5-1.ノエル『お姉さま』にお会いしたかった
異変に気づけたのはアレニアのおかげだった。
用が終われば迷わずカフェ・ノーラに帰宅するのが常なのだけれど、どうにも今日ばかりは顔が火照って仕方なくて、冬の冷たい風で熱を冷ましていたのが功を奏したらしかった。
もっとも。
「シオの様子がおかしいの! 大勢に囲まれて、人気の無い方向に向かってる!」
息を切らして駆けつけた彼女からそう聞いた途端、どんな冷たい風よりも一気に私の熱は冷めたのだけれど。
気を落ち着けて詳しい話を聞くと、彼女は頭を少し冷やさせた後で慰めようとシオを探していたらしい。私は別にシオを振ったわけではないのだけれど、その反論は今は重要ではないので置いておく。
アレニアはシオを見失いはしたのだけれど、それでも彼女にはスキル<鷹の目>がある。それでシオの居場所を探すと、彼の周りを明らかに数人の不審なマーカーが取り囲んでいたらしい。
「……教えてくれて感謝する」
単なる悪漢や物取り、そこらのマフィア崩れであれば、シオなら問題にならないだろうと思う。けれど、私の頭に過ったのはかつてのハンネスだ。
リヴォラントの諜報員である彼は直接的に私へと接触を試みたが、他所の国なら私が懇意にしている人物を通じて、間接的に協力という名の脅迫に出る可能性もゼロでは無い。まして、先日のクレアの件もある。
もちろん今のシオは強い。たぶん、大国の諜報員どころか戦闘員を相手にしたところで真っ当に戦えば勝てるはずだ。だからそれほど心配はしなくてもいいと思料する。とはいえ、心配なのは心配。過保護はしないよう努めるけれど、多少手伝うくらいは問題ないと思料する。
かくして、迷宮の外ではあるけれどいつもの如く、私はアレニアを背に乗せて上空へと舞い上がっていったのだった。
「あっちよ。方向的にたぶん、殆ど使われてない倉庫街だと思う」
背中からの指示にしたがってバーニアを噴射する。すっかり夜の気配を漂わせていた曇天の空の下で屋根を足場に跳躍を繰り返すこと十分。ようやく見えてきた倉庫街では戦闘が繰り広げられていた。
まだ遥か遠くだけれど、シオと戦う黒服連中の姿が目に入った。可能性こそ否定しなかったものの、まさか本当にどこかの諜報員だとは思わなかった。
早くシオを助けなければ、とも考える。けれど、様子を窺うにどうやらその必要はなさそうだった。一人、二人と黒服たちが次々に倒されていく。そして一際まばゆい閃光がほとばしったかと思うと、最後の一人があっさりと地面を転がっていった。
「戦闘は終了したものと思料する」
「みたいね……ちょっと前までアタシとクラスもそう変わらなかったはずなんだけどなぁ」
ここまで離されると、悔しいわねとアレニアが漏らした。彼女の感情は理解するが、仕方ない。シオの成長速度が異常なだけで、アレニアも着実に成長している。その証拠に、なったばかりではあるものの彼女も今はB-2クラスに昇格して一端の探索者になっている。
「慰めありがと。でも、素直に受け入れるわけにはいかないわ。同じ探索者としても、アイツの姉役としても、ね」
「真っ当なプライドは大事。成長の原動力になる。アレニアもきっと、ひとかどの探索者になれる」
ともあれ、どうやら私の援護がなくても無事に危機を切り抜けたらしい。喜ばしいことだ。
胸を撫で下ろしてゆっくりとシオの方へと向かっていく。けれど、その途中で突如として魔素の高まりを感じとった。
それは異常な程の濃度で、瞬時に猛烈な竜巻が上空高くまで伸びていくのを目視で確認した。
「な、何よ突然っ!?」
「おそらく風魔導。それも、かなり上級の術式」
自然発生で無いことはもちろんそうだけれど、これだけの上級魔導を一瞬で展開できるのならば相当な手練であるのは想像に難くない。幸い、シオは巻き込まれなかったようで、姿を現した敵と思しき女性二人と戦闘が開始された。だけど、それもすぐに終了した。
攻防はあっという間で、瞬きの時間すら惜しいくらいの速度で繰り広げられたものの、シオの攻撃は女性にすべて見切られていた。先程の竜巻がどちらの女性が繰り出したものかは現時点では不明だけれど、少なくとも白髪の女性については近接戦において相当な実力者であることは間違いない。
一撃をモロに喰らいシオが地面を転がっていく。それを目撃した途端、私の中で猛烈な何かが膨れ上がっていった。
胸の奥が熱い。心臓が早鐘を打ち始め、得体の知れない何かが渦巻いている。それが凄まじい熱を次々に生み出していって、頭の中が白く染まっていくのを自覚した。
「ちょっと! まずいんじゃない!? ノエル、急いでシオのとこに――きゃあっ!?」
次の瞬間には、私は全力で加速していた。バーニアを噴かし、曇天の夕暮れ空に青白い線を描く。
「アレニア」
「何よっ!?」
「パージする。対着地姿勢を要求する」
「ちょっ……! パージってどゆことを――おおぉぉぉぉぉっっ!?」
返事を待たずしがみついていた腕を強引に引き剥がすと、ドップラー効果を効かせながら彼女の声が小さくなっていった。高度は低いのでアレニアなら問題なく着地できるはず。
身軽になった体に急制動を掛け、腕を変形させてライフルモードに移行。照準を女の白髪に合わせる。銃身に魔素を可能な限り注ぎ込み、女の頭を吹っ飛ばすために引き金を引いた。
一瞬で音速以上に加速された弾丸が空気を切り裂いていく。けれど、どうやら発射の直前で敵も気づいたようで、シオに伸びかけていた腕を止めて飛び退き、弾丸は敵の頭ではなく、コンクリートの地面にクレーターを作るに留まった。残念。頭をザクロにしてやれると思ったのに。
だけれど、シオからは引き剥がせた。最低限の目的は果たせたわけで、問題はない。敵は――これから殺せばいいのだから。
「……」
「……」
殺しそこねた白髪の女性と無言でにらみ合いながら地面に降りる。私も敵も、互いに相手の動きを見極めようと観察の目を緩めないまま、私は慎重に歩を進めてシオの前に立ちはだかる。そこまでしてようやく頭の中の熱が幾分冷めた感覚を覚える。
耳を澄ませる。微かながらもシオの呼吸音を確認。生きている。良かった。
「――ちょっと、ノエル! あんな状態で切り離すなんて酷いんじゃないっ!?」
アレニアも遅れてやってくる。抗議の声を上げられるくらい彼女も無事で何より。もっとも、体中に枯れ葉や木の枝が突き刺さってはいるけれど。
ひとしきり文句を言いながらアレニアもそばへとやってきてシオの体をチェックすると、こちらを見上げて首を縦に振った。どうやら問題ないらしい。
「そこまで心配しなくても大丈夫ですわ。こちらに彼を殺す気は無かったですし、お姉さまも本来の目的を忘れてしまうほど阿呆ではないですもの」
張り詰めた空気の中で口火を切ったのは、もう一人の女性だ。水色の髪が特徴的な彼女がそう言いながら白髪の女性を見上げて「ね?」と同意を求める。が、白髪の方が目を逸らしたので水色の方が臀部を蹴り上げた。
「いっ!?」
「えー、まずはご挨拶させていただきますわ。ワタクシはセイ、こちらが阿呆のお姉さまであるトリーと申します。以後お見知りおきを」
「……」
セイ、と名乗った女性が丁寧なカーテシーをしてくる。けれど、私がそれに応じる必要は無い。
無言で銃口を向けて十四.五ミリ弾を発射する。しかし彼女の前に突如として水の壁が現れて弾丸を飲み込んでいき、減速したそれを女性が優雅とも表現できそうな仕草で避けていった。
「挨拶の途中で発砲するのはマナー違反じゃありませんこと?」
「戦場では隙を晒した相手を見逃すほうがマナーに反する」
「あら、そうでしたの。失礼しましたわ。ですけれど、そこを曲げて耳を傾けてくださいませんこと? 実は、コード00――呼びづらいですので、失礼ながらワタクシもノエル、と呼ばせて頂きますわね?
実はワタクシたち、ノエル『お姉さま』にお会いしたかったんですの。そのためにシオ様にご協力頂こうと交渉していたのですが、手間が省け――」
「聞く必要性を感じない」
やはり彼女らの目的は私だったようで、シオは私に接触するために利用されかけていたのだろう。具体的な方法には言及していないが、こんな人気のない場所に連れてきている時点でだいたい想像がつく。
「問答無用」
セイの話を遮って再び十四.五ミリ弾を発射した。
彼女たちが何処の誰かは知らないが、おおかた私を再び兵器として働かせようというところだろうし、そんな相手の要求を受け入れることはない。何より――シオに手を出した時点で彼女らと交渉の余地はない。
「おいこらっ! 相手激おこじゃねぇか! あのヒョロ男をダシにしようとした時点で間違ってんじゃねぇのか!?」
「そのようですわね。ワタクシとしたことが失敗でしたわ」
「『テヘペロ』で誤魔化そうとしてんじゃねぇっての!」
弾丸を避けてトリーとセイが後方へ回避し、それを私が追いかける。彼女らを逃がすつもりはない。捕らえて彼女らの背後にいる連中に伝えるのだ。
私と私の周囲に手を出せばどうなるか。子どもでも理解できるよう、分かりやすく警告してやらなければならない。
固く決意して、私は再度照準をトリーとセイの二人に合わせたのだった。
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