4-3.私は判断を誤った
「いや、どう考えても遅すぎるやろ」
クレアがカウンターに頬杖をついてつぶやいた。指先でずっとトントンと天板を叩き鳴らしていて、どう見ても苛立っている。彼女がここまで苛立ちを表に出すのは珍しい。
「ノエル」
「なに?」
「君も心配なのは分かるけど、もうそろそろそのトレーを解放してあげたらどうだい? 見てるこっちが可哀想になってくるから」
ロナに言われて私は手元を見下ろした。
手に持っていた金属製のトレーがずいぶんと小さくなっていた。どうやら無意識の内に何度も折り畳んでしまっていたらしい。広げていくと折り目が塑性変形してベコベコになっていた。残念ながらもうトレーとしての役割は果たせそうにない。今度外に出たら新しい物を探してこなければ。
「二人とも落ち着きなよ。まだ一日だよ?」
「アホ。もうまる一日や」
シオが独りで店を出ていってからもうすぐ二十四時間が経過する。十二階層なら数時間で帰ってこれるくらいの距離のはず。仮に十二階層からもうちょっと深くまで潜ったとしても、シオのライセンスだとせいぜい十七階層。途中で仮眠を取ったとしても、二十四時間は遅すぎる。
つまりは。
「何かトラブルがあった。そう考えるべきなんやろな」
ロナが淹れたコーヒーをひったくるようにして受け取ると、まだ結構な熱さのあるそれをクレアは一気に飲み干して深々とため息をついた。それでもまだ落ち着かない様子で、天井を仰いだり指先を何度もカウンターで打ち鳴らしたりしていた。
かくいう私もどうやらまだ動揺しているらしい。さっき広げたはずのトレーが、気づけばまた小さく折り畳まれてしまっていた。広げていくと、途中で折れ目が破断して二つに割れた。自分でやってしまったことながらそれが不吉な前兆のようで、そっとカウンターの上に手放した。
「意外だね。ノエルはそういう非論理的なものは信じないと思ってたけど」
「私も驚いている。いつもは根拠のない予兆は信じない」
けれど、今だけは何故かそういったものに思考が囚われてしまった。私はいったいどうしてしまったのだろう。
「それだけノエルもシオ君の事を心配してるってことさ。おかしなことじゃない、至って普通のことだよ」
「普通……」
「そう。大切な人が帰ってこなかったらどんな人だって心配するし不安にもなる。普段は信じない些細なことでも何かの予兆のように感じたり、不吉な前触れに思えたりもするさ。その人が大切であれば大切であるほど、ね」
「ロナもある?」
「そうだね。私は人間じゃないけれど、神族でも同じ様に感じることはあるよ。精霊だった時はそんなことはなかったけれど、神族の肉体は人間に近づけて構築しているからね。もちろん不安の程度が人間と同じかは分からないけれど」
不安。その単語を聞いて私は腑に落ちたような感覚を覚えた。
「心配」については理解できていた。シオが傷ついたりしないように気を配ってケアをすること。だけれど「不安」については、単語は知っているけれど私の記憶にある限り明確に感じたことはない気がする。
けれど今私が感じているのは、胸の奥深くへと私という存在が引き込まれ、終わりのない孔をどこまでも落ちていくようなイメージだ。できた空白を何を以てしても埋めることはできなくて、疼くように苦しくて思考が制限される。
「これが不安……」
帰ってこない人が大切であれば大切であるほど不安になるとロナは言った。これほどの不安を感じるということは、果たして私にとってシオはどれほど大切な人間なのだろうか。
私とシオは、雇用主と被用者の関係。従業員の事を大切に思うのは雇用主として当然。だけれども、それだけではない気がする。
横を向いてクレアを見る。クレアはエドヴァルドお兄さんの妹であり、私が守れなかった「大切な人」の家族。彼女は何を置いてでも守るべき存在で、おそらくは私にとって一番大切な人間だ。同時に、彼女とは何年も共に生活をしていて私に血を分け与え、義体の世話もしてくれる替えの効かない存在でもある。
そんな彼女がもしも帰ってこなかったら。私の想像力は乏しいとの自覚はあるけれど、お兄さんが最後戻って来なかった時の事をベースに類推してみる。すると、ひどく恐ろしくなった。そこには及ばないものの、シオが帰ってこない今の私の感情に近い。そんな気がした。
「私は判断を誤った」
シオはこのまま帰ってこないのでは。お兄さんのように、見つけた時にはすでに手遅れになっているのではないだろうか。
「ノエル……」
「シオを独りで行かせるべきではなかった。すぐに追いかけるべきだった」
「ノエル、ちょっと落ち着きや」
「もし、もしも私の判断ミスでシオを死なせてしまったら私は――」
「大丈夫、大丈夫やから」
気がつけば背後からクレアが私に抱きついていた。
腕を軽く首周りに絡ませ、右手で私の頭を優しく撫でてくれる。背中越しに感じる彼女の体温が、暖かかった。
「ノエルはなんも間違っとらん。シオも一端の探索者や。いつまでもアンタがシオにべったりくっついとくわけにもいかんし、いずれは通る道やったんが単に昨日やっただけや」
「でも現にシオは帰ってきてない」
「阿呆。諦めんのはまだ早いやろ。何週間もこの店通うてアンタから従業員の仕事勝ち取ったんや。諦めの悪い子やし、何よりノエル、アンタを守れるようになりたいゆうて大言壮語吐いた奴やで。そんな子がそないに簡単に死ぬかいな」
ギュッと、抱きしめる力が強くなった。けれど、彼女の腕が少し震えているのが見えた。
クレアも不安なのだと気づいた。でもそれを押し隠して私を安心させようとしてくれる。その事に気づくと私の中に巣食っていた不安が少し和らいだ。そして私も義手で彼女の腕と頬を撫でた。
体温は人を安心させるという。だから私も彼女の真似をしてみたのだけれど、私の左手はともかく右手は金属で冷たい。クレアがくれた温もりの半分も返せないのがもどかしかった。
「クレアの言うとおりだよ、ノエル」ロナが私の前にしゃがみこんだ。「シオ君はそう簡単に死なないよ。彼は死にそうになればなるほど強くなる。そういう人だから」
「ロナ……」
「だから間違いなく彼は生きてる。あ、でもトラブルがあったのは間違いないだろうから、早く助けに行ってあげた方が良いのは良いだろうね」
「……せやな。ここであーだこーだ言うてるよりも行動や。アレニアにも状況は伝えとるし、あの娘のことやからもうすぐ――」
「シオが帰ってこないってどういうことっ!?」
クレアが立ち上がってアレニアのことを口にした瞬間、店の扉がすごい勢いで開いて彼女が駆け込んできた。噂をすれば、という言い回しがあるけれど、それを体現したような形に少し驚いた。でもこれで必要な人間が揃った。アレニアの<鷹の目>があれば、効率よくシオを探せる。
「どないもこないも電話で伝えたとおりや。ノエルの準備待たんと見栄張って独りで行方不明者捜しに行ってからに、ミイラ取りがミイラになりおった」
「ちっ……あの、バァカ! B-2クラスに昇格したからって調子に乗ってんじゃないわよ……!」
「シオを独りで行かせてしまったのは私。責任は私にある」
「ノエルは悪くないわ。バカが調子に乗ってバカをしただけだから謝らないで良いの。謝罪の言葉はあのバカを見つけ出してバカから聞くわ」
「そこまでバカバカ言わなくてもいいんじゃないかい?」
「迷宮を甘く見てみんなに心配かけるバカにはバカで十分よ」
ロナが宥めるけれど、アレニアは店に入ってきてからずっと罵りっぱなしだ。それだけ怒っているということなのだろう。
だけれど、罵りながらも彼女の唇が震えていた。その様子に私は気づかされた。クレアも、アレニアも、みんな私と同じ様に不安と恐怖を抱えていることに。
当然だ。特にアレニアは、ヴォルイーニ帝国から移住してきて以来ずっとシオと一緒に生きてきた。彼女にとってシオは、私が感じているよりもきっとずっと大切な人間。にもかかわらず私みたいに不安を表に出そうともせず私を気遣ってくれている。
その強さを見習わなければ。そう決意すると、さっきまで感じていた胸の奥の空虚感が紛れた。
「シオはどこまで潜って行ったの?」
「事前にランドルフはんからもらった情報やと十二階層のはずや。せやけど、そこらの階層で早々トラブルが起きるとも思えへんし、たぶん十二階層にはおらへんかったからもっと深い所まで探しに行ったんやと思う」
「なら上の方はスルーしていって良いわね。十四階層からはスキルでもまだ全体マップは見えないし、結構近づかないとシオに気づけないと思う」
「承知した。なら十三階層までは一気に通過する。十四階層以降はつぶさに周るから、アレニアはマップとシオの有無について確認してほしい」
「了解よ」
話しながら義体と推進剤のチェックを済ませ、リュックを背負う。店の外に出て前を向いて、それからアレニアの手を取った。
「最初から全速で跳ぶ。振り落とされないようしっかり捕まって」
「オッケーよ。私の事は気にせず思いっきり行っちゃって」
彼女の言葉にうなずく。地面を蹴るとバーニアを噴射させて浮かび上がる。
もうすぐ行く。だから待ってて。
心の中でシオにそう呼びかけ、私とアレニアは瞬く間に最高速まで加速して下層に続く階段へと向かっていったのだった。
お読み頂き、誠にありがとうございました!
本作を「面白い」「続きが気になる」などと感じて頂けましたらぜひブックマークと、下部の「☆☆☆☆☆」よりご評価頂ければ励みになります!
何卒宜しくお願い致します<(_ _)>




