7-3.承知した
「ノエルっ!」
「大丈夫。問題ない」
痛いのはかなり痛いのだけれど。それでもこの体は、義体部分を除いてもかなり頑丈なのでそうそう壊れることもないし、機能不全に陥ることもない。
それよりも。
「……」
私を投げ飛ばしたヒュイを見る。千切れたはずの手首は大部分が元通りになっていた。吹き飛ばされた頭もすで再生を終えて彼の視線は私に注がれていた。そして後ろのアルブレヒトも私とヒュイしか見ていない。私は小声で詠唱を口にした。
さて。私の周りを覆っていた瓦礫をどかして立ち上がる。部屋の中は物や瓦礫が散乱して足の踏み場も無いくらいになっている。中にいた作業員たちはすでに退避していたらしく、巻き込んでしまった人がいなかったのは幸いだ。
クレアがいる部屋と私がいる部屋の間には壁が二枚あったはずなのだけれど、今の戦闘で殆どが破壊されてずいぶんと見通しが良くなっていた。思い切り戦うにはまだ狭いけれど、先程よりは戦いやすそうに思える。
「……ぉぉ■■おぉぉ■……」
ヒュイの口からノイズ混じりの声が発せられた。
声に応じて肉体がさらに膨れ上がる。関節は増えて表面に見えていた人の顔は、今はもうハッキリとそれと分かる程になっていた。
明らかに異形化が進んでいる。瞳に残っていた理性の色も少なくなっていて、苦しげに震える体から推測するに、正気をかろうじて保っているにすぎないと思料する。
「……の、む」
その時、彼の口から発せられた意味のある音。かすかなそれを私の耳が拾った。
「た、のむ……」
「……」
「こ、どもたちを……」
彼の魂はもう、持たない。そう直感した。ここまで耐えた時点で彼の魂も相当に強固なものだったと推量できるけれど、後から加えられた魂の渦にのみ込まれている。
自らが消失するその苦痛に抗い、うめき、掻き消えるような声で願いを彼は口にした。きっとその声は私にしか届いておらず、詳細も分からない。さらなる情報を要求したいところではある。
「……承知した」
だけれど、私の口から出てきたのは承諾。実現できないかもしれない約束はするべきではなく、十分な情報を得た上で了承を伝えるのが正解なのだろう。
でも今はただ、快諾を伝えるだけでいい。それこそが正解だと感じた。そしてそれを肯定してくれるかのように、彼のほとんど正気を失った両目から、涙がこぼれた。
「――■おおおぉ■■ぉぉぉっ■っっっ!!」
一際大きい咆哮が激しく空気を震わせた。魔素が全身から噴出し、彼の周りの空気を歪ませてさえいる。
彼の願いは、正面で対峙した私にしか伝わっていない。彼の涙も私にしか見えていない。それを示すように、彼の背後でアルブレヒトが嬉しさを多分ににじませて叫んでいた。
「素晴らしい……素晴らしい素晴らしい素晴らしいっ! 魂を変質させ、魔素を取り込むことでこれほどまでに人間は可能性を広げることができるなんてっ!」
彼にはヒュイの姿がまだ人間に見えているらしい。だとしたらその目にはこの世界はいったいどう映っているのだろうか。あるいは、彼における人間の定義は何だろうか、と疑問が過って、彼にかかれば同情や気遣いのない純粋なる気持ちで私も人間と認めてもらえるのではないかとも思ったが、それ以上考えることを止めた。アルブレヒトに人間であることを肯定してもらっても嬉しくも無さそうだ。
「さあ、もっと私に見せてくれ! 人を超えた人の可能性を! 変質した魂の行き着く先を!」
「■■■■っっっっ――!!」
アルブレヒトが喜色に満ちた声でヒュイを促した。それに応えたのかは判然としないけれど、彼は一際大きな咆哮を上げて身を低くした。
巨体が一気に加速した。一瞬で彼の腕が私の頭上に到達し、勢いよく振り下ろされた。
かわす。眼の前を暴風を伴って彼の腕が通り過ぎていき、その腕をバーニアを噴射させて蹴り飛ばした。
彼の腕が不自然に曲がる。人間ならば骨折して使えなくなって然るべきなのだけれど、ヒュイは真っ赤になった瞳を動かさずに次の攻撃を繰り出してきた。
それも身を逸して回避。後退し、壁際に来たところで身を翻すと、彼の拳が簡単に壁を貫いて破壊した。背後に回り込み、がら空きになった背中に十四.五ミリ弾を放つ。しかしながら私が放つ直前に不自然なほどの反応で飛び上がり、銃弾は壁を破壊して消えただけだった。
「敵の能力を上方修正。回避行動を優先」
「■■■■ャァァァッッッ!!」
天井に張り付いていたヒュイが頭上から迫る。それを感覚で感じ取り、反射的に床に転がって避ける。その勢いのまま私も壁を蹴り、天井を蹴りながら回避行動を継続する。ヒュイも私の動きについてくるけれど、彼の様子を観察しながら気づいた。
(肉体が……)
動く度に崩れ始めていた。崩れては再生してを繰り返していて、さらには私へと繰り出す攻撃の質も変化している。パワーとスピードは異形化が進むにつれて上がっているように思う。けれど動きそのものは単調になり、次の動作への繋がりも滑らかさが失われている。おそらくは、彼はもう。
「ははは! いいぞ、ヒュイ! もっと君の力を見せつけてくれたまえ!」
アルブレヒトは興奮して変化に気づいた様子はない。分かりやすい部分しか、目に留まりやすい部分しか見ていない。
人の魂は、そんなに強くない。何人もの魂を背負い込めるほどの力は無い。けれど、弱くもない。それを彼は知らない。だから――
「貴方は気づけない」
「なに?」
「作戦は成功した」
私が展開した冥魔導が解除される。私とヒュイの方に引っ張られたアルブレヒトは、いつの間にかクレアの傍から離れていて、彼の背後には冥魔導で姿を隠していたシオとアレニアが立っていた。
「いつの間に……!」
アルブレヒトが銃を構える。けれどそれよりも早くシオが彼の腕を蹴り上げ、握っていた銃が瓦礫の奥へと転がっていく。さらにシオの打撃がアルブレヒトの腹部を捉えて、蹴り飛ばされていく様子が見えた。
「アレニア!」
「ちょっと待って! あと少し――外れた!!」
銃で金具を破壊し、クレアが拘束から解放される。すると、起き上がった彼女にアレニアが抱きついて――濃厚なキスを交わし始めたのだった。
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