5-3.彼の方が心配
アザートが背中の長剣を素早く抜き去り、斬りかかる。けれど不意打ちで倒すのが嫌だったのか幾分ゆっくりとした動作だった。当然シオがそんな攻撃を受けるわけもなく、腰の短剣を抜いて受け止めた。
「ちょ……止めてくださいって言ったでしょ! 生徒たちの前で――」
「こっちもさっきも言ったろ? ガキどもに見せつけるんだと。それにな、誰が上で誰が下か、俺もハッキリさせときたかったんだ」
「あなたの趣味に巻き込まないでくださいよ!」
「そいつぁ聞けねぇ要求だな! 強い者はすべてを手に入れる! それが俺らの流儀だろ? そうだ、良いこと思いついたぜ? 別に戦わなくったっていい。このまま適当にやって負けてくれていいぜ? その代わりアンタの彼女を――」
至近距離で打ち合いながらアザートが何かをささやいた。残念ながら剣戟の音のせいで上手く聞き取れなかったのだけれど、私について触れていた気がする。
そしてその瞬間、シオの雰囲気が変わった。
「……良いですよ。やってあげますよ」
「はっ! そうこなくっちゃな!」
アザートを押し返し、距離を取ってシオは大きく息を吸った。
分かる。明らかにシオは怒っている。表面上は平静を取り繕っているみたいだけれど、ここまで怒っている姿を私は見たことがない。
生徒たちにもその怒りは伝わっていて、飲まれて動けなくなってしまってるほどだ。一方でアザートの方は喜々としていて何も感じてないようだけれど――あれで、本当に迷宮探索者として生きていけてるのだろうか。他人事ながら少し心配になる。
「……シオ先生めっちゃ怒ってるけどさ、相手の教官も強いんだよな?」
「だ、大丈夫、なんでしょうか……」
「心配の必要はない」
グレッグとジョシュアが不安そうにシオの方を見るけれど、私は心配を一切抱いていない。むしろ――
「アザート・ハザロフ。彼の方が心配」
「え? それはどういう――」
「おい、兄ちゃん」ジョシュアの疑問を、アザートの声が遮った。「テメェ、どういうつもりだよ?」
見ればアザートは剣を構えてはいるものの、シオは引き抜いていた剣をまた鞘に戻していた。
「保険、ですよ」シオは静かに言った。「あなたを――殺してしまわないための」
シオが何を言いたいのか、それを理解したのだと推測する。アザートがわなわなと震えだして怒りに満ちた目をシオに向けた途端、彼が疾走した。
「ガキ風情が! 舐めたこと言いやがって!」
激昂しながらもアザートの動きに乱れはない。教官として呼ばれるだけあって、それなり以上の実力は垣間見える。が、あくまで普通の域を出ないようだけれど、と思っていると彼の動きがさらに加速した。そして――
「ふ、増えた!?」
アザートが攻撃の動作に入った瞬間、彼の姿が幾つにも増えた。グレッグの反応からして見間違いではないらしい。
「ハッハァッ! 喰らいな! 瞬間分裂っ!!」
どうやら彼はスキル持ちらしい。シオの目の前で五人に増えた彼が声を上げながら、一斉に剣を突き出す。
剣の刺突という、点の攻撃が面となって迫る。横ではなく前に伸びてくる攻撃なので後ろにも避けづらく、左右に回避しようにも面攻撃なのでそれも困難だ。スキルを活かした適切な攻撃と言えると思料する。
もっとも。
「――えっ?」
「僕はこっちですよ」
それは並の探索者やモンスターが相手である時の話だ。
攻撃を繰り出した時点でシオはアザートの後ろにいて、彼渾身のスキル攻撃は誰もいない虚空を串刺しにするばかりだった。
そして次の瞬間には――アザートはボコボコにされていた。
シオの拳が防具のないアザートの顔面に容赦なくめり込んでいく。横に倒れそうになればそちらに回り込んで拳が振り抜かれ、後ろに倒れそうになれば背中が蹴り飛ばされて、決して倒れることを許さない。
「ま、こうさ――」
さらには降参も許さないところにシオの怒りの程度が伝わってくる。……アザートはシオに何を言ったのだろう?
「……これくらいで許して上げます」
そんな状態がしばらく続いたところで、シオの手がようやく止まってアザートは地面に倒れることを許可された。すでに彼の顔は見る影もなくボコボコに凹んでて、かつて地面に打ち上げられた魚がピクピク動いている様子を見たことがあるけれど、それと同じような動きをしていた。
「シオに質問。彼に何を言われたの?」
「……具体的には言えませんけれど、酷い侮辱を口にされました」
「それは私について?」
そう聞くと、シオはためらいがちにうなずいた。口での侮辱くらいで傷つくような心、私には残っていないから気にしなくて良いのに。
「じゃあ、僕の悪口言われているのを聞いたらノエルさんはどう思います?」
逆に問われて考えてみる……なるほど、想像してみただけだけれど、ひどく不快になった。
「僕が、ノエルさんへの侮辱を許せなかった。ただそれだけです」
シオの考えは理解できた。怒りを示してくれたことに深く感謝する。
頭を撫でてそれを伝えると、シオは真っ赤になった。恥ずかしがる必要はない。それはさておき、足元でピクピクしている人間を持ち主に送り返そう。
脚を左手でつかみ、持ち上げる。戦いの前までのニヤニヤが消失し、今となっては唖然呆然としているユリアンに向かってアザートを放り投げた。
数十メートルを飛んでいき、彼の仲間は受け止めようとするでもなく、逆に蜘蛛の子を散らすように逃げていく。おかげでアザートは「ふぎゃ!」と悲鳴を上げて地面に激突した。憐れ。
さて。
「ごめん、みんなお待たせ。遅くなったけど、さっきの模擬戦闘の反省を――」
戦い直前の怒りはすっかり解消されたシオが穏やかな表情で振り返る。すると生徒たちの彼に向ける眼差しが変わっていた。推察するに、彼らもシオを本気で怒らせてはいけない相手だと認識したらしい。畏怖と尊敬が視線に入り混じっている。シェリルだけは何故か目がキラキラしているけど。
「だってかっこいいじゃないですか! 自分の事では怒らないけど、彼女をバカにされたら本気で怒ってくれる彼氏……最高だと思いません!?」
先程の私とシオの会話を聞いていたようだ。何が最高なのか分からないけれど、ともかくもシェリルの琴線に何かが触れたのだと思料する。
「――先生ッ!」
そんな中でグレッグが一人私たちの方へ歩いてきた。シオの前に立って決意のこもった眼差しを向け、それから深々と頭を下げてきた。
「お願いだ! 残りの期間、俺を本気で鍛えてくれっ!」
「えっと……今でも本気で鍛えてるつもりなんだけど……?」
「分かってる! でも先生たちは二人とも手加減してくれてるだろ? 俺は、もっと強くなりたいんだ! シオ先生の強さはよく理解できた。先生に鍛えてもらえたら、もっと強くなれる。自分の殻を破れる。そんな気がするんだ!」
「私からもお願いしたい」マリアもグレッグの隣に並ぶ。「私は、自身にうぬぼれていた。パワーこそ劣れど、技とスピードにおいては一廉であると。しかし先生と剣を交え、今のハザロフ氏との戦いを見て自分の至らなさを自覚させられた。どうか、私もお二人に本気で鍛えて欲しい」
「うーん……それはもっと追い込んで鍛えていいってことかな?」
「はい。お二人が私たちに怪我をさせないよう加減してくださっているのは身を以て分かっています。気遣いはありがたいですが、それを気にすることなく私を限界まで追い込んでくださって構いません」
マリアの視線にも強い決意がこもっている。他のメンバーも見てみると、シェリルも同じ意見だとばかりに大きくうなずき、ジョシュアは少しオドオドしているものの、「ぼ、僕もお、お願いしたいです」としっかり伝えてきた。
そしてロランもまた。
「……ま、まあ強くなれるんなら俺も鍛えさせてやってもいいぜ――って、痛ぇじゃねぇか、シェリル! 引っ叩くんじゃねぇよ!」
「うるさいわね! アンタはお・ね・が・い・す・る立場なの! 偉そうにしてんじゃないっての!」
「わ、分かってるって! だから振り上げた手を降ろせっての!
くそ……お、俺も強くなって、ユリアンのクソ野郎に吠え面かかせたいです! だから鍛えてください! お、お……お願いします!!」
つまりは全員強くなりたいということ。別に特別なノウハウがあるわけじゃないのだけれど、幾つかやり方は思いつく。中々厳しいし、怪我も増えるのは確実。それでも問題はない?
「ああ! 問題ないぜ!」
グレッグを始め全員がうなずく。それを見た私とシオも見合ってうなずいた。
とはいえ、私とシオがこの学院に滞在できる期間は短い。短時間で超効率的に鍛え上げる手段ともなれば――
「了解した。なら今日は解散して体を休める事を求める。訓練は明日から開始する。授業中と、朝、夜――深夜も」
「あ、はい……え? し、深夜も?」
「そう。時間は有限。それと、私たちはこれから買い物に向かう。街で大量の回復薬と睡眠薬、解毒薬その他を購入する必要がある」
「……」
そう告げると、全員が押し黙ってしまった。シオも若干顔がひきつっている気がするけれど、仕方ない。短時間で強くなるためには多少の無茶は必要。だけど、心配はいらない。
「大丈夫――決して死なせはしないから」
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