3-1.姉ちゃんを――助けてくださいっ!
少年の姿を観察する。背丈は私よりも頭半分ほど大きいけれど、それでもまだ成長期前くらい。顔立ちは幼く体つきも細い。珍しい黒髪を短く刈り込んでいて、チェックのシャツを腕まくりしジーンズをサスペンダーで止めている。
特徴らしい特徴といえば、やや鼻のところのそばかすが目立つくらい。この町に住む少年だろうけれど、少なくとも私の記憶にはないので初対面のはずだ。
「なに?」
呼ばれたので返事をしたのだけれど、少年は口を開きかけてはためらった様子を見せてなかなか言葉が出てこない。耳を澄ませば音を拾えるくらいに心臓の鼓動が大きく、顔にも汗がにじんでいるので緊張しているものと推測する。
「用が無いなら失礼する」
「あ、あのさっ!」
このまま待っていても時間が過ぎるばかりなので私が立ち去ろうとする素振りを見せると少年は慌てて追いかけ、また話しかけてきた。
「さっきのって、お前がやった……んだよな?」
「さっきの、とは?」
「フィリップとその取り巻きの奴らをこう……ボコボコにしてたの」
ボコボコ、と表現されるほど痛めつけてはいないけれど質問の本質には肯定である。なので首を縦に振る。
すると、さらに「怖くなかったのかよ?」と問われたのでもう一度うなずく。特段フィリップたちが強いわけではないし、怖がる要素がない。とはいえ、体も大きい彼らと対峙するのは少年からすると恐ろしいというのは理解できる。
「そっか……お前、スゲェな。俺より年下なのに。俺も町の連中もみんなアイツとその親父が怖くて、どんだけ好き勝手されても文句も言わない……言えないんだ。逆らうと何されるか分かんねぇからさ」
ユハナはギルドでも誰も手出しできないと言っていたけれど、町中でも同じ状態らしい。実質的にツヴァイク家がこの町を支配していると考えて相違なさそう。
「怖くないのは私がそういう風に訓練させられたからというのと、もっと怖いことを知っているから。それに私はこの町の人間じゃないので彼らに生活を脅かされる危険性も皆無。それと、私はおそらく貴方より年上」
「へ? ……冗談、だよな?」
「冗談ではない」
私の体格からすると、年下と思われてもしかたがないが。
否定しても少年の目は明らかに信じていなかった。なので胸元から探索者ライセンス証を取り出して見せると、また少年の目が丸くなった。
「……十七歳!? マジでっ!? 俺より六つも年上じゃん!? しかもこの色って、確かS――」
「ストップ」
あまり見せるなと言われているライセンス証だけど少年なので問題ないと判断したが、ライセンス証の色のことは知っていたようだ。
「口外しないことを要求する。貴方に見せたのは年齢を確認させる目的のみ」
「あ、ああ……分かった、いや、分かりました」
「言葉遣いを変える必要はない。砕けたままで構わない」
そう伝えたものの、少年の私を見る目つきは変わっていた。話していて緊張が解けたのか途中から硬さはなくなっていたけれど、今はキラキラした目で私を見つめていた。こうした目で見られることはないので、少し恥ずかしい。
けれど、すぐに彼の表情が曇った。顔を伏せて考え込み、思い悩んでいる様子が窺える。
どうしたのだろうか。首を傾げていると少年が顔を上げ、それから腰を折り私より高いところにあった頭を勢いよく下げてきたのだった。
「お願いがあるんだ! 姉ちゃんを――助けてくださいっ!」
「遠慮なく入ってくれよ。汚いところだけどさ」
道すがらアルトと名乗った少年は、そう言って私を招き入れた。
姉を助けてほしい、と突然頼まれたわけではあるが、とりあえず詳しい話はアルトの自宅で聞くということになりこうしてやってきた次第で、固く締め切られていた扉を押し開けて彼が入っていく一方で、私は家の外観を見上げた。
二階建てで、一階の正面入口の見た目から判断するに何かの店舗と思われる。ただし、その看板は掲げられておらず何を取り扱っているかまでは不明。
家の中に入ると、窓は締め切られていて中は暗かった。掃除もあまりしていないようで埃と幾分カビの匂いがする。アルトが締め切っていた窓を順々に開けて回ると、先程まで迷宮の中みたいに暗かった店内が、照明なしで過ごせる程度には明るくなった。
「ちょっと待っててくれよ。そこの椅子に座ってていいからさ」
そう言ってアルトは家の奥へと引っ込み、一人残された私は周囲を観察した。
壁際や床上には棚が設えられ商品と推測される物が並べられていたが、手入れされていないようでいずれも埃を被っていた。
その一つを適当に手に取り、埃を払う。見覚えのある馴染み深い形のそれは魔導具で、棚の他の物も迷宮探索によく使う物ばかりだった。どうやらアルトの家は魔導具を扱う店らしい。
手に取った魔導具に魔素を流してみる。すると魔導具から柔らかい光があふれて、店内の空気が清浄されたように感じられた。思ったとおり、これは低級のモンスターを遠ざける結界発生装置らしい。手入れはされていないけれど魔素の流れ具合や迷宮外のここでも分かる空気の清浄化具合からしてみても品質はかなり良好と思料する。
魔導具を棚に戻し、改めて店内を見渡す。どこも埃塗れで、床ではアルトの足跡が埃の上にハッキリ残っている。何も入っていないショーケースや棚の上も埃塗れで、残念ながらお世辞にも清潔感があるとは言えない。
「えーっと……あれ? あれどこいったっけな……?」
奥の方からアルトの声が聞こえてくる。まだ時間はかかりそうだ。
床をもう一度見る。やはり埃が気になる。伊達にメイド服を着ているわけではなく、私はキレイ好きなのだ。
「……あった」
カウンターの奥にある作業部屋と推測されるところに入り、ロッカーを開けると掃除道具を見つけたので勝手に拝借する。
店に戻ると風魔導で棚の埃を吹き飛ばし、風に乗せて一箇所に集める。次にバケツに水魔導で水を溜めて雑巾を濡らし、ショーケースから拭いていく。
一人で勝手に汚れた店舗を掃除していく。気がつけば私は無心で拭き掃除に集中していた。
そうしていると、アルトの足音が聞こえてきた。そこで私は気づく。購入してもいない商品を磨き、人の家を勝手にキレイにしているという事実に。
ひょっとしなくても、私はかなり差し出がましいことをしているのではないだろうか。そこに思い至ったけれど時すでに遅し。
「ごめん、お客さん用のお茶が見つからなくって……何やってんの?」
「……掃除」
トレーにお茶を乗せてやってきたアルトがポカンとし、私は彼からそっと目を逸らしたのだった。
彼も店が汚れていることを気にしていたらしく、結局私たちはそのまま店の掃除をすることにした。
「この店は親父と母ちゃんの夢だったんだ」
バケツにモップの水を絞りながらアルトは話し始め、私は棚を磨きながら耳を傾ける。
「親父は元々探索者だったらしくてさ、他所の町で迷宮に潜ってたらしいんだけど、たまたま何かの用事でここに来た時にこの町に惚れたんだとよ。俺からしたらここのどこが良いのかさっぱり分かんねぇんだけどさ」
「同意する」
「……ちょっとは気を遣えよ」
私はこの町に魅力を感じない。が、アルトの父親にとっては何か琴線に触れる部分があったのだろう。それ以来、アルトの父親はこの町を拠点に探索者として活動し始めたのだとか。
だが迷宮で負った怪我が原因で程なく引退。落ち込んでいた彼に声を掛けたのがここエナフ出身のアルトの母親で、それをきっかけに交際、結婚に至ったらしい。
その後、探索者時代から興味があった魔導具の店で働き始めると、元々手先も器用で才能もあったのか、わずか数年で一端の職人になった。アルトと姉も生まれ、母親も出産まもなくから懸命に働きつつも慎ましい生活をしてお金を貯めて、やがて夢見ていたエナフの町で自前の店――つまり私たちがいるこの店を開くに至った。
「夢が叶ったんだって。まだ小さかった俺や姉ちゃんに、母ちゃん嬉しそうに話してくれてたなぁ」
記憶をたどるアルトは嬉しそうに笑いながら話を続けた。独立を果たしただけでなく、どうやら商売も順調だったらしい。
「俺には分かんないけど、親父の腕はかなり良いものらしくてさ。この町だけじゃなくて、他所の街からも親父の魔導具を買いに来る客だっていたんだ。だから親父も張り切ってさ。飯食ってる時と寝てる時以外、ずっと工房にこもって研究してた」
それは分かる。先程商品を見せてもらったけれど、どれも高品質でその割に安価。たぶん、ルーヴェンにあるどの魔導具屋よりも性能は良いと思う。
商売も繁盛し、腕も世間に認められた。なのに今はこうして商品は手入れもされず、店も埃を被ってしまっている。いったい何があったのか。
「……アイツらがこの町に来てから、ダメになっちまったんだ」
「アイツら、とは?」
「フィリップたちだよ!」アルトが吐き捨てた。「アイツら親子がこの町に来て……何もかもがすっかり変わっちまったんだ」
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