5-6.聞け
「ひっ……!」
「逃さない」
男が小さく悲鳴を上げ、木々の奥へ向っていく。けれど、今回の件を仕上げるためにもこのまま逃がすつもりはない。
精霊の魂を呼び起こし、冥魔導を発動。瞬時に影で編まれた黒いロープを作り出して男へ放つ。数本のそれがあっという間に男の四肢に絡みつくと、私の方へと引きずってきた。
影に拘束されて横たわる男を見下ろす。恐怖に顔が歪んでいるけれど、スパイだから死は覚悟しているはず。
この程度では足りない。なので――もう一度精霊の力を借りることにする。
「ひ、な、なんだ、何が……?」
黒いもう一人の私が現れ二重になる。それが真っ黒な影となって、足元で転がる男に覆いかぶさり、だき寄せる。
そうして最後に男に口づけ、消えた。
すると、彼の体が震え始めた。歯がガチガチと音を立てて涙があふれる。顔色がいっそう悪くなって、私から目を逸らしたいんだけど逸らせなくて視線が私とシオを何度も行き来する。恐怖感を倍増するよう冥魔導で精神に働きかけてみたけど、どうやらうまくいったみたいだ。
なら、ここでとどめを刺す。
「あ、ご、おぉぁっ……!」
男の顎を掴み上げて、右腕の一四.五ミリ口径の銃口を口の中に押し込む。銃口が大きすぎて口の中には入らないが構わない。押し込めるだけ押し込むと男が恐慌を起こして泣き叫ぶが、四肢を強引に押さえ込み逃さない。
「聞け」
「ひ……あ……」
「兵器としての私は大戦の時に死んだ。もう使い物にならないので捨て置いて良い。本国にはそう伝えて。メッセンジャーとしての役目を果たすのであれば貴方を殺しはしない」
男が涙とよだれでグシャグシャになった顔を必死で縦に振る。それを見て私は「けれど」と付け加えた。
「もし、エスト・ファジールがリヴォラント共和国を飲み込もうとするのであれば、私は地獄から蘇って貴方を殺す。どこにいようとも必ず殺す。そしてその後は聖フォスタニア王国側に協力する。無駄な犠牲を出したくないのであれば、リヴォラントへの侵攻について再考を要求する。これも伝えて」
私はどの国にも協力はしない。だけれど、ハンネスは私の想いを汲んでくれた。ならこれくらいのハッタリをかます労を私は惜しまない。
いよいよ恐怖が限界を突破したらしく、何度も何度もうなずく男の股間から生暖かいものが流れ出した。
もう十分。そう判断し、冥魔導を解除して男を解放すると何度も脚をもつれさせながら一目散に私から逃げていく。そうして彼の姿が木々の間に消えてしまったところでシオが「お疲れ様でした」と声を掛けてきた。
「病院で休んでるハンネスさんも、これで安心ですね」
それは分からない。逃した男が私のメッセージを伝えたとしてもエスト・ファジール本国がどれだけ真面目に受け止めるかは疑問。ただ、今回の件が思考のくさびとなって少しでも侵攻が遅くなればそれだけリヴォラントも準備を整える時間が稼げるし、他国への根回しもできるかもしれない。後はリヴォラント次第。
そう話してから私はシオを見上げた。
「シオのおかげで余計な労力を使わずに敵を倒せた。心から感謝を」
「い、いえ……あ、ありがとうございます?」
「感謝してるのは私」
見つめるとシオが顔を赤くしてから挙動不審になる。なぜそんな反応になるのかは理解不能だけれど、ともあれ、シオのおかげで本当に助かった。今度また料理をプレゼントする。
「え゛?」
「大丈夫。この前、味付けを勉強した。今度はシオの好みの味になる……予定」
正直なところ、自信がないのは事実。だけどそれは黙っておく。しかし……どうして本のとおりに作ってるのに味が私好みになってしまうのだろうか?
「あは、ははは……た、楽しみにしてます。
ところで……ここ、どうします?」
周囲を見渡しながらシオが頭を掻いた。
私たちの周辺には魔導生物をはじめ、私を襲ってきた連中の死体が転がっている。このまま放置すれば大騒ぎ確定。少なくとも死体はどうにかする必要がある。
「問題ない。私に任せて、シオは先にカフェ・ノーラに戻ってて」
そう言ってシオをこの場から離させる。中々去ろうとはしなかったけれど強引にシオを帰らせ、彼の姿が完全に見えなくなったのを確認。
そうして――私はつぶやいた。
「食べて構わない」
風が吹いて前髪が揺れる。白に近い金色が黒く染まって、足元から影があふれていく。それがゴポッと音を立てて、その様子が私に「大丈夫?」と問いかけているようだった。
「遠慮はいらない。ただし、死体だけ」
改めてそう伝えると、影が四方に散らばって死体へと覆いかぶさっていった。程なく小さな咀嚼音が響き始める。
人間を喰らう。その事自体は初めてじゃない。進んでしたい行為ではないけれど、必要があるならためらわない。けれど――シオには見られたくなかった。
シオは私がどういう存在か知っているし、他に吹聴することもないとは分かっているけれど、何故かそう思った。
だから彼を先に帰した。どうしてそう思ったのか、私にも分からないけれど、そうしたくてたまらなかった。
やがて散っていた影が集まってきて、「終わった」と告げるように影が液体みたいに跳ねてからまた元の平坦な私の影に戻る。
見回す。あれだけ転がっていた死体が見事にキレイになくなっていた。
空を見上げる。ちょうど月が雲に隠れて私に影を落とす。
「……帰ろう」
ここでできることはもうないし、留まる必要もない。こんな先の大戦の搾りカスみたいな状況を忘れて、迷宮の奥へと戻ってクレアたちとゆっくり過ごしたい。もう私は兵器としての役割を止めたのだから。
そんなことを考えながら、月明かりが途絶えていっそう暗くなった道を、私は足早に歩いて街に向かったのだった。
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