4-3.私は警告したはず
ハンネスを抱えて店に戻った私は、ひとまずバックヤードにある簡易ベッドに彼を寝かせた。その上で改めて傷の消毒などの手当を行い、包帯を巻き直す。
疲労とダメージはやはり相当なものがあったのだろう。治療の間もハンネスは浅い呼吸をし、時折うめき声こそ上げるものの目を覚ます様子は無かった。
「……大丈夫そうですか?」
問題ないと思料する。けれど、私は医者ではないので断言はできない。
覗き込んできたシオとアレニアにそう返答したところで店の方からクレアとロナまでやってきた。この部屋はそんなに広くないので、全員が集まると狭苦しい。そもそも、誰か一人くらい店に残っておくべきじゃないだろうか。
「別にかまへんやろ。どうせ客も来ぃへんやろし」
クレアがそれを言うのもどうかと思う。けれども事実なので反論の余地はない。モンスターが来れば騒々しくなるからすぐに分かるし、確かに問題はない。
「んで、コイツが例のスパイかいな。中々エエ男やん」
クレアがハンネスの顔を覗き込む。
帰ってきた時に彼についてはみんなに説明している。目を覚ましたら話を聞いた上で、クレアを含めてどうするか議論するつもりだ。それが穏便なものになるかは分からないけれど。
「コーヒーを飲みながらのんびり待つのも悪くないけれど……私が帰った後で目を覚まされてもつまらないね。ここは私が一肌脱ごうか」
「なんや、珍しい」
「なに、ちょっとした気まぐれだよ。面白そうな話をしてくれそうだしね」
ロナが寝ているハンネスの傍らに立ち、ウインクをした。
彼女は治癒魔導を使える。これまでも一、二回見たことがあるけれど相当な腕前だ。すくなくとも私よりは数段上なので、彼女が治療してくれるのであれば安心できる。
ロナが肌の白い細腕をかざし、詠唱を口にしていく。
「――クーリング・キュア」
水魔導の名を唱えるとハンネスの全身が柔らかな光に包まれ、私たちも程よい涼やかさを感じ始める。
それから時間にして十秒ほど。光が消え、ハンネスが身じろぎを始めた。
「う……」
閉じていたまぶたがゆっくり開く。何度か瞬きをし、最初は意識がはっきりしないのかぼんやりと私たちの方を眺めていたが、すぐにハッとして勢いよく体を起こした。
「気分はどうだい?」
「あ、ああ……大丈夫そうだ」
微笑みながら尋ねるロナに、ハンネスも戸惑いながらもはっきりとした口調で答える。そして私の顔を見ると、バツが悪そうに頭を掻いた。
「ここは……?」
「私の店。貴方はモンスターに襲われ、倒した直後に気を失った」
「……そう、か。そういえばそうだった」
天井を仰ぎ大きく息を吐くと、彼は腕を回したりして体の様子を確かめ始めた。
治癒魔導はあくまで回復を促すだけなので、疲労は早く抜けるけれど傷を瞬時に直したりはできない。なので時折痛みに顔をしかめているが、動きを見る限り大事に至るような怪我はなさそうではある。
であれば。
「君が助けてくれたんだね。ありがとう、ノエ――」
遠慮はもう不要。
礼を言いかけたハンネスの額に、私は右腕の銃口を突きつけた。
「ノエルさんっ!?」
「私は警告したはず」
叫び声を上げたシオを無視し、さらに銃口をハンネスの額に押し付ける。
彼との去り際に私は告げた。次に会った時は容赦しない、と。
モンスターに襲われていたから助けはしたけれども、彼の返答次第ではこの部屋を血まみれにすることも厭わない。
視線がハンネスと交差する。最初は驚きに瞳が揺れて、でもすぐに私を見つめ返してきた。
「……うん、分かってるさ。ちゃんと覚えているよ。それでも――私は君をリヴォラントへ連れていかなければならない」
この瞳を、私は知っている。強い決意と覚悟だ。昔、暗殺対象と対峙した時に何度か見たことがある。決して引かない。たとえ殺されても。
当時はよく理解できなかったが、対象を殺害した後でエドヴァルドお兄さんに、それが「決意と覚悟」だと教えてもらった記憶がある。
「ハンネスはん言うたか? アンタ一度、ノエルに見つかって痛い目遭うとるんやろ? にもかかわらずなしてまたノエルに頼ろうと思うたんや? しかも、こんな迷宮の中にまで来て」
「……ノエルさんには少し話したけれど」
前置きしてからハンネスは、リヴォラント共和国を取り巻く状況を話し始めた。
だいたいは先日私が聞いたものと同じだったけれど、追加された情報を聞く限り、思っていた以上に状況は悪そうだった。
「もちろん戦争が始まってすぐにリヴォラントが飲み込まれるとは思ってないよ。エスト・ファジールに比べれば私たちの国は遥かに小さい。けれど、抵抗もできないほど弱くもないと信じている。
でも、戦争が始まってしまったら遅いんだ。遅かれ早かれ戦争には負け、私たちは多くを失ってしまう。そうならないためにも、始まる前にあらゆる手を打っておかなければならないんだ……! でないと、でないと私の家族も……!」
鬼気迫る表情でそこまで話したところで、ハンネスがハッと我に返った顔をした。大きな息をついて気持ちを鎮めると、改めて私を見上げた。
「改めて協力を依頼する。ノエルさん。どうか、我々に力を貸してほしい。君なら状況をひっくり返せる切り札になる。単純な戦力としてでも、君に使われている義体技術についてだけでも、戦闘に関する教官としてでも、あらゆるものが私たちを強くしてくれるんだ。だからどうか私たちに手を貸してほしい……お願いします」
額に押し付けている私の右腕を彼の両てのひらが包み込んだ。さらに頭を下げて懇願してくる。
私の右腕は機械だ。金属部品でのみ構成されていて、しかも銃身を握られたところで彼の熱など感じようもない。だけれど――彼の思いは伝わってくるような気がした。
「なぁ、ハンネスはん」しばし部屋に沈黙が満ちた後で、クレアが口を開いた。「アンタ、スパイちゃうん? いろいろ教えてくれたんはありがたいけど、そないにホイホイ喋ってもうてエエんか?」
「良くはないさ」ハンネスが小さく苦笑いした。「だけどノエルさんにも、それからここにいる皆さんにも助けてもらったし、多かれ少なかれ協力はしてもらうことになる。そんな相手に隠し事はできるだけしたくないんだ」
「正直もんやな。スパイに向いとらんのとちゃうか?」
「かもしれないね」
クレアが茶化すとハンネスは苦笑した。そのやり取りで少し場が和んだ。彼女はそういう気遣いをする人だ。
一方で。
私は黙考を続けていた。兵器たる私に人の気持ちを正確に推し量ることはできないけれど、私がつきつけた銃口を前にした彼の姿はきっと真実であり、誠意ある人物だと思料する。なのでこれ以上の銃口は必要ない。そう判断し、右腕を下ろした。
「一つ問う。貴方が私に協力を要請するのは、死にたくないから?」
「……究極的にはそうだね。同時に死なせたくないからでもある。特に家族は」
「であれば逃げればいい」
戦争の無い遠くへ。或いは、戦争になっても負けないだろう聖フォスタニアやエスト・ファジールそのものでもいい。戦火に巻き込まれない場所に暮らせば、最初は大変だろうけれど、少なくとも戦争で死ぬことはないはず。
「そうかもしれない。だけど、それはできないよ」
「なぜ?」
「国を、仲間を捨てるわけにはいかないさ。守らなければならないからね」
それは、貴方が命令されたから?
「いや、違うよ――私が、守りたいんだ。リヴォラントという生まれ育った国を、そしてそこに暮らす仲間と同胞を。
私――僕にはたいした力はない。国同士の争いでみればちっぽけな存在でしかない。それでも僕のような人たちがみんな力を合わせて小さな国を守り抜いてきたんだ。だから、見捨てるようなことはしたくないんだ」
そう微笑みながら話すハンネスの口調に淀みはなかった。きっと、それは本心からそう思っているから。そうだと推測する。
つまり、彼は選んでいる。国を守るという選択を、自らの意志で。命令でもなく、強制でもなく、何かに縛られているでもなく。そのことに気づいた途端、得体の知れないものが私の中から湧き上がるのを感じた。
熱くて、苦くて、重い。何かに背後から追い立てられているかのように走りたくなり、途方もなく、腹の底から叫びだしたくもなる、そんな衝動だ。
同時に、握った拳を胸に掲げたくなる。その仕草はかつてヴォルイーニの軍人だった時に教わった、皇帝に対して敬意と忠誠を示すためのもの。別にハンネスを皇帝と同等と考えているわけではないけれど、私はそれしか知らなかった。敬意を表す方法を。
(――理解した)
後者の感情は敬意、或いは尊敬。そして、前者は羨望と嫉妬だ。
そうだ。私は彼が羨ましくて、妬ましい。
戦争が終わって私はどう生きればいいのか分からなかった。兵器なのに、使う人がいなくなって迷子になった。故に私は――未だにお兄さんの命令に従って生きている。
自分ではできなかった生き方。それを迷いもなく口にしたハンネスがまぶしくて、私は立ち尽くした。
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