5-3.絶対にあそこに帰る
フランコの声が途絶えたのと同時に、シオの視界も凄まじい勢いで転回した。暗転し、上下の区別がつかなくなったかと思ったら、衝撃が襲って視界が横で固定される。気づけば、シオは石の中に埋もれていた。
遅れてやってくる激しい痛み。これまでとは比較にならない程で、全身がバラバラになっていると言われても信じてしまいそうだった。
いったい何が起きた。決まっている。背後から敵の攻撃を受けたのだ。直感でシオはそう理解した。
それを示すように、のたうち回っていたロックワームがシオたちの方を向いた。顔にまとわりついていた黒いモヤはすでに消え去っている。無理やり体を起こしてフランコを探せば、シオと同じく瓦礫に埋もれるようにして倒れていた。
「フランコ、さん……」
ぐったりとしてフランコは動かない。生死さえも不明。だが少なくとも意識は失っていて、だからこそスキルの効果も切れてロックワームも自由になったのだろう。
そのロックワームは、鎌首をシオへと向けていた。口を一度大きく開けて低く唸る。先に食べる獲物としてシオを選んだらしかった。
(死……ぬ……? ここで……?)
ロックワームの気配が迫ってくる。霞む視界の中で太い影が近づいてくる。体は動かない。もう、終わりだ。
(本当に……僕は、死ぬ……?)
助かる要素は無い。フランコは動けず、自分の体も自由が利かない。このままロックワームに無惨に噛み砕かれ、跡形も無く、ここに自分がいた証拠もなく、生きた証も残せず死ぬのだ。
ノエルにも会えず。
「いや、だ……」
脳裏をノエルの姿が過る。もう二度と彼女の姿を見ることができない。その恐怖がシオの頭を占めた途端、心臓が激しく鼓動した。
「嫌だ……! 死ぬのは……嫌だ……!!」
体の奥底からとてつもない熱量が湧き上がってくるのをシオは感じた。首元に淡く青白い光が灯り、動けなかったはずの彼の体を突き動かした。
シオは立ち上がった。絶対に生き残る。生きて帰る。何としても生きて帰る。何を犠牲にしても生きて帰る。痛みなど関係ない。眼の前の敵を殺して、僕は――
「絶対に……あそこに帰るっ……!!」
歯を食いしばり、シオは咆哮を上げた。そして、地面を蹴った。
ロックワームの頭がシオに食らいつこうとする。凄まじい勢いで無数の歯が蠢く頭が叩きつけられる。しかしシオの姿が残像を残して加速し、すれ違いざまにその口を大きく斬り裂いていた。
「■■■、■■■っ――!?」
「……ふっ!」
口を横に大きく斬り裂かれ、耳障りな悲鳴をロックワームは上げた。それに耳を貸すこともなく、シオはさらにその巨体に向かって剣を振り下ろしていく。
何度も何度も何度も何度も。剣を振り抜いては位置を変え、ロックワームの攻撃を容易くかわし、至る所を斬り裂いていく。
やがてシオの全身はロックワームの返り血で染まりきった。彼の白っぽい髪の先端から血が滴り落ち、それでも剣を振り下ろすことを止めない。
全身から走る痛みに耐えきれなくなったのだろうか。ロックワームはのたうち回り、しかしそれでもその口をシオへと向けた。何が何でも喰らうという意思の表れか、壁を、地面を、あらゆる物を飲み込みながら猛烈な勢いでシオに突進していく。シオは怜悧な視線でその動きを見極めて回避し、しかしながらロックワームも逃さないとばかりに追いかけてくる。
「しつこいな……!」
シオは吐き捨てると、突き刺さった壁から頭を抜くロックワームをにらむ。そして手のひらを敵へと向けて詠唱を口にした。
「――風精霊王は荒れ狂う」
その途端、視認できるほどに圧縮された空気の輪がいくつもロックワームの体を囲んだ。あらゆる場所を斬り裂き、体を強引にねじり、引き絞る。敵が苦しげに震え、しかし口までも圧倒的な力で引き絞られているため苦悶の悲鳴さえ上げることが叶わない。
「……」
その様をシオは冷徹に見つめていた。
彼が使ったのは相当に上位の風魔導。それこそAクラス探索者でも使える者が少ないほどの上級の魔導だ。昔、本で目にした事はあったが、キチンと習ったわけでもなく、また彼本来の力からすれば使えるはずは無かった。
だが、使えた。理屈は分からない。ただ、使えそうだと思ったから使ったまでで、細かい理屈なんてものは今の彼には必要なかった。
生き残りたい。そのためにできることなら何でもする。シオの頭を占めているのは、ただそのことだけであった。
「あと――」
少し。もう少しでモンスターを殺せる。このまま魔導で絞め殺し、斬り刻んでしまえれば自分は生き残れる。普段は見ることのない獰猛な笑みが、シオの口元に浮かんだ。
しかし。
「――……っ!?」
急激にシオの体から力が抜けた。全身から血の気が引いて、まるで今まで昂ぶっていた熱量が一気に抜け落ちていくような感覚。視界がぐるりと歪む。めまいにも似た症状に、シオは意図せず膝を突いていた。
シオは魔導をメインとして戦うタイプではない。敏捷さに加え、剣と銃、それと魔導を器用に使い分ける万能さを売りとするタイプだ。魔導についても本と知り合いに指導してもらっただけの、素人に毛が生えた程度の知識しか持ち合わせておらず、故に自分に何が起きているのか分からなかった。
だが、魔導に長けた人間が見ればすぐに分かっただろう。
これが、魔素切れの症状であると。
「く……そぉ……!」
ロックワームを縛り付けていた風魔導が途絶えて巨体が轟音を立てて落下する。敵は全身から血を流し続けていたが、それでもまだまだ致命傷には至っていないのだろう。すぐに体を起こすと、これまで以上に激しい咆哮を鳴り響かせた。
シオも何とか立ち上がったが、足元はおぼつかない。構えた剣はふらふらと右へ左へと流れ、到底戦える状態ではない。敵の咆哮ですら耐えるのもやっとだ。
それでもシオは地面を蹴った。直後にロックワームの尾が地面を叩く。ギリギリ攻撃は避けたものの着地した瞬間にシオの脚がもつれ、次の反応が数瞬遅れた。
それは致命的な隙だった。構えた瞬間に、横に薙ぎ払われたロックワームの胴体によって跳ね飛ばされ、シオの体は宙を舞った。
壁に叩きつけられ、壊れたおもちゃのように地面に落下した。もう体は動かなかった。痛みは感じるからまだ生きているのだろうとは思った。けれど限界だ。視界の半分が赤く染まって、残りの半分で見えるのは絶望とも言うべき敵の姿。ロックワームがすぐそこまでにじり寄ってきていた。
(ノエル……さん……)
ごめんなさい。声にならない謝罪を口にし、轟くロックワームの雄叫びを聞きながらシオは目を閉じた。
その直後に、轟音が響いた。
鈍く、重たい音。それが耳に届くと同時に目の前にいたであろうロックワームの気配が遠ざかっていく。
さらに爆発音が次々と鳴り響く。爆風と熱風が横たわるシオの髪を大きく巻き上げていった。
いったい何が。シオは目一杯の力を込めてまぶたを開けた。
彼が目撃したものは、真っ赤な焔のカーテンだった。薄暗かった迷宮内の一室が赤く照らされ、巨大な焔の柱が天井まで立ち上っていた。
その光の中で誰かが空中に浮かんでいた。金属製の脚からは青白い光をほとばしらせ、戦場には場違いな濃紺のスカートをはためかせている。
改めて確認するまでもない。シオは、自分が生き残ったことを確信した。
「遅くなった。それから、ごめんなさい」
謝るのは自分なのに。自分より遥かに小柄なノエルが口にした謝罪に異議を唱えようとするも結局それを口にすることはなく、けれども安心してシオは再び目を閉じたのだった。
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