7-1.まったく、品性の欠片もない
「いよいよ始まりますね」
私の隣からシオの幾分緊張した声が聞こえた。それに私もうなずく。
今、私たちの前に鎮座しているのは王都近くにある迷宮の入口。Cクラスダンジョンで、事前に聞いた情報によると階層は地下五階。横方向への広がりはそれなりにあるものの、たぶん私やシオが本気を出せば一、二時間で往復できるくらいの大きさだ。
いよいよ王立学院の迷宮探索研修が始まる。眼の前の迷宮はなるほど、広さといいモンスターのレベルといい、生徒たちの研修対象としては程よい難易度かもしれない。それどころか、私の課した訓練を乗り越えてきたグレッグたちなら簡単に感じるんではないだろうか。
それでも。
「なんだか……僕らの方が緊張しちゃいますね」
「まったくの同意」
聞こえてくるシオの心臓の音も、いつもより少し早い。おそらく、ルーヴェンの迷宮深層に潜る時でもここまで緊張する事は無いはず。
知り合いを迷宮に見送る時とも違う不安と緊張。どうしてだか当人たちよりも私たちの方が落ち着かない。自分が試験を受ける方が気が楽、とクラリスが言っていたけれど、今日になってやっと彼女の言葉を理解した。もっとも、その彼女は体調不良で不在だけれど。
生徒たちを見ればそれぞれ準備を進めていた。体を動かしたり、剣を振ったり、ストレッチをしたり。ジョシュアこそいつも通り不安そうに入口を見つめているけれど、他のメンバーは程よい緊張感を保てているように思う。ロランも焦りや驕りは見られず、とても落ち着いている。
「全員集合。試験開始に先立ち、注意事項を伝える」
生徒たちの顔を一人ひとり見ながら、事前に学院から通達された連絡事項を伝えていく。
まず、私とシオは同行はするものの基本的に介入することはない。生徒に重大な危険性が及んだ時、あるいは本来の迷宮では起こり得ないような不測の事態が生じた場合こそ積極的に介入するけれど、そうでなければただ見ているだけで、助言も一切しない。
次に評価事項について。これはこれまでも伝えていたけれど、迷宮内での進み方、トラップの見抜き方や戦闘の内容についてが主であり、速さは評価対象に含まない事を改めて伝える。
そして最後。
「学科長、宜しくお願いします」
「うむ」
シオが促すと、魔導士らしい黒マントを羽織った学科長が太陽に頭と眼鏡を反射させながら生徒たちの前に進み出た。
「本日はクラリス先生の代行として私が諸君らに同行する。ノエル先生、シオ先生のご指導の下、例年とは比べ物にならないほど過酷な訓練を乗り越えてきたと伺っているよ。クラリス先生は残念ながら先日からの体調不良で本日の試験には同行できないが、とても残念がっていた。ぜひ立派に試験をやり遂げて、良い報告ができるよう頑張りたまえ。もちろん私も、君らの行動は厳に公正に評価させてもらう」
学科長らしい挨拶にグレッグたちの元気の良い返事が響き、迷宮入口のスタート地点に移動する。
開始を前にして、さすがに生徒たちの顔にも緊張が如実に現れてきた。私の耳に色んな心拍音が届いてきて汗も光っている。
と、そこへ。私たちのパーティとは違って、何処か真剣味に掛けた雰囲気のユリアンが近寄ってきた。
「よう、ロラン。大丈夫か? ずいぶんと緊張してるみたいじゃないか」
「……大丈夫に決まってるだろ。心配するフリはよせよ」
「はは、よく分かってるじゃないか。しかし聞いたよ? 僕たちに追いつこうと思ってかなり無茶な訓練をしたそうじゃないか。ま、ムダな努力に終わるだろうけどね」
「……」
「そうにらむなヨォ。ところで、勝負の事は忘れてないだろうね?」
「覚えてるよ。到達の証を手に入れて、先に帰還したほうが勝ちって話だろ?」
「そうそう。ま、勝つのは僕に決まってるけど、せいぜい足掻くといいサ」
最初から最後までロランを挑発する言葉ばかりを吐いて、ユリアンは去っていった。気負い過ぎるよりも良いとは思うけれども、彼の方は緊張感が足りなさ過ぎる気がする。大丈夫だろうか? いや、今は彼らの事よりもロランだ。
彼は顰め面でユリアンの方をにらんでいた。私が名前を呼ぶと、彼は大きく息を吐いて薄曇りの空を見上げた。
「大丈夫。分かってるよ。仲間を危険に晒すような無茶はしないって」
「なら問題ない」
「それに、早さで競わなくっても成績で勝ちゃいいんだ。そうすれば父上も文句は言わないだろうし、俺だって言い訳できる。なにより、生きて帰るのが勝ち。だろ?」
ロランの言葉に他のメンバーの表情も緩んだ。この様子なら大丈夫そう。彼とユリアンの関係性を鑑みれば気持ちを抑えるのも難しかったはず。成長が感じられて私も嬉しく思う。
「――よしっ、なら俺たちは俺たちなりに行くぞっ!」
「はいっ!」
実質的にリーダーを務めるグレッグの掛け声にロランたちが応える。聞こえてくる心拍が落ち着いてきた。どうやら彼らの緊張もいい感じに解れたらしい。ユリアンに感謝を送りたい。
「迷宮探索試験を開始する。各自、持てる全力を尽くすように!」合図役の魔導科教員が手を上げた。「それでは――開始ッ!!」
いよいよ迷宮探索試験がスタートした。グレッグが先頭に立って、私たちのパーティが先に迷宮へと脚を踏み入れる。中に入ると少しひんやりしてて、私やシオにとっては外よりも馴染んだ空気感。けれども生徒たちにしてみれば初めての場所だ。緊張はあれど、それでも十分落ち着いてやや早足くらいのペースで歩く。
そうして一分程度進んだ頃、後ろから猛烈な勢いで近づいてくる気配を感じた。
「よう、ロランとそのお仲間さん! のんびり歩いて余裕だナァ!」
ユリアンやアザート、さらにその仲間たちが遅れてスタートしたにもかかわらず走ってきて、あっという間に追い抜いていった。
「こんな序盤から石橋を叩くとは恐れ入る! 俺たちはお先に失礼するぜ、亀さんたちよ!!」
反響する笑い声を残してユリアンたちの姿はすぐに消えていった。彼らの姿をロランは目で追っていたけれど、つられて速度を上げたりなんてこともない。彼の肩をグレッグが叩いてサムズアップし、ロランも少しだけ強張ってた顔を緩めた。
「……まったく、なんですか彼らは。品性の欠片もない。嘆かわしい」
ユリアンたちを見送った学科長がメガネを触りながらぼやいた。私も同感。品性の重要性はよく分からないけれど、ただ言えることは――私の生徒たちをけなされるのは、酷く不愉快だと言うことだ。
「大丈夫、彼らより良い評価をもらえばいいんです。それで僕たちの指導が間違ってなかったと認めてもらうことで、ユリアンくんたちを見返してやりましょう」
シオにうなずく。今の気持ちが不愉快と表現するならば、その分だけロランたちが高評価を受けた時にユリアンの顔を見ることはさぞかし愉快なのだろうと想像し、口元がつい緩んだ。いや、油断は禁物。ここは腐っても迷宮。油断は私であれども足元をすくう。
生徒たちを無事に地上まで帰す。それが私の役割だ、と自分に言い聞かせて私は淀みなく進んでいく生徒たちの後ろについていったのだった。
お読み頂き、誠にありがとうございました!
本作を「面白い」「続きが気になる」などと感じて頂けましたらぜひブックマークと、下部の「☆☆☆☆☆」よりご評価頂ければ励みになります!
何卒宜しくお願い致します<(_ _)>




