6-1.私は――私の願いを叶えるの!
「っ……!?」
情報の濁流が通り過ぎて、完全に飲まれていた私の意識が現実へと引き戻された。
眼の前には必死の形相で剣を振るうヴェネトリアがいて、途絶える前の状態とほとんど違いはない。つまり私の意識が飲み込まれていたのは、現実にはほんの数瞬にも満たなかったということだろう。
そして、理解した。
「今のは、貴女の記憶……?」
「そうよ!」
ヴェネトリアの白い剣と私の黒い剣が何度目かの交差をする。一旦距離を取って冥魔導を展開すると、彼女もまた白魔導を放って私のそれとぶつかり合い、黒白入り混じった光が激しく撒き散った。
「私にもノエル、貴女の記憶が流れ込んできたわ」
彼女の目からは、涙が流れていた。同じく、知らず私も頬を濡らしていた。
「どうしてそんなことが?」
「魂が共鳴しているからよ! さあ、儀式はもう止まらないし止めさせはしない! 私は――私の願いを叶えるの!」
理論的なことは不明だけれど、たぶんヴェネトリアの言葉は真実なのだろう。魂の昂りは激しくなっていて、私の魔導と彼女の魔導がぶつかり合う度に先程の情景がフラッシュバックしてくる。
脳裏に、彼女の息子の姿が何度も過る。彼女が口にしていた願い、それが何なのかようやく分かった。
彼女は、ひたすらに願っているだけだ。死んだ子どもと再会することを。そして彼女へと理不尽な苦難を次々に与えてくるこの世界そのものを憎悪している。だからこそ、願いを叶えるために世界がどうなろうと構わないのだと思う。
「それも、しかたない」
彼女の記憶を見た今となれば、そうなっても無理はないと思う。確かにこの世界は、ひどくバランスを欠いていると思う。数少ない誰かに一方的な理不尽を強いていることも多い。だけど、それでも。
「私は、この世界を選ぶ」
シオがいるこの世界を望む。それは刹那的な感情によるものかもしれない。シオとの関係も普遍的なものではなく、望まない方向に変化する可能性もある。それでも私は、今を大切にしたい。
「だから――退かない。ヴェネトリア、貴女を倒す」
「だったらやってみなさい!」
想いを強くし、魔導の一つ一つに込める魔素を増やしていく。魔法陣構成上の限界まで魔素を込めて魔導を暴風のようにヴェネトリアへと放つ。
ヴェネトリアもまた同じ。彼女から放たれる白魔導も明らかに威力が増していて、そして私たちはそんな魔導の嵐の中を全力で飛び回った。
交差、離脱、交差、離脱。耐えて反撃し、反撃した後でまた耐える。幾度もぶつかっては離れ、けれど未だお互いに決定打には至らない。
「……っ!」
胸の奥がきしむ。せっかく思い出した記憶が、少しずつこぼれ落ちていく気がした。冥精霊も私の中で悲鳴ではないけれど、それに近い声を上げている。
限界が近い。私は直感した。儀式の完成まで時間が無いことも問題だけれど、私自身の魂の器も、このままだと長くは持たない。
精霊の力をフルに使った戦闘は負荷が大きすぎる。だけど、ヴェネトリアとの戦いで出力を落とすわけにはいかない。
(あと、少しだけ――)
耐えてほしい。胸の痛みが次第に体全体へと広がっていくのを感じながら、シオのいる世界を守るためにそう願った。
――と、不意にヴェネトリアが動きを止めた。
「……?」
何をするつもりだろうか。呼吸を整えながら警戒態勢を取る。だけど数秒経っても彼女からの動きはない。
こちらから仕掛けてみるべきか。そう思い動き出そうとしたその時。
「う……、う、う……」
微かな唸り声が聞こえてきた。警戒しながらも、ゆっくりと彼女の様子を窺える位置に移動する。
ヴェネトリアの額にはびっしりと汗が浮かんでいた。歯を食いしばり、瞳は私の姿を追ってはいるものの反応が鈍い。何より、体が小さく震えていた。
何かに耐えているかのようで、やがてその震えが大きくなっていく。呼吸も荒くなり、そうして――
「■■■ぉぉぉ■■っっっっ――!!」
突如、獣のような咆哮を上げた。
「うっ……!」
声からでさえビリビリとした衝撃が伝わってくる。瞳は正気を無くしてて、怒りにも似た顔で私に明確な殺意を向けていた。
「■■■ぁぁぁっっっっ――!!」
「っ……」
もう一度雄叫びをあげ、白魔導が彼女の周りで一気に展開されていく。
ただし、その規模は尋常じゃなかった。
今までの戦闘でも尋常では無かったけれど、それでもまだ理解の及ぶ範疇だった。けれど今、目の前で彼女が展開したのはその比ではない。
ぎっちりと、隙間なく幾重にも重なった魔法陣。間隙がないという意味では脅威ではあるものの、大半が重複していて非常に無駄が多い。いったい、どうして彼女はこんなふうに展開したのだろうか。
疑念を抱いている間に、それらの魔法陣から一斉に私へと魔導が放たれる。ぎっしりと密になった魔導攻撃は、さすがに回避する隙間がない。やむを得ない。黒い膜を周囲に展開して耐える選択をした。
――の、だけれど。
「……っ!?」
彼女の白魔導が黒い膜に激突し、そのまま消滅――することなく私の魔導を侵食してきた。白が黒を飲み込み、そのまま白い刃となって私を貫こうとしてくる。
おかしい、さっきまでは私と彼女の魔導は拮抗していた。魔導の構成は変えていないし、魔素の量は増やしている。考えられるのは、彼女が魔素の量や構成を変えた可能性だけれど、それにしてもこんなに劇的に変化するとは思えない。
ともあれ、膜は破られたものの多少は敵魔導の軽減に成功している。生じた魔導の雨の隙間をかいくぐって回避していく。そして反撃の機を窺おうとした。
でも、ヴェネトリアの姿がいつの間にか消えていた。
「どこに……?」
次の瞬間、ゾッと背筋に嫌な感覚が過ぎった。かつての戦争中にも何度か感じたことがあるそれ。戦場に出始めた当初は軽視していたけれど、だいたいその場合には痛い目を見てしまったので、今ではその感覚を疑うことはない。
目視する前に直感で急降下する。直後に頭上を何かが通り過ぎる。振り返れば、白い剣を振り抜いた姿勢のヴェネトリアがいた。
いつの間に後ろに回っていたのだろうか。そこを考察したいけれども、彼女の反応がそれを許してくれそうにない。
血管が浮き出て正気を失った顔で低くうなり、迫ってくる。その速度は凄まじい。しかも動きは不規則。近接戦でも異常な速度と角度で剣を振り回してくる。
(データ収集が必要と判断する……!)
現状で攻撃に転ずるのは不可と思料。致命傷だけは避け、細かい損傷はやむを得ないものと割り切る。
回避に専念するけれどそれでもなお彼女は私に付いてきて、かすめた攻撃が私を引き裂いていく。白魔導のせいで傷は回復せず、鮮血が私の服を汚していった。
(まだ、まだ……)
自分の内にだけ魔導を構築し、待機させておく。集中し、ヴェネトリアの挙動から目を離さずに、いつか訪れる好機をひたすら待つ。
そして、その時が来た。
私を執拗に追いかけ続けていた彼女の動きがピタリと止んだ。同時に一際大きい咆哮――というよりも悲鳴に近しいと思える叫び声を上げて自身の肉体を抱きしめる。
彼女の体が、至るところに突然裂傷が生まれ、血が次々に噴き出していく。彼女の白い肌が赤く染まっていって、その事象があたかも彼女の限界を示しているように私には思えた。
「ああぁ■■ぁぁっっ!!」
頭を抱え、叫びながらデタラメに白魔導を放ってくる。最早私の姿は見えていないようで、ただ苦しげに暴れるばかりだ。
たぶん彼女は限界を超えて動いていたのだと思う。魂の共鳴はいつの間にか消えている。きっと、彼女の魂の器は壊れてしまったのだ。
あれは、もう少し先の私の姿。私自身の魂も、未だきしむ音を奏でている。でもこの機を逃す理由はない。私は待機してあった冥魔導を展開した。
頭に描いた私の虚像をヴェネトリアに重ね、一緒に貫いた。空中から飛び出した黒い棘が四方から貫通し、彼女が漏らした苦悶の声が風に乗って届いた。
ヴェネトリアは腕を暗くなりかけの空に伸ばし、力を失ってダラリと落ちる。彼女がつかみたかったものを私は差し出してあげられなかった。だから、せめて遺体は丁重に葬ってあげたい。そう思って串刺しにされた彼女へと私は近づいた。
けれど動き出した直後――衝撃が私を襲った。
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