4-5.今度は私が助けよう
ハンネスが店を立ち去って二日が経過した。
その二日間、特に何かが起きたわけでもなく穏やかな時間だけが流れていた。事件もなく、モンスターも訪れず、そして客も来ない。まさしく何もない一日で、シオも途中からほとんどの時間を迷宮内での鍛錬に費やしたくらいだ。
一方で私はカフェ・ノーラの店内で開かない入口を眺め続けていた――わけではなく、ギルドにいた。
「悪かったな、急な依頼で」
「構わない。私がいなくても店は回る」
謝罪を口にするギルド長のランドルフに対し、私は首を横に振った。
ランドルフから急ぎの電話があったのが昨日の昼間。夜間の討伐関連窓口に対応する人員が足りないためシフトに入れないか、とのことだった。
ハンネスはもう私のことを諦めたと言った。ならば時間が有り余っている私に断る理由など微塵も存在するはずもなく、ちょうどシオも帰ってきたこともあり二つ返事で承諾したのだった。
「それよりもサーラの待遇改善に気を配るべき」
私がそう指摘すると、ランドルフはバツが悪そうに大柄な体躯を小さくした。
私が入った深夜シフトは、元々はサーラが対応する予定だったらしい。が、その彼女が倒れてしまったので私に連絡が入ったわけだ。幸いサーラは単なる風邪らしいのだけれど、先日話をした限りだと彼女に相当の負担が掛かっている様子。改善は必須だ。
「悪いとは思ってるんだが、ウチで一番アイツが仕事できるからどうしても頼っちまうんだよなぁ……でもそれもあと少しだ。やっと人員に目処が立ったし、新人ももうすぐ独り立ちできるからな」
「そうであれば問題ない」
とはいえ、不足の事態はいつだって起こるもの。人手が必要になればいつでも連絡してくれて構わない。ランドルフにそう告げて、私は早朝のギルドを後にした。
一人で歩く朝の街はいつもより静かだった。もう少し早い時間帯であれば朝市で商売をする人たちのがなり声が響き渡って賑やかだけど、今は人影もまばら。背が低い私からだと普段はほとんど見ることができない遠くにそびえる巨大な朽ちたタワーも、今の時間ならハッキリと見える。
クレアとロナに頼まれた物を購入し、再びギルド方面に戻っていく。路地から広い通りに抜けると、街を流れる水路の水音が聞こえてきた。このかすかで清涼な音は気持ちを落ち着けてくれるから好きだ。その感情はたぶん、普段の音の洪水の中で過ごしている反動なのだろうと推測する。
そう思料しながら歩いていくと、やがて静かな音が話し声でかき消されていった。つい眉間にシワを寄せてしまいながらその話し声の元を辿っていく。すると、橋の上に人だかりができていた。
「何があったんだ?」
「水路から死体が上がったらしいぞ」
「いや、どうやら死んじゃいないみたいだ」
通り道なので橋に近づいていくと、そんな会話が聞こえてくる。事件か事故か。どちらにせよ、もうすでに救助はされたようであるし、私の出る幕はない。
最初から乏しかった関心をさらに失い、橋桁から身を乗り出す人たちの後ろを通り過ぎようとした。
だけれど。
「引き上げられたのは誰だい?」
「さぁてねぇ……長いことこの辺りに住んじゃいるが見ない顔だな」
「となると、旅行者かねぇ? 写真でも撮ろうとして落ちたんじゃないか?」
「さっき実際に引き上げた奴の所に行ってきた。どうやらリヴォラント人らしいぞ。うわ言でリヴォラント語っぽい単語を話してたらしい」
嫌でも入ってくる会話を聞きながしていた私の脚が止まった。
予感、というものだろうか。迷宮都市であり、外国人も珍しくないこの街だからリヴォラント人だってそれなりにいるだろうけれど、何故だかその打ち上げられたというリヴォラント人が気になって、私は渡り終えてた橋へ引き返した。
小さな体を活かして人だかりをかき分けていく。そうして橋桁にたどり着いて見下ろすと、手当している人、そして打ち上げられた人の姿が目に入った。
長身痩躯で短い金髪。見覚えのある容姿に、私の体が動いた。
「あ! おい、嬢ちゃん! 危な――」
制止の声を振り切り橋桁から飛び降りて、くだんの人物の傍らにしゃがみ込む。
倒れていたのはハンネスだった。
水路を流れていたためまだ全身はずぶ濡れで、冷え切っているためか顔色は紫に近い。脚には斬り裂かれたような痕がいくつもあって左腕は不自然な向きに折れ曲がり、口元にもアザができて赤紫に腫れていた。
見た限りでは重傷。けれど橋の上で人々が話していたように息はまだある。
「――ヒーリング・フロー」
生身の左腕をハンネスの心臓部に当てて水魔導を唱えると、彼の手足、それから体が薄い水の膜に包まれていった。
正直、私は水魔導が得意ではない。おそらくは融合した精霊との相性の問題で、一応使えないことはないので使用してみたのだけれど、どうやら多少の効果はあったらしい。
ピクリともしてなかったハンネスの目元がわずかに動く。浅かった呼吸も通常くらいには落ち着いて、やがて彼の目が開いた。
「……やあ、ノエルさん。また会えたね。ここは……?」
「街の水路。貴方は運が良い。流れていたところを街の人に救助された」
「救、助……? そう、か。はは……どうも私は悪運が強いみたいだ」
瞳はうつろで意識もハッキリはしてないけれど、命に別状は無さそうだ。
質問がある。何があった?
「ちょっと同業者に、ね。どうも私の動きはエスト・ファジールの連中にマークされてたみたいだ。情けない……これでも戦闘に多少自信はあったんだけど、このザマさ」
「彼らも私のことを?」
「ああ……私を追えば君に辿り着けると思ったらしい。だけど安心してくれ。君のことは話していないよ。だから迷宮のことも、店のことも知らないはずさ」
なるほど。彼は頑なに私の居所を話さなかった。故に殺害されそうになったのだと理解する。口を割らなかったハンネスに深い感謝を伝えると、彼は小さく笑った。
「ほら、どいた! 道を開けて!!」
担架が来た。野次馬たちを押しのけ、救急隊員たちが急ぎ足で近づいてくる。
ハンネス。改めて感謝を。しばらく病院でゆっくりするといい。
「そう、させてもらおうか、な……」
担架に乗せられると、ハンネスは安心したのかまた意識を失った。
救急隊員たちに運ばれ、ハンネスが遠ざかっていく。それを見送り、私は目を閉じた。
私はどうするか。彼が殺されかけたのはもちろんハンネス自身が招いた事案なので、このまま彼と縁を切りまたしばらく迷宮に引きこもるという選択もありだと思料する。むしろ、そちらの方が賢明だ。
だけれども。
彼は兵器である私のことを考えて行動してくれた。死にそうな目に遭いながらも、決して口を割らなかった。ならば私は――
(――なんで助けたかって? ンなもん、俺が助けたかったからだ)
かつて、殺されそうになっていた敵の諜報員をエドヴァルドお兄さんが助けた時の言葉が蘇った。
お兄さんはその諜報員に偶然、過去に手助けをしてもらっていたらしかった。それでも敵は敵。殺すべきだったと主張する私に対して、お兄さんはそう言っていた。
それにならうなら、私はどうしたいか。自らに問うと、答えはすぐ出た。
「今度は――」
私がハンネスを助けよう。それが、ひいては私の今後の平穏にもつながる。
生身の左拳を握りしめ、私は野次馬たちの中へと紛れていった。
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