8-4.二人とも大切な『生徒』でしょう?
長く伸ばしていた左の前髪をクラリスが掻き上げた。露わになった顔の左半分。そこに右手を強く押し当て、擦るように手のひらを下へと押し下げていった。
手の動きに合わせて雫が滴り落ちる。ずるりと化けの皮が剥がれ落ちていく。優しげだった目元が鋭い視線へ、健康そうだった肌は病的なまでに白く変化していく。口角は少し下がり気味で、けれど手が通過すると不敵な弧を描き出す。やがて彼女の手が顎まで達した時、火傷の痕が露わになった。
それは酷い火傷の傷跡だ。左目の周りと頬にかけて皮膚が爛れたままになっていて、なんとも痛々しく見える。だけど人目を引くそれが、私には異なる意味を持って記憶をまさぐってくる。
(白い部屋――)
忘れていた記憶がフラッシュバックした。白く、血の匂いが染み付いた嫌いな部屋。たくさんの「友達」が体を改造され、そして死んでいった場所。
一見キレイに掃除していても拭いきれない血の跡が残ったベッドに私は乗せられて、たくさんの人間に蹂躙された。
激痛に泣き叫んで、それでも大人たちに手足を押さえつけられ、抵抗できないまま私も改造されていく。今の知識を以てしても理解できない複雑かつ緻密で精巧な魔法陣が浮かび、私を内側から変えていく。「■イリ■・■■■ヴ■ンド」という人間を根本から作り変えていく。生きながらにして、殺していく。
やがて記憶にノイズが走った。鮮明だった記憶が加速度的に傷ついていき、けれど……けれど最後に、私を改造した連中の、そのさらに中心人物の顔が浮かんできた。そこには特徴的な傷跡があった。
クラリスのそれと、まったく同じものが。
「先生ッ!?」
気づけば私は引き金を引いていた。巨大な弾丸が明確な殺意となってクラリスの頭めがけて襲いかかる。
だけど弾丸は届かなかった。クラリスの前に薄白く発光する壁が作られ、十四.五ミリ弾を明後日の方向へと弾いてしまった。
「その様子だと、私の記憶を呼び起こさせてしまったみたいね。申し訳ないわ」
「……その謝罪は、何に対して?」
「辛い思いをさせたことに対して、よ。貴女と精霊の親和性が凄く高いことは分かっていたの。貴女をひどく傷つけることは分かっていた。それでも、どうしても技術を確立させる必要があったの。今さら謝っても何の意味のないことは分かってるわ。けれど、たとえ許されないとしても、せめてそれくらいはすべきでしょう? 人間として」
「……謝罪は受け入れる。代わりに教えてほしい。私を精霊と融合させたのは戦争のため? 人を、たくさん殺すためだった?」
否定してほしいと思いながらも、私は悲観的だった。クラリスは首を縦に振るだろうと思っていて、だけど意外にも彼女は首を横に振った。
「別に。そこには興味は無いわ。ヴォルイーニ帝国とは、そこは最初から干渉しないという契約だったもの。彼らは勝てる見込みのない戦争に勝つ手段を求め、私は検体と技術の向上、それと資金を求めた。戦争は主目的じゃないわ」
「なら問う。私を作った目的は何?」
「私の望みのため」一切の逡巡なく、彼女は言い切った。「戦争に使われるとは分かっていたけれど、当時の私にとって私の願いを叶える方法、それを磨き上げるには絶好の機会だったから向こうの提案に乗っかった。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「ならば、その目的は?」
その問いに、彼女は微笑んだだけだった。どうやら教える気はないらしい。
「問いを変える。体調不良で休暇中のはずの貴女がここにいる理由は?」
「謝罪を受け入れてくれた対価はもう払ったと思うけど、特別に教えてあげる。貴女を作ったのと同じ目的。そのためにはここに来る必要があったの」
「く、クラリス先生?」ロランが明らかな困惑を浮かべていた。「さっきから何を……?」
「先生業はもうお終いだけど教えてあげるわ、ロラン、マリア。貴方たちが経験してきたこの迷宮の異変、いえ、成長と言うべきね。それはすべて私が引き起こしたということよ。もっとも、この成長は副作用みたいなものだけれど」
クラリス、いや、ヴェネトリアが私の方へ歩いてくる。彼女は私に用事があるらしい。発砲したいところだけれど先程の障壁のようなものを考えると、おそらくは無駄に終わる。ならば、と私は冥魔導を発動させようとした。
だけれど冥魔導が実際に展開させるよりも前に、ヴェネトリアが首を緩々と振った。
「抵抗しないでちょうだい。こんなことはしたくないのだけれど」
そう言うと彼女の頭上、正確には私たちが落下してきた縦孔の壁一面に魔法陣が浮かび上がった。ぎっしりと魔法陣が敷き詰められたそれを見て、私は理解した。
彼女が展開した魔導は、冥魔導と同じくらい使い手の少ない白魔導だ。そしてさらに都合が悪いことに――その魔法陣に込められた魔素が凄まじい。想定するに、私たちを生き埋めにするには十分過ぎる威力のはず。
「ノエル。貴女なら死ぬことはないでしょうけど、ロランとマリアはどうかしらね? 二人とも大切な『生徒』なのでしょう?」
「クラリス先生……」
「私たちは……クラリス先生にとって大切な生徒では無かったということでしょうか?」
「いいえ、そんなことはないわ、ロラン、マリア」ヴェネトリアは小さく微笑んで首を横に振った。「貴方たちも大切な生徒よ。平時であればなんとしても助けてあげる、それくらいの慈悲と愛情は持ち合わせているつもり。ただ、今回は例外。私の目的に対して貴方たちの命は比べるべくもないの。
さて、ノエル。貴女はどうする?」
以前ならば悩むまでも無かった。兵器である私の命は軽い。他の誰かを守るために存在し、そのために「壊れる」のであれば本望だと思っていた。
だけれど今は違う。違ってしまった。生徒たちを守るべし、という使命と私自身が「生きたい」と願う気持ちが拮抗している。シオのところへ帰りたいと、欲求が私を突き動かそうとしてくる。
ヴェネトリアに向けた銃口が震える。そんな私に、彼女が慈しむような瞳を向けていた。
やがて、私は銃口を下ろした。
「賢明な判断よ、ノエル。大丈夫、これからすることは痛かったりしないから。それに――貴女にとっても悪い話じゃないわ」
眼の前にまで近づいた彼女が私の頬を撫でた。それから私の胸部に手を伸ばし、何か呪文らしきものを詠唱した。
すると彼女と私の間に魔法陣が出現した。ヴェネトリアが手を差し込むと魔法陣の中に消えていって、遅れて私の体の中で途方もない違和感が襲ってきた。
「う……」
思わず声が漏れる。私という存在の中身を直接いじられているような不快感。直接的な痛みも苦しみもないのに、何故か苦痛を感じてしまう。嫌悪感と表現するのが適当かもしれない。
「前に六番の娘が、貴女の中の『鍵』を開こうとして同じようなことをしたのだけれど、失敗……というよりも十分に開いてあげることができなかったみたいなのよ。だからこうして私が直に作業をしてるわけなのだけど――」
彼女が何かを言っているけれど、あまりの不愉快さに理解する余裕がない。反射的に体がビクンと跳ね、思わず彼女めがけて発砲してしまいそうになり、それを堪えるので精一杯だ。
どれくらい彼女は私の中で「作業」をしていただろうか。やがて不快さが不意に消え去り、とてつもなく濃い疲労が襲ってきて勝手に膝が折れる。
そしてそれとほぼ同時に、私から手を引き抜いたヴェネトリアの体もグラリと傾いて――いつの間にか現れた女性がそれを支えた。
「大丈夫ですか、お母様」
「……ええ、大丈夫よ。少し熱中しすぎたみたいね」
見上げる。現れたのは私と同じくメイド服を着た女性。長く白い髪を簡素で後ろに結んで、ヴェネトリアの額に浮かんだ大粒の汗を甲斐甲斐しくハンカチで拭いていた。それから困ったようにやや眉尻を下げると、小さくため息を漏らした。
「無茶をし過ぎです」
「ごめんなさいね。でも生き別れた『最初の娘』との絶好の機会だったもの。どうしてもノエルの姿を近くで目に焼き付けておきたかったのよ」
「お気持ちは分かりますが、もう少しご自愛ください」
白髪の女性にたしなめられているのに、ヴェネトリアはどこか嬉しそうに微笑んだ。女性の頭を撫で、そしてしゃがみこんだ私にも同じように頭を撫でた。
「すでに一度『門』は開いているから、すぐに力は馴染むと思うわ。そうすれば直に疲労も抜けていくから心配は不要よ」
つい先程まで疲労で立つこともままならなかったのに、彼女の言うとおり今はもう疲労感は体にほとんど残っていない。代わりに一体化していたと思っていた精霊の力、それがこれまで以上にしっくりくるほど馴染んできているのがよく分かる。
もっとも。
「……お腹空いた」
「それも大丈夫。もうすぐたくさんの食事が来るから」
無自覚に訴えてしまった飢餓感に、彼女はそう答えた。むぅ、この飢餓感は魔素の不足によるものと推測されるので、食事での補給は難しそうではある。ルーヴェンに帰ってクレアから補給するまで我慢できるだろうか。
そう思っていたら、また振動が地面を揺らし始めた。ただしこの振動は、これまでの迷宮全体を揺らす振動ではない。どちらかと言うと――足音に近い。
「な、なんだ……?」
「気をつけろ、ロラン。たぶん、モンスターの足音だ。いつでも戦える準備を――」
マリアがロランに警戒を促す。
その直後――轟音を立てて壁の一角が砕け散った。
細かく砕かれた破片が雨のように降り注ぎ、その隙間から赤い瞳と、荒く獰猛な呼吸音が響く。
そうして現れたのは、発達した牙と頑丈そうな鱗を持ったドラゴンだった。
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