1-4.シオ、クレア。こちらを向いて
「そらまたけったいな事に巻き込まれたもんやな」
カフェ・ノーラに戻って頼まれていたお遣いの品を渡しながらクレアに話すと、彼女は呆れ半分でため息をついた。
私はあの後、倒れたフランコを担いでギルドに一旦戻り、職員と一緒に目を覚ました彼を尋問した。すると、どうやらというか予想どおりというか、彼は私を襲撃するつもりだったらしい。
動機は昨夜の意趣返し。私に強制排除させられた上に、希望の金額をもらえなかった事が相当腹に据えかねたらしかった。とは言っても別に暴力を奮うつもりはなく、私に幻覚を見せて驚かせるだけの予定だったらしい。
彼が私に見せた幻覚。あれは彼のスキル<びっくり箱>によるものだった。振り返った途端にスキルの対象者が抱く恐怖・嫌悪の対象を見せるといったもので、それ以上の効果はなく、精神汚染や発狂させるといった事もないらしい。あくまでびっくりさせる程度のもので、驚く私の姿を見て溜飲を下げるつもりだったのだとか。
「しかしまさか自分が殴られるとは想像しとらんかったやろな」
しかも手加減なしの一撃だ。これが義手の銃でなくて良かったと、私も改めて胸を撫で下ろす。これで十四.五ミリ弾でもぶっ放していたら、彼の首から上が無くなってしまっていただろう。私の前科が増えなくて良かった。つくづくそう思う。
フランコにもそう伝えたら顔を真っ青にしてまた倒れそうになっていたけれど、そもそもの動機が動機なので残念ながら同情する余地は一切ない。
「それで、そのフランコという輩の処遇はどうなるんだい?」
「別に何も」
ロナがいつもどおり店の器具を使って淹れたコーヒーを私へ差し出してくれた。あと、何故か自然と猫耳カチューシャも。別に拒む理由はないので両方受け取るけれど、つくづくクレアとロナのケモノ耳に対する愛着は理解できない。
それはともかく。
私にひどく不快な感情こそ残したものの、意図せずとはいえ殴られて制裁は受けたわけだし、私から処分を望むことはない。もう手を出すこともなさそうなので、職員の方から厳重注意と対モンスターおよび自身が危機にある時以外にスキルを使用しない事を誓約させて、この件はお終いとした。
「なんや、つまらん。そないな奴、ライセンス証没収くらいしといたらギルドも平和になるやろうに」
「厳しすぎる処分は余計なトラブルを招きかねない」
「ま、そらそうか。探索者としての身分がある方が余計なことせんやろうしな」
私を殺そうとするくらい本気の襲撃ならば相応の対応が必要だろうけれど、フランコからは殺気というよりも愉悦の方が強く感じられた。なので処分として十分な落とし所だと考えている。
「ところで、いつも冷静なノエルが反射的に手を出してしまうなんて、どんな恐ろしい幻覚を見せられたんだい? 興味があるんだけど」
「……回答を拒否する」
アレはたぶん……私がまだ兵器として訓練を積んでいた頃の記憶。
精霊と融合して手足も改造されたけれど、まだ戦闘のやり方や戦場での心構えなど何もかもが未熟だった頃だと思う。
狂気に支配されたヴォルイーニ帝国の、さらにその中でも特に狂気に満ちた研究所。訓練で老若男女問わずたくさん人を殺して、殺人に対する忌避感を消滅させようとしていた頃だろう。正直なところ、思い出したくない。
「こら、ロナ」
「……あー、ゴメン。うん、不躾なことを聞いた。申し訳ない。元精霊として、どうにも人への関心が強くてね。つい興味が先行してしまったみたいだ」
そこまで謝られるほど酷い表情をしていたのだろうか、私は。兵器として生きてきて以来、感情が表に出ることはほとんど無いと思っていたのだけれど。
「ただいま戻りましたー……あ、ノエルさん! おかえりなさい」
そこに入口のベルが鳴り響いた。外で探索に向かっていたシオが帰ってきたらしい。ただいま。そしておかえりなさい。
シオに返事をし、振り向く。彼は私の姿を見て破顔し、けれどすぐに顔を強張らせて、思わずといった様子で一歩下がった。
「ど、どうしたんですか、ノエルさん? そんな怖い顔して……」
シオにまで言われてしまった。どうやら本当に珍しいことに私の表情筋は活躍してくれているらしい。別に仕事しなくていいのに。
「少しトラブルに巻き込まれただけ。けれどすでに解決した。問題ない」
「せや。ま、たいした話やないんやけど、簡単に話すと、や」
私に変わってクレアが簡単にシオにあらましを説明してくれた。フランコのスキルの部分はうまく省略して。これならシオも必要以上に心配することはないと思料する。
「はー、そんな事が……ギルドの職員って僕らから見てると危ないこともないし、気楽だなってくらいにしか思ってなかったですけど、そんな事もあるんですね」
「実際ギルドでのトラブルは珍しくない。職業柄、探索者は気性の荒い人間も多い。口より手が先に出て、職員に被害が出る実例も枚挙に暇がないほど」
「ノエルさんなら、あんまり心配する必要ないでしょうけど……でも、もし何かあった時は遠慮なく相談してください。僕じゃ頼りにならないでしょうけど、クレアさんもロナさんもみんなノエルさんの事を大事に思ってますから」
「シオも頼りにしている。感謝する」
私一人では、きっと生きてはいけない。クレアもロナもシオもいてくれるから、私はお兄さんがいなくても今日という日を生きていられる。心からの感謝を。
「それにしても……とんでもない奴がいたもんですね。不満があって抗議するのはまだしも、仕事終わりに背後から襲撃するだなんて」
「せやな。ノエルや無くて普通の職員やったら、怖くて一人でよう帰れんようになっとったかもな」
「残念です。ノエルさんに手を出すなんて……もし僕がその場にいたら、ボコボコにしてやってましたよ!」
「おー、おー。やっぱシオでも怒ることあるんやな」
「当然です! 僕だって怒る時は怒りますよ」
「やっぱアレやな。好きな人が――」
「あばばばばばばばばばばばばっっ! 怒りますよ、クレアさんっ!!」
「ちょっとした小粋なジョークってヤツやん。そないに怒るとせっかくの可愛い顔が台無しやで?」
「どこが小粋なジョークですかっ! いつもいつもからかうの辞めてください! 僕だって限度ってものがあるんですからねっ!」
クレアが囃し立てると、珍しく鼻息を荒くしていたシオが顔を真赤にして怒り始めた。私の事で憤慨してくれるのは感謝すべきことだけれど、シオが怒るなんてクレアは何を言おうとしたのだろうか。こういう時、私も普通の人間並みに機微の理解力があればもっと二人との会話を楽しむことができるだろうに。残念でならない。
「ノエルはノエルのままであれば、それだけで良いんだよ」
「ロナ」
「大丈夫。君が君である限り、クレアも、そしてシオ君も離れやしないさ」
私の心中を見透かしたのか、ロナが諭すようにそう言った。
果たして、本当に私は今のままで良いのだろうか。座ってコーヒーを飲みながらロナを見ると、彼女はいつもどおり微笑みながら小さくうなずいた。
まだ、不安は消えない。でもこれ以上考えても栓のないこと。なら私は今の私を続けるとして、ひとまずは騒がしい二人を静かにさせるとしよう。
立ち上がる。そしてまだ騒ぎ続けているクレアとシオのところへ近づいて――
「シオ、クレア。こちらを向いて」
私は猫耳カチューシャを装着した。
その途端、クレアはほっこりとした顔を見せ、シオは何故か鼻から血を噴出して倒れた。
いつだったか、ロナに助言された事を実行してみせたのだけれど、まさかここまで効果があるとは思わなかった。
「ああ……やっぱり王道たる猫耳は最高にして至高。よく似合っていると思わないかい?」
「まったくや。ノエルの無愛想さがまた猫耳とマッチしてたまらんわ」
とはいえ、二人の会話を聞いているとさっきとは違った意味で不安になる。
やっぱり彼女たちのコレクションは全部燃やしてしまおうか。そんな物騒な考えが過ったけれど、とりあえずはクレアとシオの言い争いも止まったので猫耳カチューシャはお役御免にする。
つもりだったのだけれど。
「お願いします、お願いします……もう少し、もう少しだけ着けててください。この目に、二度と忘れないようこの目に、脳に焼き付けますから……!」
起き上がったシオに血の涙を流しながら懇願されてしまったのでもう一回装着する。すると彼は両膝を突いて手のひらを合わせ、まるで私を――正確には私の頭上だが――神であるかのように崇め始めた。
「ふふ、シオ君もこの偉大さに気づいてしまったようだね」
どうやらシオも、クレアとロナと同じ宗教に入信してしまったらしい。シオの熱意に負けて雇うことを決めたのは私だけれど、ひょっとするととんでもない間違いを犯してしまったのかもしれない。
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