妥当)
彼の身なりを見て、先日ランドルフたちに聞いた話を思い出す。ひょっとすると彼が、この迷宮の深部に構えたという研究所の職員だろうか。だとすると、探索者でもない彼がどうやってこの店の事を知ったのか気になるところではある。
とはいえ、まずはお客様を案内するのが先決。
「六名様でしょうか? お好きな席へどうぞ」
「なら、僕とヒュイはカウンターに座ろう。君らも適当にくつろいでおきなよ」
「……よろしいので?」
「大丈夫さ。別にこの店はまやかしでも幻でもないし、彼女ら店員も人に化けたモンスターってわけでもない。そこまで警戒する必要はないさ」
護衛役と思われる男性は未だ警戒を解かない様子だけれど、対象的に小柄な男性は私たちを警戒する素振りもなく、常連客みたいな口ぶりでヒュイと呼んだ男性と一緒にカウンターに座った。
彼ら二人をカウンターに案内してから振り返る。と、そこでようやく気づいた。
「げ、テメェ……」
一番後ろにいたから最初は気づかなかったけれど、この御一行様の中に混じっていたのはシュルツァーだった。彼も私に気づいて顔を引きつらせていたけれど、思わず上げた彼の声に小柄な男性も振り返った。
「どうしたんだい?」
「い、いえ……何でも無いです」
ギルドではあれだけ傍若無人だったシュルツァーだけれど、ここではそれ以上何か言うでもなく他の探索者と同じテーブルに座った。こういうのを借りてきた猫と言うのだろうか。男性にも敬語を使って、ずいぶんと大人しい。
「アレがこないだノエルが言うてた、勘違いした阿呆かいな?」
お客様たちに背を向けて、小声でクレアが尋ねてきたので首を縦に振った。
「なら……このメガネ掛けた猫背のおっちゃんが、ランドルフはんの言うてた研究者で間違いなさそうやな」
同意。シュルツァーもわきまえた態度を取っているし、きっとこの男性、あるいは男性が所属する組織がシュルツァーを含めた探索者の雇用主なのだと推測する。
「おすすめのコーヒーを一つ。それと……料理もできると言ってたね? ならハムと卵のサンドイッチを。ヒュイはどうする?」
「私はコーヒーだけで結構です」
「かしこまりました」
二人の注文を伝票に書きながらシュルツァーたちにも尋ねる。彼らはまだ警戒したままではあるものの、とりあえず飲食をするくらいは気を許したようで、各々冷たい飲み物と同じくサンドイッチを注文してくれた。
さて、これだけの客が一度に来るのは初めてだ。手際よく作業を進めなければ、お客様を待たせてしまう。もし、私たちの予想したとおり地下研究所の人ならこれから常連になる可能性がある。「人間なんて最初の印象が悪けりゃまずロクな関係にゃならねぇ」とエドヴァルドお兄さんも言っていたし、少なくとも悪印象は避けなければならない。シュルツァーに関しては手遅れだけれども。
「はい、ノエル」
クレアとシオにサンドイッチとドリンクの準備をお願いすると、ロナはすでにコーヒーを淹れ終えていた。ドリップには時間が掛かるはずだけど、どうやら店へ入った瞬間から準備を進めていたらしい。さすがはロナ。従業員でも何でもないのだけれど。
ともかくも冷めない内にカウンターの男性の前に並べる。男性はメモ用の小さなノートに向かって何かを考えていて、そのノートから目を離さずにカップだけを口元へ運んだけれど、一口コーヒーを含んだところでその手が止まった。
「へぇ……」
声の響きから推測するに、見せたのは明らかな感嘆。どうやらロナの一杯は気に入って頂けた様子だ。
シオから受け取ったドリンクをテーブル席に並べ、キッチンへ。クレアからサンドイッチと小皿のデザートを受け取り、再び男性の前にそれらを並べていく。
男性はすでにノートを畳んで胸ポケットに片付け、コーヒーをゆっくりと味わっていた。とてもリラックスした様子で、探索者はだいたいが飲食中も騒がしいものだけれど、気を遣っているのかテーブル席の彼らも静かに各々の飲み物を飲むだけだ。
男性がサンドイッチに手を伸ばして口に運ぶ。すると再び彼は目を見張って次々にサンドイッチを頬張り、あっという間に皿が空になった。
「美味しかったよ」彼は満足そうにため息をついてくれた。「失礼だけれど、まさか迷宮内でこれだけのものを飲み食いできるとは思ってなかったよ」
「気に入ってもろたようでおおきにや」
「こっちのデザートは?」
「お兄さんら初めてやろ? これからご贔屓にしてもらおうと思うて、下心満載のサービスや。甘いの苦手や無かったら遠慮なく食べてや」
「そういうことなら遠慮なく頂こう」
色とりどりの果物にホイップクリームがデコレートされたデザート。こういうのを見た目にも楽しいと評するのだろう。スイーツ作りが得意なクレアの一品だから味は間違いなくて、それを示すように食べた男性の頬がほころんだ。
ロナから受け取ったお代わりのコーヒーで口に残った甘さを流していく。先程と同じように彼はもう一度大きくため息をついて満足そうだ。
「このデザートといい、コーヒーといい、実に素晴らしい。迷宮内に籠もってると気が滅入る時もあってね。どう気晴らししたものか悩んでたのだけれど、こんな店があるならこれからも贔屓にさせてもらおうかな」
「おおきに。見たところ、他の人らはともかくもお兄さんは探索者に見えへんし、普段何をしとるんや?」
「地下で魔素の研究をね。ああ、申し遅れたけど僕はアルブレヒト・ゴルトベルガー。ギルドから特別に許可をもらってね、先月から本格的に研究を始めたんだ。当面は地下の研究所にいるからこの店にもしばしばお世話になるよ。宜しく」
そう名乗って彼はクレアと握手を交わした。
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