5-5.私は、許せない
「■■■……」
低く唸る声が聞こえてくるけれど、迫力も勢いもない。どうやら私という存在に飲まれたらしかった。
鏡が無いので確認できないけれど、おそらく今、私の髪は真っ黒に染まっているはず。バーニアへの推進剤供給は遮断。にもかかわらず空中に浮いている。代わりに、背中に黒い翼のようなものが伸びていて、黒い光の残滓がチラチラと舞い落ちている。
「私は、許さない」
普段は使うことのない冥精霊の力。魂と融合したそれは、いつもならせいぜい敵を捕食する程度にしか使わないけれど、今だけは違う。
ほぼ完全に制約を解いた。すなわち、今の私は精霊と同等の存在となっている。この世界に存在しているだけでおびただしい量の魔素を消費してしまうけれど、私の中で渦巻く感情を考えればそんな事はささいな事。
「私は、許せない」
敵を、そして自分自身を。シオをあれだけ痛めつけた敵を許すことはできないし、何よりシオを死の淵にまで追いやってしまった私自身に怒りを覚えている。クレアたちは慰めてくれたし、私の判断の是非は置いておいて、シオをそこまで思いつめさせてしまった私の無能さが腹立たしい。
もっとシオに、普段から気持ちを伝えていれば。頼りにしていると伝えていれば。
シオの存在が、私を生かしているのだと伝えていれば。そうすればシオも無茶はしなかったと思われ、私もこんなにも後悔と怒りの感情を抱かなかった。
「貴方には死んでもらう。大丈夫――苦痛は長くない」
八つ当たりとも言える感情を敵へと宣告する。ロックワームは逃げ出そうと顔を地面に押し付けて潜り始めるけれど――逃さない。
念じると同時に頭上にぎっしりと魔法陣が浮かび上がる。そこから大量の黒く硬質な矢が鋭い先端を覗かせた。
手を振り下ろす。するとそれらが一斉にロックワームへ向かっていった。
「■■■■ッッッッッッッッッ――!!」
矢というよりも槍と表現するのが適当だろうか。長く鋭利なそれが敵の全身を貫いて地面に縫い留めていく。肉の弾力も、表面の潤滑も何もかもを無視して貫き、瞬く間にロックワームの肉体が砂色から真っ黒に染まった。当然、ロックワームは逃げられないし身動き一つできない。
「――いただきます」
つぶやく。その瞬間、ロックワームに突き刺していた黒い矢がドロリと溶けた。
それが砂色の表面を流れ落ちていって、全身を瞬く間に覆い隠す。敵が頭をもたげるけれど、重力に逆らって下から上へも流れていき、頭から尻尾の先までを包み込んだ。
なんとか逃れようとしているらしくロックワームが暴れるけれど動けない。あの耳障りな声さえ私に届くことは無くて、代わりに――咀嚼するような音が私の内に届いてくる。
かさが瞬く間に減っていく。風船がしぼむみたいに黒い影の下にある体積が小さくなっていって。
そしてロックワームの姿は消えた。
ふぅ、と口から小さなため息が漏れた。それを合図にして黒いドロリとした粘液が地面に染み込んで見えなくなっていく。
さっきまであった直径一メートルを超える胴体の厚みは微塵もなくて、口蓋部の骨さえも残ってない。代わりに私の中で魔素が蓄積される感覚があって、それと討伐証明にと敢えて残した牙と一握りの肉だけが、確かにロックワームがそこにいたことを示していた。
「……足りない」
思わずつぶやいた。
あれだけ大きなロックワームで、さすがはAランクになろうかという個体。含有していた魔素量も十分に大量ではあったものの、それでも消費した量に比べると遥かに足りない。
空腹時にも似た空虚感が残る。でもそれでも多少はマシ。少なくとも動けないというほどではない。
とはいえ、精霊の力はやはり燃費が悪い。怒りに任せて少し力を振るってみたけれど、当分は使わない方が良さそうだ。反省。
(だけど――)
思えば、ここまで怒りを覚えたのはいつ以来だろう。ひょっとすると、怒りという感情を覚えたことすら初めてかもしれない。
不安や心配、怒り。この数日でいろいろな感情が私の中にあふれた。そのどれもが強くて激しくて、改めて振り返ってみるとなんとも不思議な感覚を覚える。
私は、人間になりたい。そう思っていたし、その気持ちはある。いろんな感情を覚えたということは、人間に近づけているのだろうか。そう考えると喜ばしいし、嬉しいと思える。
反面、少し怖いとも思う。戦時中に大人たちが望んだように感情のない、ただ敵を破壊するだけの兵器であればあんな感情を、恐ろしさを覚えなくても良かったのに。また誰かを失う恐怖を感じなくても良かったのに。
頭を振る。何が正しいのか、どのような私でいることが適切なのか分からない。判断できない。
それでも。
「……良かった」
下へと続く孔を見る。その感情が無ければ急いで助けに向かうこともなくて、シオも間に合わなかったと思う。だから今日は、今日だけはあの感情を覚えた事は無意味では無かったし否定するべきでもない。
抱きかかえた時の彼の温もりと間に合った事に対する充足感を思い出す。時間が経ったためか胸にあふれるその感覚はさっきよりは弱くて、けれども確かに私の中に残っている。
その事を嬉しく想いながら、私はシオたちを迎えに孔の中へと飛び込んだのだった。
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