4-4.一緒に来て頂けませんこと?
「ぁ……!」
何も考えずに飛び退く。生存本能に導かれ、シオはただ闇雲に地面を転がった。
直後に男の体が空高く舞い上がっていった。局所的に生じた竜巻のような猛烈なうねりが、周囲に転がっていたゴミや枯葉を吸い込みかき混ぜていく。
男の体がねじれる。ねじれて、ねじれて、ねじれていく。体本来の構造などお構いなく、歪み、絞られていく。
その結果。
「ぃっ……!」
シオの口から思わず悲鳴が漏れた。力任せにひねり尽くされた男の体がねじ切られ、血潮とともにバラバラになって空中に放り出されたのだ。
真っ赤なシャワーが降り注ぐ。シオも頭からそれを浴びて鮮血に染まり、ただ惚けるしかできなかった。
あちこちに転がる手足。シオは放心してしまっていたが、ぼとりという音に、反射的に顔を向けた。
落ちてきたのは男の頭だった。歪な切断面を晒しながら首から先だけが転がっていき、それを視線だけで追っていくと何かに当たって止まった。
男の頭部がぶつかったのは脚だった。死体ではなく、生きた人間の脚。黒いタイツとスニーカーに覆われたその脚は、器用に足先で死体の頭部を蹴り上げるとそのままリフティングをして弄び始めた。
「ったくよぉ」
呆れた声を上げながら人の首で弄んでいるのは、シオと同程度の年齢と思われる少女だった。暗くても目立つ黄色のパーカーにデニムのショートパンツ、スニーカーという出で立ちからは活発な性格を思わせる。白い髪もショートに切りそろえられていて、けれども目つきは悪く先程から何度も舌打ちをしていた。
「手を貸してやるって言ってやったのに、『邪魔するな』って言うから大人しく眺めてたらこのザマだ。大口叩いといて情けねぇったらありゃしねぇ」
「しかたないですわ。所詮彼らは普通の人間ですもの。無能とまでは言いませんけれど、有能とは口が裂けても評価できませんわ。もっとも、だからこそ大国のお目こぼしでしか生きられないし、逆に生かしてもらえてるというのもあるのでしょうけれど」
それも処世術の一つですわ、と付け加えながら暗闇の中にもう一人の少女が現れた。
先に現れた目つきの悪い少女と比べると、こちらはずいぶんと落ち着いた雰囲気の女性だ。染めているのか髪色は水色で、それに合わせるように洋服も白いブラウスに青いボウタイ、それと濃いブルーのワンピース・スカートと青を基調としていて、どこかのお嬢様のようなセレクトである。
目元は長い前髪で隠されてよく確認できない。背丈は白髪の少女に比べると低く、容姿だけで見れば彼女の方が幼くもあるものの、雰囲気や白髪の少女をたしなめるような言動といい、こちらの方が年長なのだろうか、とシオは思った。
「それにしても――『お姉様』、派手にやりましたね」
「しゃーねぇだろ。コイツら見てたらイライラしてくんだ……よっ!」
サッカーボールにしていた黒服の頭を高く蹴り上げると、少女は落ちてきたそれを目掛けて思い切り脚を振り抜いた。
猛スピードで飛んできたそれを、シオは慌ててかわす。頭上を通り抜けた生首がグチャリと潰れた音を立てたのを聞いて、シオは振り返るのを途中で止めた。
「まあそれにはワタクシも同感ですけれど」
そう言いながら小柄な方の女性がため息をつくと、彼女の体が光を淡くまとっていく。シオは警戒を強め、いつでも動けるように集中を高めた。
「そう身構えなくても結構ですわ。匂いの元を洗い流すだけですから」
しかし小柄な女性がシオをたしなめると、不意に足元に水音を感じた。
視線を下に落とせば、いつの間にか周囲が水浸しになっていた。どこから湧いているのか、水嵩はずんずんと増していってシオの膝丈くらいまで達していた。少女たちを見れば、濡れるのを嫌ったのか、白髪の少女の方はどうやってか上空に舞い上がっていて、小柄な女性に至っては彼女の周りを水の方が避けていた。
不可思議な状況に戸惑う中でさらに水流が生まれる。血で赤く濁った水がシオから遠のいていき、少し離れた場所ではシオが昏倒させた黒服たちが水に浮かんでどこかへと運ばれていった。
「これでよし、ですわ」
「おう、サンキュな」
「少しはお姉さまも気遣いというものを覚えるべきですわ。バラバラにしたら血の匂いがお洋服についてしまって不快になると思われないのですか? どうせなら役立たずの彼らもまとめて他の遠い所に吹き飛ばしてしまえば良かったのに」
「へいへい、私が悪うございましたよ」
口をとがらせて出てくる小柄な女性の小言を、白髪の少女は耳を塞いで受け流した。口調からしてどう見ても反省している素振りはなさそうだが、そもそも小言の論点も違う。
シオの背筋に冷たい汗が流れる。呑気な二人のやり取りを前にしても構えを解けない。それどころか、幾度となく経験した死の香りが警告を止めない。
(この人たちは――)
まずい。先程の黒服たちとは比べ物にならないくらいに危険だ。正面切って戦ったなら、まず敵わない。シオに対する殺意こそ無いが、もしそれを向けられれば逃げることさえ難しいかもしれない。圧倒的な力の差をシオは感じとっていた。まるで――シオとノエルとの差のように。
「……貴女たちは何者ですか?」
「あら、そういえば自己紹介もまだでしたわね。とはいえ、ワタクシたちに名乗るような名前は持ち合わせていないのですが」
「別に名乗る必要もねぇだろ」
「そうはいきませんわ。淑女たるもの、礼儀を忘れてはなりませんもの」
かろうじて声を絞り出したシオとは対象的に、小柄な女性はそう応じるとスカートの端を持って丁寧なカーテシーをした。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ありませんでした。ワタクシは、そうですわね……『セイ』とでも名乗りましょうか。それからこちらの粗暴な姉は『トリー』とでもお呼び下さいませ。どうぞ以後お見知りおきを」
「なんだよ、その名前は。それから誰が粗暴だって?」
「あら、ご自覚はありませんでしたの?」
セイ、と名乗った女性から皮肉られ、トリーの方は盛大な舌打ちをして「ふんっ!」とそっぽを向いてしまった。彼女の紹介を信じるならばトリーの方が姉のはずなのだが、すでにどう考えてもセイの方が姉にしか思えない。
(それは別にいいけど……)
名乗りこそしたものの、まず間違いなく名前は偽名だろう。つまりは本名を名乗るつもりはないということで、元々低かった友好的な存在である可能性がさらに低くなった。
「トリーさんにセイさん、ですね……お二人が僕なんかにいったいどういったご用件でしょうか?」
「あら、シオ様。『なんか』などとご自身を卑下する必要はございませんわ。シオ様ご自身に価値があるからこそ、彼らに誘拐を依頼したのですから」
やはりそうか。名乗ってもないのにシオの名前を知っていたり、彼女らが漏らしていた愚痴の中身からなんとなくそれは察していたが、改めて聞かされて僅かながらに存在していた友好的存在の可能性はついに潰えた。
だとしても。
「どうして……殺したんですか? 仲間じゃなかったんですか?」
「別に。仲間でもねーし、殺しに理由なんてねーよ」トリーが吐き捨てた。「強いて挙げりゃ『イラついた』からだよ。わざわざ手伝うって言ってやったのに、さも自信ありげにこっちを皮肉りながら断った挙げ句、失敗しやがったからな。イラッとして殺しちまってもしかたねーだろ?」
「そんな理由で……」
「十分な理由なんだよ、私にとっちゃな。私はな、馬鹿にされんのが一等嫌いなのさ。力関係も把握できねぇ馬鹿をその場で殺しても良かったんだが――」
「ワタクシが止めましたの。どうせ失敗するだろうとは思ってましたし、一度失敗させた後の方が手綱が握りやすいですもの。でもここまで予想通りだと呆れてものが言えませんわね」
トリーに比べればセイの方が幾分理性的に聞こえるが、それでも彼女がまともじゃないことは明らかだ。それを表すように、人が一人死んだことそのものに、セイもまた何の感情も覚えていない。
「まあそういうわけですの。一応お尋ねしますわね。おとなしくワタクシたちと一緒に来て頂けませんこと?」
「明日も仕事がありますので、できれば遠慮したいんですけど……」
「ご安心ください。どうせ店主不在でお店も休みになりますわ」
「やっぱりノエルさんの方が本来の狙いなんですね?」
セイはシオの指摘に答えず、ただ口元で小さく笑うだけだった。けれどもそれで十分。シオは自身の考えが間違いではないことを確信した。
どうして直接ノエルではなく自分を誘拐しようとするのか。その点は気になるが、何にせよ――
「そういう事なら、貴女たちに付いていくわけにはいかないですね」
「シオ様の性格を考慮するとその回答は予想してましたわ。ワタクシとしてはスマートに事を荒立てず来てほしかったのですけれど、ええ、素直に応じないのであれば最初から力づくの方が合理的だったかもしれませんわね。では、お姉さま――」
「やっと私の出番だな」
右拳を左の手のひらに叩きつけながらトリーが前に進み出た。口元には白い歯が覗き、なんとも嬉しそう。
「そんなに戦いたかったんですか?」
「当たり前だろ。安心しろ、殺しゃしねーから」
「安心できる要素がどこにも無いんですけど?」
つい先程、ひどい殺戮現場を目の当たりにしたばかりだ。何を安心すれば良いのだろうか。
口には出さず内心でそうぼやきながらシオは構えた。戦う前から、心地としては圧倒されていた。考えるまでもなく、トリーは強い。自分よりもずっと。正直なところ勝てる気がしない。
(それでも、だからといって……)
素直に負けてなるものか。可能な限り、もがいてみせる。
シオは大きく息を吸い込んでトリーに意識を集中させていったのだった。
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