3-1.最もエネルギーを発生させる感情は何?
「状況は?」
廊下をヒールで打ち鳴らしながらヴェネトリアは「1番」に尋ねた。
常にヴェネトリアに付き従っているメイド服の彼女は、きっちり半歩後ろを歩きながら淀みなく回答した。
「目論見通り戦火は順調に広がっています。聖フォスタニアとエスト・ファジールは互いに宣戦を布告。サンクルス神国は双方を非難する声明を発表していましたが、逆に双方から忍び込ませていた諜報員を明るみに出された挙句に宣戦布告されてそちらにも攻撃が開始されました。北方連邦もこれを機に参戦し、プレゼンスを向上させようと躍起になっている模様です」
「それは重畳。やっぱり実力行使が起きると拡大も早いわね。もっとも、どの国でも長らく疑心暗鬼や相互不信がくすぶっていたからこそなのでしょうけど」
現状でのバランスを望んだ和平推進派も多くいたが、実際に戦端が開かれてしまった今となっては彼らはみな、蚊帳の外に追いやられてしまっている。それまでどれだけ発言力を持っていようとも、こうなってしまえば言葉を尽くしたところで空虚でしかない。なぜなら、実際にどの国も攻撃を受けてしまっているのだから。
「どこの誰が最初に手を出したとかは関係ないものね。現実に攻撃を受けてしまえば、黙って耐えるという選択肢は存在しない。どんな穏健な国であっても、やられっぱなしは国民が許さない。そこに人間という存在の業と限界が詰まってるとも言えるし、所詮その程度の存在でしか無い」
「人間はひどくエゴで、悲劇を生み出し続けるものです。少なくとも私にとっては存在する意味はありません」
「……私のエゴに付き合わせてごめんなさいね」
「お母様が謝る必要はありません。私たちはみんな自分たちでお母様についていくことを選びましたので」
「1番」がハッキリと告げる。自身を含め「娘」たちは全員「お母様」に感謝しているのだ。ただ死に向かっていく者、肥溜めの中で絶望しか見えなかった者……拾われるより前の生活を思えば、お母様のために命を費やすことこそが生きる意味だと思える。それがたとえ、第三者から見て歪な願いであったとしても。
「一つ質問をお許し頂けますか?」
お母様にこれ以上申し訳なさそうな顔をさせるわけにはいかない、と1番は話題を変えた。
「お母様が利用した装置……あれはいったい何なのでしょうか? 古代の遺跡とは伺っておりますが」
彼女のいう装置とは、世界の各所にそびえる古びた塔のことだ。大きく六本が大陸から天空を貫き、肉眼で目視できないほど遥か上空で環状につながるそれは、彼女が「1番」となる以前から当たり前のように存在していた。しかし機能しているとは聞いたことがない。完全に朽ち果てたそれをお母様が復活させたらしいが、何の設備であるかずっと気になっていた。
「私が復活させたわけではないわ。あれはずっと昔からちゃんと動いていたのよ」
「そうなのですか?」
「ええ。私がしたのは、ただシステムに介入して『感度』を上げただけ」
「では……あれはどういった機能を持つものなのでしょう?」
「そうね……ねぇ、初歩的な話だけど、魔導を使う時に必要となるものは何かしら?」
「それは」1番は困惑しながら答えた。「初歩的な話、とおっしゃられたところからも、素直に魔素かと」
「正解よ。なら、その魔素はどこからやってくると思う?」
問われて、1番は自分が答えを持っていないことに気づいた。
魔素はそこにあるのが当たり前のものだ。空気が、酸素がどこにでもあるように、濃度の濃淡はあれども魔素もまたどこにでもある。「どこから」など考えたこともなかった。
と同時に。ヴェネトリアがこのタイミングでこんな問いをしてきたことで彼女は理解した。そのことをヴェネトリアも察して歩きながら微笑む。
「想像したとおりよ。あれは、魔素生成装置なの。正しくは『循環』装置らしいけれど」
「循環、ですか?」
「らしいわ。原理は結局解明できてないから私なりの理解で話せば、あれは工業生産などから排出される汚染ガスを回収して魔素に変換する装置みたい。魔素は濃縮されて地中深くに埋め込まれ、少しずつ魔晶石となって析出し、資源となって再利用する。そうしたシステムをかつての文明を構築していたの」
なるほど、と1番は合点がいった。
今回の計画には莫大な魔素が必要だ。世界中から汲み上げてはいるが、それでも十分な量が確保できる見込みが得たとは言えない。だからこそヴェネトリアは古代のシステムに介入して魔素を多く排出するよう変更を加えたということか。
だとして。
「ということは、各地で戦禍を拡大させていっているのもそれと関係があるのですね?」
これまでは、単にお母様の計画を邪魔されないよう世界を混乱させるために戦争を引き起こしたのだと思っていた。しかし今の話を聞くと、他にも何か意図があるのではないかと思えてしまう。
果たして、ヴェネトリアはうなずいた。
「いくら古代の優れたシステムであっても、元あるものをまったく別の物に変換するにはエネルギーが必要。そしてこのシステムの構築者が選んだのは――人の精神」
「人の精神、ですか?」1番は首を傾げた。「まったく想像がつきませんが」
「感情エネルギーと言い換えてもいいわね。抽出できる感情エネルギーは、一つ一つは小さいけれどその膨大な数のおかげで確保できるし、なにより、エネルギーを使用しても汚染ガスを発生しない。汚染ガスを清浄するために汚染ガスを排出していたら本末転倒だもの。
さて、また問題よ。エネルギー源は多いとはいえ、一つの源から取り出せるエネルギーは多いに越したことはない。なら、最もエネルギーを発生させる感情は何かしら?」
1番は道に迷うことなく答えへとたどり着いた。いつの時代であっても答えは決まっている。
怒りだ。そして、それを大量に引き起こす最も都合の良い手段は――戦争である。
「……しょせん人間なんて種に価値なんてないわ。エネルギー源として搾取されるのがちょうどいいくらいよ。いいえ、それすらも過大評価かもしれないわね」
彼女の人類という種に対する恨みは根深い。「1番」はそのことを十二分に理解していて、彼女自身、自らを含めた人間に絶望したうえでここにいる。なので、ヴェネトリアの決断にそれ以上口を挟むことは無かった。
ヴェネトリアの脚が止まる。彼女の前には大きな扉があった。その奥にいるであろう連中を思い浮かべて、彼女は鼻で嘲笑った。
バタン、と大きな音が響いて扉が開き、中にいた男たちが談笑を止める。そしてヴェネトリアの姿を認めると一瞬真顔になってから、満面の笑みを顔に貼り付けた。
「おお、我らが女王様がようやくご登場ですな」
わずかに揶揄するような響きを含んだそれが、スピーカー越しに聞こえてくる。
この部屋にいる男たちはすべてホログラム映像だ。各国の重鎮政治家、兵器を売りばらまく超巨大企業のトップ、魔導を管理する魔導協会の副会長、そして世界中に信者を持つ神国の枢機卿。映像越しではあるが世界を牛耳る面々がまさに一同に介したここは、裏の首脳会談場とでも呼ぶべき場所であった。
円卓状にホログラム映像が並び、空いた一角へヴェネトリアが近づいていく。と、ゆったりとしたペースで拍手が打ち鳴らされる。
「お手並み拝見させて頂きましたよ。いやはや、見事でした」
「左様。まさか本当に宣言どおり世界を巻き込んだ戦争を引き起こすとは」
「どうやら君を見くびっていたようだ。謝罪しよう」
「お褒め頂き、恐縮ですわ」
これまで幾度となくこの会合に参加していたが、ヴェネトリアのための席など用意されたことはない。それがこうして準備されているということからも、彼らの喜びぶりが手に取るように分かる。
口々に称賛する彼らに恭しく一礼しながら、彼女は席に座り口元に笑みを浮かべた。
「申し上げましたでしょう? 決して皆様を後悔させないと」
「ああ。半信半疑ではあったが、君の言葉を信じて良かったと心から思ったものだ」
「ひと稼ぎ、という言葉では足りないほど稼がせてもらった。感謝するよ」
「長い年月で歪んできた秩序。これを我々の手で再構築することが可能となりますな」
「うむ。進みすぎた時計の針は戻し、遅れたら自らの手で進めてやらねばならぬ。だが、まずは功労者に褒美を与えてやらねばな」
「そうですな。おめでとう、ヴェネトリア・トリステメーア。本日をもって君は正式にこの会の一員となるに足る資格を有すると認められた」
「光栄です」
「今後もその資格にふさわしい――」
「ですが結構ですわ」
正面に座る、痩せこけた白髪の紳士がヴェネトリアへ正式な通達を伝えるも、彼女はそれを遮って拒否した。
称賛に満ちいていた会の雰囲気が途端に一変して不穏に。主宰たる正面の老紳士も鼻白んで彼女を鋭くにらみつけた。
「聡明な君のことだ。すべてを理解の上だと思うが……改めて確認しよう。結構、というのは我々の招待を拒否する意思表示とみなして良いかね?」
「ええ、そのとおりですわ。だって――今日消える会なんて、入っても意味が無いでしょう?」




