6-1.再会を願って
暗い階段を一人の少女が降りていた。
メイド服を身に着け、手にはトレー。その上にはカップとポットが乗っている。壁に埋め込まれた照明の強さは心もとなく、けれども少女の足取りに不安はない。まるで昼間の明かりの中を歩くかのようにしっかりと危なげなく階段を降りきった。
コンコン、と部屋の扉をノックする。すると、中からややかすれた女性の声が届いて少女に入室を促した。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「あら、ありがとう。そこに置いておいてちょうだい」
長く白い髪を簡素に後ろで結んだ女性は、作業の手を止めること無く少女に告げた。
女性の前にはフラスコやビーカーなどのたくさんの器具が並んでおり、部屋の壁際には人が入れるほどの大きなガラス製のカプセルがいくつもあった。間接照明だけの薄暗い部屋の床にはびっしりと魔法陣が描かれ、それが淡い光を放っている。
少女は女性に言われたとおりテーブルの上にトレーを置き、淀みのない手付きでカップに紅茶を注いでいく。やがて芳しい香りがほのかに漂い始めると少女はミルクを注ぎ、かき混ぜながら女性への報告事項を口にした。
「オリジナル――コード00番の可能性がある存在が確認されました」
それを聞いた女性の手が一瞬ピタリと止まった。が、すぐに再開し、程なく一段落ついたのか少女の元へやってきてソファに腰を下ろした。
テーブルに置かれていた照明で女性の顔が照らし出される。若く、美しい女性だ。小さな笑みには妖艶さがあり、しかし顔の左半分はひどい火傷でただれている。
美貌と傷跡。二つが混じり合い、美しいのにどこか凄みと不気味さを感じさせた。
女性はポケットから葉巻を取り出してくわえる。少女が焔魔導で火を点け、大きく吸い込むとゆっくりと味わうように煙を吐き出した。それを二、三度繰り返し、カップの紅茶を一口味わって、ようやく女性は口を開いた。
「それは、どれくらい確かな情報?」
「まだ裏は取れておりません。ですが、可能性は高いとの報告です」
「そう……ありがとう。引き続き調査を進めてちょうだい」
「承知しました。それでは失礼します――ヴェネトリアお母様」
少女は深々と頭を下げ、部屋を辞した。ヴェネトリア、と呼ばれた女性はソファにもたれかかると再び葉巻をくわえる。天井を見上げれば、そこにもびっしりと魔法陣が刻まれている。
十年近く前、ヴォルイーニ帝国に雇われていた時に最終的にたどり着いた魔導理論。それを具現化したのがこの魔法陣だ。
懐かしさに目を細め、ヴェネトリアは嬉しそうにつぶやいたのだった。
「大戦時に失ったとばかり思っていたけど、まさか生き残ってくれていたとはねぇ……さすがはノエル。私の大切な『娘』。そのうちにまた、会いたいわね」
「ごちそうさま。もう行くよ」
コーヒーと、少しビターなクレア製チョコレートケーキを食べ終わるとハンネスが立ち上がった。
包帯の巻かれた右手でカバンを掴み上げる。まだ痛むのか、持ち上げる時に少し顔が歪んだけれどそれも一瞬だけ。強いモンスターに遭遇しなかったとはいえ、迷宮内にあるこの店にも問題なく来れるわけだし、怪我はもう問題ないのだろうと推測する。
「お粗末でした。このまんまリヴォラントに戻るんやったっけ?」
「ああ。予定外に滞在が長引いたからね。本国に報告も上げないといけないし、入院中にのんびりした分取り戻さないと」
「帰るときも気をつけてくださいね。まだ怪我も治りきってないですし」
「ありがとう、シオ君。モンスターと遭遇しないように十分気をつけるよ。もちろん、他の諜報員にもね」
ハンネスは苦笑して、それからすぐに穏やかな表情に戻して私たちを見つめる。シオ、ロナ、そしてクレアと順々に視線を動かしていき、やがて最後に私までたどり着くと一度止まり、また全員を眺めた。
「皆さんには本当にお世話になったね。同時に、ご迷惑も。ありがとう。いずれまた改めてお礼でも」
「構わへん。どうせ年中閑古鳥鳴いとる店やからな。迷惑言うたってウチらがやったのはせいぜいベッドを貸したくらいやし、一番動いたのはノエルや。礼ならノエルにしてや」
「それはもちろん」
カウンター脇に控えていた私にハンネスが一歩近づく。私が見上げて視線が交差すると、彼は穏やかに目を細め微笑んだ。
「ノエルさんには本当にお世話になった。本国には、君はすでに亡くなっていたと伝えておくよ」
そうしてくれるとありがたい。私は今の生活が気に入っているから。
けれど、ハンネスは問題ない?
「それくらい何とかするさ。これでも上から信頼はされてるからね」
「そう。ハンネス」
「何かな?」
「リヴォラント以外の国に脱出するつもりはない?」
一応エスト・ファジールの諜報員たちを通じて深く釘は刺したつもりではあるけれど、これでエスト・ファジールがリヴォラントに対する圧力を控えることはきっとない。
遠からず二つの国は本格的な衝突を開始するだろうと推測する。だから身の安全を確保するならば、国を捨てて他の国に逃げる方が良い。
以前に尋ねた時は、ハンネスはその考えを否定した。けれどやはり私としてはハンネスには生き残ってほしい。故に改めて尋ねたのだけれど、ハンネスは穏やかな笑みのまま首を横に振った。
「気にしてくれて感謝するよ。でも私の気持ちは変わらない。これまでどおり国を守るために私ができることを最期までやりきるつもりさ。もちろん戦争を回避するためにも全力を尽くす。それが私の戦いだ。前線で華々しく戦うことはできないけどね」
だけど家族は逃がすつもり。ハンネスはそう付け加えた。
それが良いと思う。ハンネスの決めたことに異を唱えるつもりはないけど、心配や不安要素は極力減らすべき。
「そうだね……家族にはこの街を勧めてみるかな。もし私の妻や娘と会うことがあったら宜しく頼むよ」
「名前は?」
「妻がエルマで、娘がテューネだ」
ハンネスが手帳から写真を取り出して家族の姿を見せてくる。
承知した。もし見かけたら気にかけておく。もっとも、避難する事態に陥らないことが最重要だけれど。
「それは違いないね。ま、そうなるようせいぜい私も頑張るさ。
さぁて、それじゃあそろそろ行くよ」
すっとハンネスが私に向かって右手を差し出してきた。いったい何を要求してるのだろうかと首を傾げて彼の顔を見上げると、目を細め小さく声を上げて笑った。
「握手だよ。またいつか落ち着いたらこの店に遊びにくるから、再会を願って、ね」
そういうことなら歓迎だ。
差し出された彼の手を、私の金属製の右手が握り返す。ゴツゴツして握りにくいはずの私の手を、ハンネスは強く握った。
冷え切った私の右手が温められて人の体温に近づいていく。それから私、そしてハンネスも小さく微笑み合ったのだった。
エピソード4「カフェ・ノーラと過去の亡霊」完
これにてエピソード4完結。お読み頂き、誠にありがとうございました!
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