2-2.き、君の名前を伺っても宜しいかな?
「はい、到着! ここが君の教室よ!」
彼女に連れて来られたのは、私がいた場所の隣にある校舎の二階だった。教室の入口に来たところでようやく彼女は私の手を離してくれ、中に入るよう促す。しかし、プレートに「中等部」の文字が掲げられているのは何故だろう?
「私が来たかったのは――」
「たぶんもうすぐ先生が来るはずだから、その時にクラスに紹介してもらってね! それじゃ私はもう行くから! 頑張って!」
濃紺の髪を持つ彼女はサムズアップをして一方的に言い残すと、窓枠に足を掛けた。
二階から空中に飛び出し、キレイに着地。そしてそのまま別の校舎の方へと物凄い勢いで走り去ってしまった。彼女は魔導科の教師と言っていたし、たぶん足を魔導で強化したのだろう。詠唱や魔法陣を練っている様子も無かったので、かなり優秀な魔導士だと考える。人の話を全く聞かないのはいかがなものだとは思うけれども。
気を取り直して教室へと振り返る。記憶が正しければ私が受け持つのは高等部のはず。おそらくは外見から中等部と判断されたのだろうけれど、はてどうしようか。
誰かに聞こうにも、廊下にはすでに人はいない。仕方ないので私は案内された教室の扉を開けた。
教室の中に入ると、まだ本鈴が鳴る前だからだろうか、生徒たちの声で賑やかだった。教室は広く、高くなっている後方から見下ろす限り四十から五十人は座れそうだった。とはいえ、半分くらいしか席は埋まっていない。
最初は注目されていなかったが、私が奥の方へ進むと皆不思議そうな、好奇の目で見てくる。仕方ない。私の外見はメイド服であり、かつ彼ら彼女らよりも遥かに小柄。客観的に見て、明らかに私はこの教室で異物である。
「えーっと、こんにちは」
そうしていると、一人の女子生徒が近寄ってきた。茶色の髪を肩の高さくらいの長さに切りそろえ、背丈は私より大きいけれど一般的な中等部生レベルだ。彼女は腰をかがめて私の目を覗き込むと、ニコッと柔らかい笑みを浮かべた。
「私、シェリル。シェリル・クィンよ。よろしくね。貴女、誰かお付きのメイドさん……なのかな? 誰に用があるの?」
「私はノエル。質問には否定。今日から授業に来たけれど、濃紺の髪をした教師によってここに連れてこられた」
「濃紺の髪の先生……ラビア先生のこと? そっか、じゃあ転入生か。メイド服なのは……まだ制服が出来てないってことかな」
「それについても否定。私は転入生では――」
彼女も同じ誤解をしているので否定しようとした。けれど、途中で本鈴が鳴り響いた。
「あっと、席に戻んなきゃ! 席は特に決まってないから、空いてる所に座ってね!」
教室全体がバタバタとする中、シェリルと名乗った少女も駆け足で席へと戻っていく。むぅ、どうにも今日は間が悪い。先程から全然誤解を解けない。
ガラガラ、と教室のドアが開く音がしてそちらを見れば、髪をオールバックに撫でつけ、整った鼻ひげの男性が前の扉から入ってきていた。仕方ないのでとりあえず最後列の空いている席に座る。ちょうどいい、中等部ではあるけれど学院の授業レベルを確認してみよう。
「さて……それでは早速授業を開始しよう。本日は前回の続き、風魔導の基本構成とその解法についてだ。教科書の八十七ページを開きなさい」
教師の男性が鼻ひげを触りながら低い声で指示すると、教室の至るところからページがめくる音が一斉に聞こえてきた。私は当然教科書などは持っていないため、黒板と男性の声に意識を向ける。
教師は一通り黒板に数式や説明を書き終えると、時折視線を手元のノートに落としながら内容を説明していく。あまり抑揚はないものの、説明は端的でよく系統立てられているように思う。また、タイミングを見計らって生徒に質問を投げかけているが、これにより授業に緊張感を与えているのだと推察する。
「む? 何だね、この程度も答えられないのかね。キチンと勉強しているのか? まったく、嘆かわしい。この学院の生徒にはふさわしくないのではないかね?」
「せ、先生。そこはまだ習っていない部分かと思うのですが……」
「習ってないと答えられない? 甘えるのも大概にしたまえ。この程度、当学の生徒ならこれまでの応用で答えを導いて然るべきことだ。ここは流動法則の公式とローワン方程式を一般魔導解法で連立させれば解ける。
では他の生徒……そうだな、ターナー様にも質問させて頂こう。こちらの魔法陣。これを解くのに適切な方程式は?」
「そんなの簡単ですよ。カーニンの第三魔導公式です」
「素晴らしい! よくお勉強されておりますね!」
先に当てた生徒に対しては授業内容に比べて難易度の高い質問で評価も辛辣。けれど後で当てた生徒に対しては初等部の生徒でも分かりそうな質問だった。くわえて、正解したら大げさに拍手して褒めそやしている。
後者の生徒からは香水だろう匂いが漂ってくる。おそらくはそれなりに身分の高い生徒と推測される。教師も気を遣っているのだろうか。教師は生徒に対して平等であるべし、と誰かが言ってた気がするが、学院といえども世の中の柵からは逃れられないのかもしれない。
質問の中身はともかく、講義の進め方としてはなるほど、参考になる。こういった形で私が授業する機会があるのかは不明だけれど、その場合はぜひ真似をさせてもらおうと思う。しかし、この教師の顔にどこか見覚えがあるのだけれど、はて、どこかだっただろうか?
(魔導そのもののレベルは……初級から中級くらい)
中等部とあったので、おそらくここにいる生徒の多くが十五歳前後だと推測するが、説明内容は初級レベルの魔導を少し上回る程度のよう。それでも理論面からキチンと解説しているので、同じ初級魔導でも理論を聞きかじったレベルの探索者よりはきっと優秀な魔導士になるのだろうと思う。
「次にこちらの魔導構成による魔法陣の解法だが――」
一度板書を消して、新たに教師が説明と魔法陣を大きく書いていく。そしてまた同じように説明をし始め、私も耳を傾けていたがふとその内容に疑義が生じた。
教師が説明している内容は必ずしも間違いではない。けれど、工程として無駄が生じてしまうはず。何か意図があるのだろうか、と思って説明を最後まで聞いたものの特に言及は無かった。そのため、私は挙手をした。
「続いて……ん? 質問かね?」
「肯定。今の説明に疑問点がある」
教師がノートから顔を上げ、私がうなずくのを認めると得意気に笑いひげを触った。
「ふむ、良い心がけだ。言ってみたまえ」
「黒板中央に記載している部分。そこを記載の方法で解くと、発動までに時間・魔素にロスが生じる。敢えてその解法を採用する理由を知りたい」
「なんだって?」
私の質問を聞くと、教師の顔が得意気から怪訝なものに変わった。振り返って私が指摘した部分を眺め直すけれども、どうにも伝わっていないらしい。
「君、適当な事を言っちゃいかんよ。それとも私を侮辱するつもりかね?」
どうやら教師は真にこの解き方が適切だと信じている様子だ。言い争いを私は望んでいない。だけれどこの授業を受けた他の生徒まで適切なやり方を知らないのは損だと思うので黒板の方へと降りていく。
「君! 席を立つ許可は与えていないぞ!」
「説明のためやむを得ない行為。大目に見ることを要求する」
不本意ながら制止を無視してチョークを手にし、教師の板書に訂正を加えていく。
「私の指摘はここ。ここをこう解いて――そこにこの方程式を当てはめて――別に展開していた魔法陣を適用する事でより効率的になる」
鼻で笑いながら渋々私の説明を教師は聞いていたけれど、段々と顔色が変わってくる。何度も黒板と自分のノートの間で視線が行ったり来たりして「むむむ……」と唸り声も出し始めた。
「見解を求む。私が記載したとおりにしなかった意図を知りたい」
改めて尋ねる。すると教師はプルプルと体を震わせたかと思うと、突然ノートを教壇に「バンッ!」と叩きつけた。顔を見ればお湯が沸騰するくらい赤くなっていた。
「こ、ここではこういう解き方をするようになっているのだ! もっと上級のクラスで教えるものだからな! 分かったならさっさと席に戻りたまえ!」
「承知した。しかし必要な知識はすでに履修済みと思料する。ならば応用して解けるよう指導するのが合理的と考える。先程、貴方自身が述べていた」
「うっ……!」
私の耳がクスクスという笑い声をとらえた。何か変なことを言ったのだろうか?
「く……だ、だいたいだ! 君は誰だね!? このクラスに君のような人間などいなかったはずだ! 今すぐここから――」
教師は私の顔をにらみつけていたが、言葉が不意に途切れた。そして今の今まで真っ赤だった顔から急に血の気が引いて、顔色が白、青とわかるくらい悪くなり、ガタガタと体を震わせ始める。
「顔がドブ川と同じ色をしている。これは明らかな異常。医務室へ行くことを勧める」
「い、いや……だ、大丈夫だ……と、ところでちょっと君に確認なんだが……」
「なに?」
「き、君は、な、何年か前にも当学院に在籍していた、なんてことは……?」
「肯定する。四年ほど前にもこの学院に生徒として所属していた。けれど一ヶ月で退学になった」
そう伝えると、ますますあふれ出した汗を男性教師が拭った。大丈夫だろうか、ひげの先から滴り落ちるほどびっしょりになっているけれど。
「そ、そうかね。ち、ちなみに退学になった理由を尋ねても良いかな?」
「構わない。ある教師と生徒が私に対して執拗に妨害を繰り返してきた。他の教師などに被害を訴え、再発の防止を提言したけれど納得できる対処が為されなかった。そのためこのままでは学生生活に著しい支障が出るとして、妨害行為を繰り返した教師と生徒が暴力行為に及んだ際に、強制的に排除した」
今あらためて振り返ってみれば、当時の私は大人気なかったように思う。確かに授業が出席扱いにならなかったり、頭から水を掛けられたりはしたけれど、別に死ぬような事態に陥ったわけでも無かった。
その程度、戦場でのやり取りに比べればどうというわけでもないのに、当時の私は敵だと認識して――至近距離から十四.五ミリ弾を連発したのはやり過ぎだった。もちろん外しはしたけれど、兵士でも探索者でもない学生と教師相手におしっこを漏らさせたのは過剰防衛と言われても仕方がないと思う。私の恥ずかしい記憶だ。
「な、なるほど……」
私が退学した経緯を話すと、いよいよ男性教師の様子がおかしくなった。口から泡を噴き始め、ふらふらとして今にも倒れそうである。む、そういえばこの教師の顔はひげが生えていたり髪型が違っていたりはするけれど――当時私の妨害をした教師とそっくりな気がする。
「あくまで、あ、あくまでなんだが――き、君の名前を伺ってもよ、宜しいかな?」
「問題ない。ノエル。それが私の名ま――」
私が自分の名を口にした瞬間。
教師の男性は金切り声を上げて、そしてそのまま真後ろにバターンと倒れてしまった。
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