3-1.たぶん表の人じゃない
「はーはー……はぁはぁ……」
「……」
「はぁはぁ……クンカクンカ……」
頭上から降ってくる、悩ましいと形容するよりもどちらかと言えば劣情を抱いた変態のような声。いろいろと言いたいことはあるけれど、とりあえず私は黙ってそれを受け入れていた。
これが見知らぬ人であれば男女構わず有害な人物として右手の銃口から一発と言わずして何発でも鉛玉を打ち込んであげても良いと以前にお兄さんに教わったのだけれど、幸か不幸かそれには至っていない。
何故ならば。
「うーん、ノエルちゃんのこの芳しい香り、そしてサラサラの髪の感触……堪んないわぁ……」
この恍惚とも表現できる歓喜の声を上げたのは、他ならぬサーラだったから。
ギルドでいつもお世話になっている彼女は、私がギルドに到着するやいなや掲示板のところから瞬時に移動して私に頭から覆いかぶさったかと思うと、瞬時に背後に回り込み全身を抱きしめてきた。そうして頬ずりしたかと思うと、私の頭部に顔を埋めて前述のような声を上げた次第である。その動きは私をしても追うことができなかった。彼女は本当にギルド職員なんだろうか。
「ん~……? もちろん正真正銘純粋なるただの職員よ?」
そうですか。
それ以上の追求を諦めて周囲を見てみると、結構な人数がギルド内にいる。が、全員がこちらを見ないようにしていた。彼女の痴態を咎める人はいないようで、おそらくは関わりたくないのだと推定される。なお、彼女の私に対する愛着は知っているので抵抗はしないが、私は別にこのような愛撫を好む趣味はないことは念のため言い添えておく。
さて。サーラ、そろそろ離してもらってもいい?
「んー、もうちょっとだけぇ……って言いたいところだけど、そうよね、いい加減にしろって話よね」
残念そうにため息をつきながらサーラがようやく私から体を離す。そして自由になった首を上げて彼女の顔を見れば、化粧で隠してはいるけれど目の下にクマができていた。どうやら結構疲れているものと思料する。
「あ、やっぱり分かる? 夜勤の子が何人かまとめて風邪引いちゃったのよ。だからここのところ日勤と夜勤両方こなさないといけなくてさ」
つまりは先程の変態じみた行動は疲労からくるストレスの結果だった模様。であれば私から特に咎めるつもりもない。私に愛玩動物ほどの愛嬌はないけれど、私を抱きしめることでサーラが助かるのであればむしろ遠慮なく抱きしめてくれて構わない。
「本当!? ならぜひともうちの子に――」
「なりません」
そこは明確に拒否しておく。彼女にそこまでの戦闘力はないはずだけれど、何故だかそうしなければ身の安全が確保できない気がした。
私の拒絶を聞いてサーラは泣きそうな顔をしたけれど、彼女は狡猾。それが泣き真似だとわかっているから無視していると、残念そうにため息をついた。
「今日もダメかぁ……ま、諦めましょ。
それで、今日もいつものよね?」
肯定。持ってきたモンスターの素材、それと魔晶石の換金をお願いしたい。
そう伝えるとサーラはいつもみたいに別室へ案内はせず空いていた窓口へと案内して、私がリュックから中身を取り出していく端からテキパキと査定をしていく。途中何度か、別のギルド嬢が来て質問をするけれどそれにも嫌な顔をせず応え、その間も手は止まらない。
やがてそう時間が経たずして私が持ち込んだ大量の素材類の査定がすべて完了した。さすが、サーラ。仕事が早い。
「ふふ、ありがと。でもこれくらいじゃなきゃ仕事回せないから」
本当はのんびり仕事したいんだけど。そう言いながら買取額を紙に書いて提示してきた。その金額は妥当な範囲ではある。が、想定していたよりもちょっと高めだった。
「ちょっと色をつけておいたわ。ノエルちゃんの持ち込む素材は質が良いし、ランドルフさんからもそう指示されてるの。他の仕事も頼んでるし、ギルドとしても引き続き良好な関係を築いておきたいからっていうのもあるわ」
なるほど、そういうことであればありがたく頂戴する。
シオを新たに雇ったこともあるし、貰える額が増えるのであれば拒む理由もない。なので了承する旨のサインをし、サーラから差し出された札束を受け取った。
次は買い物。何が必要だっただろうか。頭の中で買い物リストを整理しつつギルドを後にしようとすると、「ノエルちゃん」とサーラが呼び止めてきた。
「なに?」
「ちょっと耳を貸して」
普段の彼女が彼女なので耳を近づけたらガブリと甘噛みの一つもしてくる気がして――過去に一度されたことがあって、その時は反射的に銃口を押し付けてしまった――少し警戒したが、サーラの様子を見る限りどうやら真面目な話だと推測される。したがって危険度は少ないと判断して顔を近づけると、辺りを見回しながら耳打ちしてきた。
「昨日の話なんだけど、ノエルちゃんの事を捜してる人がいたわ」
「私を?」
「ええ。明確にノエルちゃんって知ってたわけじゃなさそうだったんだけど、迷宮で酒場をやってる、あるいは迷宮内で生活している探索者を知らないかって」
私が経営しているのは酒場ではなくカフェ、という細かい話は置いておいて。
ということは、カフェ・ノーラではなく私を探しているということに間違いないだろう。くわえてサーラが言うとおり、おそらくその人物は私という人間を具体的には知らないと推測される。
何故なら、私を知っていればもっと別の尋ね方があるはず。
私は私の容姿がある種、特徴的なのを理解している。ギルドにメイド服で来る人間も少ないし、まして初等部の学生のような体格の探索者など私くらいのものだ。したがって、そちらからアプローチした方が、聞かれた方も私に思い至りやすいだろう。
残る問題は、その探している人物にとって重要なのは、「迷宮内で暮らす探索者」なのか、それとも「私」なのか。それによってかなり警戒度が変わって来る。
そう考えていたのだけれど、続いたサーラの見解を聞いて答えは一つに絞られた。
「これは私の勘でしかないんだけどね。たぶんその人……表の人じゃないと思う」
それはつまり、くだんの人物が探しているのは「私」である可能性が高い。それも、「兵器である私」を。
先の戦争が終わり、私という存在の痕跡を消して五年。目立たずにクレアとともに各地を転々として過ごし、この街に居ついて一年以上。迷宮に引きこもってもうすぐ半年くらいだろうか。ようやくと言うべきか、ついにと言うべきか。何にせよ、各国の手が伸びてきたということで間違いないと推定する。
それで、サーラはどう答えた?
「もちろん教えてないわよ。探索者のライセンス証は提示してきたんだけど怪しい気がしたし、そもそもギルドとしても個人情報をホイホイ教えるわけにはいかないしね。当たり障りのない会話しながら、そらっとぼけといたわ」
感謝する。引き続きそうして貰えるとありがたい。
「りょーかいっ。でも気をつけて。私はノエルちゃんのことを知ってるから怪しいって気づいたけど、たぶん他の人は気づけない。それくらい話の持って行き方が上手かったし、探索者の人たちも全員が口が固いわけじゃない。遅かれ早かれ……きっとノエルちゃんの事に行き着くと思うから」
承知した。警告、改めて感謝する。
探しているのがどこの国か知らないけれど、確かにサーラの言うとおりそう遠くなく私に何らかのアプローチは行われると思料する。
帰ったらクレアとロナにも伝えておかないと。シオにはどうすべきか、と少し迷ったがもうカフェ・ノーラの一員でもあるわけなのでやはり伝えておくべきだろう。
となると、買い物も少し急いだ方がいいかもしれない。日が暮れるまでには迷宮内に潜るようにしよう。
ギルドの壁に掛けられた時計を確認し、サーラにもう一度感謝を告げて私はギルドを後にした。
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