3-3.好きなんです
今しがたまで私に向かって柔らかく笑みを浮かべ、懸命に言葉を紡いでいたシオから、不意に言葉が途絶えた。
表情を観察する。どちらかと言えば、彼は口下手なタイプであることは私も承知しているつもりだ。話題豊富に次から次へと誰かを楽しませる話術を持っているわけではなく、それでもデートに誘うつもりである「本命」に向けた練習と思っているのか、このカフェに入ってからずっと彼は私に向かって話しかけ続けていた。
私もその話題に相槌を打っていたけれども、正直私もまた口下手であると自覚している。くわえて愛想の一つも振りまくことができない。表情筋は相変わらず仕事を放棄しているので、さぞシオにとっては話し甲斐のない相手であることだろう。頑張ってくれているシオに非常に申し訳なく思う。
その声がついに途絶えたのだから、いよいよ私を相手に選んだことを後悔し始めたのだと推測する。実に申し訳ない。ここまでのデートで支払いはすべて彼がしてくれたが、その分を今月の給料に上乗せすれば埋め合わせしたことになるだろうか。
「ノエルさん」
そんな私の思考を他所に、彼は私を見つめてきた。笑みはそこにまったく浮かんでおらず、瞳には一切ブレが観察できない。ただし心臓の音はとても激しく、私の聴力じゃなくても聞こえてきそうで心配になるレベルだ。
「何?」
「ノエ、るさ……ゲホッ、ゲホゴホッ!」
問い返し、シオも再度口を開くけれどむせたように急に咳き込んだ。続いてほとんど手つかずだった、冷めきって冷蔵に近い状態と推測される紅茶を一気飲みした。どうやら緊張で喉が渇ききって声がうまく出なかったらしい。
「……失礼しました」
「気にしていない。それより私を呼んだ用件を聞きたい」
彼を促す。するとシオは大きく息を吐き出した。そして頬を赤らめながら私に告げた。
「ずっと、ノエルさんの事を好きでした」
瞬間、私の奥底で何かが小さく跳ねた。
好き。好意。好感。類語が頭の中を駆け巡る。思考に異常を感知。冷静さを保つことが要求される。
言葉の意味を吟味する。しばし彼の真意を図りかね、けれど今回のデートの趣旨と推定されるものを思い出して合点がいった。
「それは、本命の相手に愛を告白する練習と理解した」
「……へ?」
「であれば、名前部分も私ではなくその当該人物で呼ぶことを推奨する。その方が臨場感が高まってより本番に近い練習になり、実践時に有用となる」
いつだって本番を想定した訓練を行うべきであり、本番にはない要素は極力排除すべきだと思う。なのでそう提案したのだけれど、シオは頭を抱えてしまった。何か間違えてしまったらしい。
脱力してテーブルに突っ伏し、ブツブツと「どうして」だとか「まさかここまでとは」などとつぶやいていたシオだけれど、しばらくしてゆっくりと顔を上げた。その顔は半ば泣き笑いに近い。ずいぶんと彼に衝撃を与えてしまったようだ。……本当に申し訳ない。
「いえ……まあとりあえずノエルさんの思考はなんとなく理解しましたので」
「感謝する」
シオの口からは「この感謝は欲しくなかったなぁ」とボヤキが漏れてきたものの、再度大きく息を吸って気持ちを落ち着けると、私に手を出すよう要求してきた。
白い左手と鈍色の右手がテーブルに乗る。そこに、シオの両手が伸びてきて私の両手を包み込んだ。
「僕の本命の相手はノエルさんです。他の誰でもなく貴女のことが好きです。僕とお付き合い――いえ、恋人になっていただけないでしょうか?」
シオははっきりと私にそう言った。
聞いた途端に思考にノイズが走る。彼の言葉は私の中に中々入ってこず、けれども土に染みる水のようにジワジワと理解が追いついてくる。
もう真意に迷いようはない。シオは私に明確な好意を抱いている。知人・友人の有する好意ではなく、性的指向としての好意を。つまり、今回のデートはすべて私のために彼が準備してくれたものということになる。
首元に下がるネックレスに触れる。今回のデートで彼がプレゼントしてくれたもので、これも私への愛情表現の一つだということだろう。
正直なところ、装飾品自体に私は興味がない。それでもシオがプレゼントしてくれたこれは大事にしたいと思うし、プレゼントというその行為はとても嬉しく思う。
(でも――……)
彼の抱く好意に、果たして応えられるだろうか。
私は兵器だ。人間でありたいと思っているけれど、普通の人間とはかけ離れている。
右手を見る。到底人間では持ち得ない、鈍色の手のひら。両足は義足で、いずれも生物を容易に殺害できる武器を内蔵している。さらに魂は精霊と融合し、扱う冥魔導は人のくびきを遥かに超えている。
その事自体を否定はしない。これまでそれらにたくさん助けられているのだから。ただ、兵器が人間と交際しても良いのか。判断がつかない。人として生きることを――私は許せるのだろうか。
――と、シオが柔らかい手付きで私の手を撫でた。
「ノエルさんが心配していることはなんとなく分かります。的外れだったら恥ずかしいですけれど……でも言わせてもらいますね?
ノエルさんが自分自身の事をどう思っていようが、僕の気持ちは変わりません。この腕や足も、精霊と融合した魂も、すべてをひっくるめてノエルさんだと思ってます」
「……」
「そんなノエルさんが、僕は好きなんです。だから……他のことは考えず、単純に僕の事をどう思っているか、そしてノエルさん自身がどうしたいか、教えてくれませんか?」
シオは優しく、けれど力強く手を握りしめてきた。
言われたとおり考えてみる。まずシオのことは嫌いではない。これは間違いない。彼といて不快なことはないし、お店でもよく働く。私の無愛想にも気を悪くする素振りは見せず、いつも気を遣ってくれる。そんな彼を嫌いになるはずがない。
しかし、彼のことを好きか、と問われると良く分からない。もちろん少なくともクレアやロナに対して抱くような好意は、シオに対しても抱いているものと思料する。けれど、シオが求めている好意はそれとは違うことは、いくら私でも理解している。
いわゆる恋愛感情。十八年生きてきてはいるものの、一度も抱いた記憶はない。そもそも、私には縁がないものと思ってきたし、誰かと恋に落ちる自分の姿を想像すらできない。こうして、シオと向き合って愛を告げられても、だ。
「……よく、分からない」
いつの間にかうつむいていた自分の口から、ポツリと声が漏れた。そしてすぐにハッとする。いけない、この態度ではシオに誤解を与えてしまう。そう思って顔を上げると、シオは相変わらず柔らかい笑みを浮かべていた。良かった、不愉快にはさせてないらしい。
けれど説明だけはキチンとしなければならない。義務感を覚え、なんとか私は口を動かす。
「シオのことは嫌いではない。どちらかと言えば好意に値する人間だと考えている。けれど……この抱いているシオへの感情が一般的に恋愛感情と表現されるものかどうかについては不明」
「そう、ですか」
「勘違いしないでほしい。これはシオの問題ではなく私の問題。恋愛感情を理解するだけの能力が私にはない。だから不快にならないでほしい」
「大丈夫ですよ」シオはより一層深い笑みを浮かべた。「僕は気にしてません。むしろ、好意に値すると言われて嬉しかったです」
「……」
「今日は、ノエルさんに僕の気持ちを知ってほしかっただけなので、今すぐに返事を欲しいとは思いません。いつまでも待ってます。ですけど……」
「だけど?」
「もし、ノエルさんが自分の気持ちに気づけたら……その時はどちらの結論でも大丈夫ですのですぐに教えて下さいね」
「……分かった」
首を縦に振ると、シオは大きく息を吐き出す。ようやく緊張から解放されたようで、背もたれに体を預けてから空を仰ぎ見て、それから「えへへ」と照れ笑いを浮かべた。
「すみません、告白した後でだらしない格好見せちゃって」
「構わない。緊張していたのは心臓の音で分かっていた。過度な緊張は心身に異常をきたす。私の前ではリラックスして欲しい」
「好きな人の前でそれは無理ですよ」
そう言ってシオはカラカラと笑った。先程までの何処か硬さの残る笑みと違って、いつもの自然な表情だと感じた。その笑顔を見ると、私もどこか安堵に近い感情を覚えた。
「今日のデートは……ここで終わりにしましょう。僕もノエルさんも、ゆっくり考える時間が必要だと思いますし」
それには同意だ。結論を出せるかは分からないが、改めて自分の感情というものに向き合ってみる必要性を感じている。向かいのカフェでクレアたちが観察しているので、帰りに彼女たちに相談するのも良いかもしれない。
「今日は自分の家に泊まります。また明日、店に行きますね」
「承知した。近くまで送る」
「それは僕が言うべきセリフですよ」
シオは立ち上がりながら苦笑いを浮かべ、それから「大丈夫です」と断ってきた。
「正直ノエルさんが可愛すぎて……一緒に帰っていると、思わず抱きしめてしまいそうなので」
微笑みながらそう口にして、次の瞬間にはハッと口を押さえた。その仕草から推測するに、言葉にするつもりはなかったらしい。
「と、とにかく! また明日からいつもどおりに働きますから宜しくお願いします!」
真っ赤になった顔で一方的にそうまくし立て、シオは慌てて走り去っていった。
あっという間に街の雑踏に消えて一人残される形になった私だけれども、この場に残って特にすることもないし、早く店に戻って落ち着いて考えたい。なのでカフェを私は後にした。
迷宮があるのはシオが走り去ったのとは反対の方向だ。カフェは人通りから離れた場所だったけれど、私も程なく人混みの中に紛れていく。
街を歩きながら、体の中に不思議な感覚が残っているのを感じていた。どこかふわふわしてなんと表現するのが適切かは不明だけれど、こういうのを地に足が着かない感じと言うのだろうか。
どことなく落ち着かない。だけど嫌な感じではない。ひょっとしたら私は今、浮かれているのかもしれない。
向かってくる人の間をすり抜けながら、不意に先程のことが頭の中で蘇る。包み込んだシオの手。冬の寒さで表面は冷たかったのに、どうしてだか暖かさを感じた。
(好きです――)
頭の中でシオの声が再生される。何度も繰り返される。まるで制御が効かず、壊れた機械みたいだ。
だけどそれを止めようという気にはならない。シオの声が響く度に胸の奥が暖かくなる心地を覚える。その熱が全身に広がっていって、厳しい寒さの中にいるのに、頬がとても熱くなる。きっと私の頬はすごく赤く上気しているに違いない。
(あ……)
自分で自分の口元が緩んだことに気づいた。たぶん、私は今笑っている。
だけどどうしてだかそれを見られたくなくて。無意識のうちに私は、首元のマフラーに顔を押し付けたのだった。
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