1-1.コード00、通称――
「ここも手がかりなし、か……」
ハンネス・パルヴァは手帳に書かれた地名を線で消すと、顎に生えた無精髭を撫でた。それから面長の顔を両手で覆ってため息をつき、最後にオールバックにしている金髪をかき上げてからホテルのベッドに倒れ込んだ。
彼がいるのはブリュワード王国中央部にある、首都にほど近い都市だ。これまでにブリュワード王国を始め、北方連邦国、エスト・ファジール帝国、聖フォスタニア王国など、旧ヴォルイーニ帝国の周辺国を探し回ってきたが、未だ捜索対象の端緒さえ掴めていない。
「いや、参った……これだけ探してるってのに、手がかりさえ見つからないなんて」
リヴォラント共和国の諜報機関の中でもハンネスはかなり優秀な部類だと自負しているし、客観的にもその評価は大きく誤っていないと思っている。
もちろんリヴォラントの諜報機関そのものだって他国に負けてはいない。それどころか、大国であり隣国でもあるエスト・ファジール帝国の四分の一もない国力を考えれば、情報戦で日々互角に渡り合えている実力は相当なものだ。
そしてそこまで諜報に力を注いでいるのも、小国であるリヴォラントが生き残るため。大国に正面切ってぶつかり合えば力尽くで征服されるのは目に見えている。であるならば情報戦で優位に立ち、大国同士の綱引きの間でうまく立ち回ることが必須だ。でなければ、儚く飲み込まれて消えてしまうのは間違いない。ヴォルイーニ帝国のように。
そんな優秀な人材が集うリヴォラントの諜報機関に属する彼をしても、未だ捜し人の有力な情報すら見つけられていない。
「捜し始めてもう一年近く、か……」
本当に彼女は存在するのだろうか。ここまで見つからないと、もはや存在そのものまで疑いたくなってくる。
エスト・ファジールがリヴォラントに掛けてくる圧力は年々増している。かと言っていたずらに聖フォスタニアに助けを求めれば、足元を見られるのも当然。下手をすれば両国でリヴォラントを分割、などということだってありえる。独立性を維持するためにも何かしら大きな「爆弾」が必要だ。
「……はぁ、悩んでても仕方ない」
もう一度大きなため息をつくと、ハンネスは勢いよく体を起こした。椅子に掛けていたジャケットを羽織り、手帳に写真を挟んで内ポケットに仕舞うと部屋を出ていく。
こういう時は酒を飲んで寝て、一度頭をスッキリさせるのが良い。
「早朝に移動するから、あまり飲めないのが残念だけど……」
諜報員である故に情報を漏らせないハンネスは、普段酒を嗜まない。せいぜい諜報対象者から情報を引き出す時に一緒に飲むくらいだ。だが酒は好きだし、強いので少々飲んだところで気が緩むということもない。
「今日くらいは構わないさ」
うそぶいて彼は街に繰り出し、一人でも目立たなさそうな酒場を無意識に選んで中に入る。もう夜もそこそこに更けてはいるが、店内はまだ多くの酔客で賑わっていた。
「そういえば、ここは迷宮都市だったね」
見回せば、迷宮に潜った後なのだろう、傷だらけの防具と武器を足元に置いている客が多い。一日の成果を酒の肴にして楽しげに飲む彼らを羨ましそうに眺めながら、ハンネスも酒をカウンターで受け取って空いているテーブルに座った。
ジョッキを傾け、ビールを一気に流し込む。乾きを瞬時に癒してくれ、同時に強い刺激が喉を駆け抜け、胸の内でくすぶる湿っぽい感情を蹴散らしていってくれる。
大きなジョッキの半分を一息で飲み干してハンネスは気持ちよさそうにため息をついた。が、ふと考え込む仕草をすると内ポケットから手帳とペンを取り出して、とあるページを難しい顔で眺めた。
「コード00、通称――ノエル」
書き込みで真っ黒になり、彼以外に解読不能なメモを目で追っていく。
追い詰められた旧ヴォルイーニ帝国が生み出した戦闘兵器とも呼ぶべき兵士。多くの魔導を使いこなし、義体化された手足を駆使して遠近両方で圧倒的な戦闘力を誇る。飛行も可能で数多の戦場で戦果を上げたという。
まさに一騎当千。彼女がいれば戦略レベルで戦況を変えられたとも噂されるも、残念ながら生み出された段階ではすでに彼女一人でヴォルイーニ帝国を救える状況に無かったらしかった。
が、今のリヴォラントに引き入れられれば、きっと現状を大きく変えられる。
戦闘力や知識、経験。それらがたとえ話半分であってもリヴォラントからすれば喉から手が出るほど欲しいものであるし、ハンネス自身も同じく期待している。
「しかしまぁ、どこまで本当なんだか……」
噂ばかりが先行して、ノエルと呼ばれるその兵士の情報はあまり多くない。戦場で膨大な戦果を上げたことや魔導、義手・義足に関しては複数の目撃情報からも確かだろうが、それ以外の情報が乏しい。
若い女性の容姿をしているらしいが、具体的な内容は曖昧だ。兵器らしく冷酷で残忍な目つきともされ、髪の色も金色だという話もあれば黒だという情報もある。
年齢も五年前の当時で二十代前半という説が一番有力だが、実は若く見えて三十歳超えという説もあったり、はたまた十歳そこそこの少女だなんて話もある。その身に精霊の力を宿しているという話もあるが、その真偽も如何ほどか。
それでも各国がこぞって彼女を引き入れようとするくらい、その実力は本物だ。
「なんとしても他所より先に引き入れたいんだがなぁ……」
けれどその兵器はヴォルイーニの敗戦と共に戦場から姿を消した。そして今に至るまで、所在はようとして知れない。他国も自分と同じように探し回っているようで、ならばどこかの国に迎え入れられたということもないはず。なんとしても先んじて居所を見つけ出して協力を取り付けたい。
――と、いつものように思考を辿って、結局は「で、どこに居るっていうんだよ」という一年間付き合い続けてきた悩みに到達し、ハンネスはテーブルに突っ伏した。
「明日の朝にはこの街を出るとして……次はどこを探せばいいのやら」
ページをめくりこれまで訪れてきた街や村のリストを眺める。そのどれもに横線が引かれていて、この一年でほぼ捜し尽くした感がある。
ひょっとしてもう近隣の国にはおらず、遠く東方へと消えたのだろうか。それとも生きているという話自体が誤りで、大戦中に死んでしまったのではないか。諦めにも似た感情がこみ上げてくるハンネスだったが、いつもの癖で近くのテーブルから聞こえてくる会話に耳を傾けていると、興味深い話が聞こえてきた。
「――そりゃさすがに嘘だろ。酒飲みのホラ話に決まってらぁ」
「いや、それがだな。どうやら本当らしいんだよ。迷宮の中の、奥の方の分かりづれぇところなんだがそこに酒場があるのを見たって奴がいるらしい」
「ほーう? らしい、らしいって言ってるが、酒場を見たってやつは中に入ったのかよ?」
「い、いや。さすがに怪しくて近づくのは止めたみたいでな。だけど店に明かりは点いてて、人影もあったらしいぜ」
「はぁ、店員も毎日わざわざ迷宮の中まで通ってんのかねぇ。それとも店に住んでんのか。どっちにしろ、迷宮内に店建てたってモンスターの餌食になんのがオチだ」
「テメェが無邪気に人の言う事を信じるから面白がってかつがれたんだよ」
「そうかなぁ。俺は本当だと思うんだけど……」
「ま、酒飲み話としちゃ面白いのは認めるがな。ていうか、だ。そもそもテメェは人の話をホイホイ信じすぎんだよ。この間だってなぁ――」
話題が迷宮内にある店の話から男への説教へと変わっていったところで、ハンネスは意識を一旦そのテーブルから外した。
(迷宮、か……そういえば今までちゃんと調べたことなかったな)
迷宮というのは外に拠点を構えて一日、あるいは数日かけて潜っていくものだ。
普通に考えれば迷宮の「中」に拠点を構えるということはありえない。ずっと狭い空間の中で過ごすことになるうえに二十四時間モンスターの驚異にさらされることになる。気の休まることがないそんな生活を、人間が何年も続けられるはずがない。
「でも、彼女ほどの実力があるなら――」
ひょっとするとあり得ない話でもないのかもしれない。さすがに店だとかの話は眉唾だろうが、迷宮の中に住居を構えている可能性そのものを除外すべきではないだろう。それでも可能性はゼロに近いだろうが。
(いいさ、どうせダメ元だ)
ここまでの一年間、調べ続けてまったく手がかりが無かったのだ。つまり、真っ当な調査ではこれからも何も情報が出てこないに違いない。なら、調べる目先を変えてみるのも悪くない。
ハンネスは席を立ち、カウンターで新しいジョッキを注文した。そしてこぼれそうなくらい注がれたビールを片手に、陽気な笑顔を貼り付けて先程耳を傾けていた男たちのテーブルに座ったのだった。
「やあ兄弟、飲んでるかい? ところでさっき、面白そうな話をしてたけど――良かったらもっと詳しく聞かせてくれないかい? もちろん酒代は僕のおごりだ」
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