3-2.考えすぎ、っちゅうのは楽観的過ぎるか?
その瞬間、教室の空気が一気に緊張したように私は感じた。なんだろう、固唾を飲んで回答を待っているというのが正しいのだろうか。私の語彙力では適切に表現するのは難しい。
私とシオはルーヴェンから一緒に来たのだから、付き合いがあるのは明らか。改めて問う必要は無いだろうし、この緊張感が意図するところがつかめない。
首を傾げてシオを見れば、頬を掻きながら愛想笑いをしていた。頬も若干赤い。クラリスも同じく苦笑している。なので私が答えることにする。
「私とシオは同じ職場で働いている。付き合いがあるのは当たり前」
「あ、えーっと、そういう付き合いじゃなくて……」
質問をした生徒が明らかに困惑している。むぅ、どうやら彼女の意図とは回答が違ったらしい。
「なら言い方を変えます! お二人はズバリ……恋人同士ですかッ!?」
お付き合いとはそう言う意味だったのか。なるほど、理解した。であれば回答は一つしかない。
横に立つシオを見上げる。首を傾げた彼の頬をつかむと私の顔の高さまで引き寄せ――シオに口づけした。
「ん――っ!?」
悲鳴とも歓声ともつかない甲高い声が、教室のあちこちから響き渡る。耳障りではあるのだけれど、シオと口づけている間はそれが気にならないくらい心地いい。できればこのままずっと口づけていたいけれど、ここは教室。節度は必要なので五秒経過したところでシオから離れた。名残惜しい。
「貴女の質問に対する答えは肯定。私とシオは恋人同士」
そう告げると、女子生徒は顔を真赤にしながら首をコクコクと縦に振った。
さて。これで質問は終了のはず。未だ教室内は何故か混乱の極みにあるけれど、それも直に治まるものと思料する。
「シオ?」
背中を押してシオに退室を促したが、彼の体は動かない。見上げれば顔は真っ赤で頭からは湯気が出ている。
そして――ぶしゃっと教室が真っ赤に染まった。
「きゃああああああっっっっ!!??」
「し、シオ先生!?」
「メディック、メディィィィック!!」
鼻血を撒き散らしてシオが倒れ、さっきとは違った意味で教室は阿鼻叫喚に包まれた。しまった。そういえば先日のカフェ・ノーラでもシオは倒れてしまったんだった。どうやら彼はキスをすると鼻血を噴出する体質らしい。
「大丈夫、問題ない」
出血は多量だけれど、命に支障は無いし対処法も分かっているので慌てる必要はない。
シオの鼻をつまんで強制的に止血。ポケットから取り出したティッシュを丸めて強引に突っ込む。「ふがっ!?」とシオが悲鳴を上げたけれど、気にせず奥へと押し込んでいく。
「お騒がせした。教室外で待機するので授業を進めて構わない」
血の海を見て腰を抜かしたクラリスにそう告げると、私は倒れたシオの脚を引っ張って教室の外へと退避していく。
――クラリスのつぶやきを聞きながら。
「……これ、私が掃除するの?」
「あの子ら、ちゃんとやれとんかなぁ……」
クレアはカウンターで頬杖をつき、手でスパナをクルクルと弄びつつため息を吐いた。
背中を後押しして送り出したのは自分だ。失敗してもいい経験になるとは伝えたものの、それでも心配なものは心配。
もちろん単純な指導であればノエルも無難にこなすだろうが、学生を相手にするにはただ実力が優れていればいいだけではない。難しい年頃の子どもを相手にするわけで、上手く関係を構築できれば良いのだが、果たして彼女にそれができるか。
「そういう関係の構築を彼女に学んで欲しくて送り出したんじゃないのかい?」
ロナが新しい一杯を淹れながら指摘すると、クレアは頭を掻いた。
「いや、まあそらそうなんやけどな。なんつーか、まるで母親になった気分や」
「歳の割にずいぶんと大きい子供だね」
「あの子の情緒はまだ赤子を卒業したんのと同じくらいやからな」
改造されたからか、それとも戦場にいたからか、ノエルの心的発達は非常に歪だ。落ち着きや冷静な判断という面は老成した成人以上のものがあるが、その反面、彼女自身も自覚しているとおり繊細な機微や比喩混じりの言い回しなど、心の深い所の理解に関してはまだまだ発展途上である。
「それでもだいぶ成長してると思うよ?」
そう言うロナにクレアはうなずいた。
戦場を離れ、この街に来た頃に比べると大きく成長したと彼女も実感している。なにせ、シオという恋人が出来たのだ。その関係を知識以上にどこまで理解しているかは分からないが、シオの存在を受け入れたのは成長の証と言っていいだろう。
初めてノエルと会った時は「とんでもないのとお兄やん仕事しとったんやな」と思ったものだが、振り返ってみればかなり人間らしくなった気がする。当時を思い出し、クレアは思わず苦笑いを浮かべた。
「しかし、気になるね」
ロナがソーサーをカップで鳴らし、顎を撫でて首を傾げた。
「何がやのん?」
「今回の依頼がどうしてノエルに来たのか、がだよ」
「サーラも言うてたやろ? 学院からの依頼は毎年の持ち回りやて。ちょうど今年はルーヴェンやっただけで、ノエルに来たんもサーラとランドルフはんがあの子に経験積ませたかったからや」
「そこは理解してるよ。だから最初にその話が来た時も、私は何も疑問を覚えなかった」
「なら何が気になんねん?」
「学院からの依頼、だよ。学生と年齢が近くて、腕が立ち、それでいて威圧感も無い探索者。どうだい? まるでノエルを狙ったみたいじゃないかい?」
ロナの指摘にクレアは黙り込んだ。
改めて考えてみれば彼女の言うとおりだ。学院の要望に叶う探索者の数など両手で事足りるし、アレニアも言っていたではないか。「そう選択肢は無い」と。
「せやけど、まだ条件が曖昧やないか? 選択肢は絞られる言うてもノエルが選ばれるとは限らへんで?」
「そこはどうとでもなるさ。他の人が選ばれれば適当な理由をつけて拒否すれば良いし。クラスが低い、女性が好ましい、とかね」
「……考えすぎ、っちゅうのは楽観的過ぎるか?」
「否定しないさ。この間のことがあるからね。過敏になり過ぎてるきらいがあるのは自覚してるよ」
先日のノエルを連れ去ろうとした連中の事をロナは思い浮かべた。
彼女らもまた精霊と融合した存在だった。ノエルと同じく。そんな奴らが果たして、一度失敗したくらいで諦めるだろうか。今回と関係があるかは別として、間違いなくいつかはもう一度接触を試みるだろう。その時に自分が傍にいるなら良いが――
(今回は無関係。それを願うしかないか……)
カップを口に運び、そこで中が空っぽであることに気づく。不安を押し流しそびれ、なんとも言えないモヤモヤしたものを抱えながらロナは、クレアと二人分のコーヒーを準備し始めたのだった。
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