アランとキララの山生活
とある街に、アランとキララという二匹の野良猫がいた。
「家もねえ、親もいねえ、ご飯もそれ程食べられねえ……」
アランは大して面白くもない街での暮らしに嫌気がさし始めていた。
エサは人間が捨てた物を食べるか、もしくは通りすがりの親切なお年寄りが与えてくれる物しかなく、また雨風をしのぐ場所も無い。
「オラこんな街嫌だ、山に行くだ!」
車の行き交う音がする路地裏で、アランは街を抜けて穏やかな場所に移り住むことを決断した。
「どうしたのアラン、いきなり変なこと言って?」
隣にいたキララは、そんなアランの様子を心配した。
キララは街で過ごしていた時に出会った猫で、アランと同じく帰る家が無いため一緒に行動している。
「いや、こんな所で毎日過ごしても良いこと無いなって思ってさ」
最近仲間の猫が山に移り住み、充実した生活を送っているということを聞いた。山なら食料もあるだろうし、他の動物と交流を深められる……かもしれない。
「キララはどう思う? こんな街に住み続けて、これから良いことがあると思うか?」
「確かに山も面白そう、だけど……」
キララはアランと対照的に、山で過ごすことを不安に思っている節があった。
街は夜でも明るく、そこまで危険な所も無いが山は本当に何があるか分からない。
「もう少し、じっくり考えたらどうかな?」
だが、アランは何かを思いついたらすぐに行動したくなる性格の猫だった。
迷っている時間が無駄なように感じた、とにかく新しいことに挑戦してみたい。
「物はタワシだ、取り敢えず行ってみようぜ」
アランはそのまま路地裏を出て、山を探しに走り去ってしまった。
「ねえ、ちょっと待ってよ!」
キララは慌ててアランの後を追いかけた。急に思い立ったとはいえ、置いていくのはあんまりだろう。
「それと、タワシじゃなくて試しだからね!」
二匹の猫はこうして、より過ごしやすい場所を求めて山に向かった。
だがそんな彼らの姿を嘲笑うように、電柱に止まっていた一羽のカラスが大きな声で鳴いた。
「カァァ!」
「おお、綺麗な水だ!」
アランは湧水を見つけ、尻尾を振りながら啜り始めた。
ここは街から少し外れた場所にある山で、開発が進んでいないからかレジャー施設等も無く、人の姿もまた無い。
「本当に大丈夫かな?」
真の意味で人里離れた場所に来てしまったわけだが、この静けさが逆にキララの不安を駆り立てた。
「細かいことは気にするな。ほら、キララも飲めよ」
アランは少しも心配していないらしく、明後日の方向を見て不安そうな表情をしているキララに水を勧めた。
「はあ、いただきます……」
まずは数回口をつけて感触を確かめ、その後汚れの無い湧水をキララは啜る。細かい味は分からなかったが、少なくとも不味くはなかった。
「どうせ誰もいないんだし、せっかく山に来たんだから探検でもしないか?」
アランはとにかく、この新しい土地を走り回って楽しみたかった。
「探検?」
キララは迷った。しばらく休みたかったが、ここに留まるのは危険な気がした。
「分かったわ、でも……」
「危険なことはしないし、キララと一緒に行動する」
キララの言葉を遮り、アランは目を見開いてそう言った。
「本当に分かってるんだか」
しばらく森の中を走っていると、アランは木の実が落ちているのを発見した。
「ん、これは?」
見上げると、どうやら近くにある木から落ちてきた物らしかった。
アランはそれを数個手に取り、食べ始めた。
「美味いけど、何か物足りないな……」
食べ終わっても空腹は満たされなかった。他に何かないかと思って探していたら、赤いキノコのような物が生えているのを見つけた。
「あれも美味そうだな」
食べようと思って近付いたアランを、キララは全力で制止した。
「待って、あれは危険なんじゃない?」
知識があったわけではない。ただ、あの鮮やかな色は毒キノコではないかとキララは感じた。
「まあ、そう言われてみればな……」
危険なことはしないと言っていたのに、このようなことでは先が思いやられてしまう。
「ここはもう良いから、他の所に行こう」
「分かった」
気を取り直して、アランは他の食料を探しに向かった。
「暗いな……」
やがて日が暮れると、辺りに電灯が無いことも相まって一気に暗くなってきた。
「もうこんな時間なのね」
猫なので暗い所でも問題は無いのだが、街にいた時は街灯があったので不安は感じる。
「でも見ろよ、ここ良い景色だぞ」
「えっ?」
アランは眺めの良い場所を見つけ、そこからの景色を楽しんだ。
黒く染まった空を星の光が明るく照らしており、じっくり見れば見る程引き込まれていくような気がする。
「わぁ、確かに綺麗……!」
キララは初めて、この山に来てよかったと思った。アランが誘ってこなければ、こんな素晴らしい景色も見られなかったかもしれない。
「そんじゃ、もう少し回ってみるか」
日が暮れたとはいえ、まだ時間はある。アランはまだ遊び足りなかった。
「そうね、行きましょう」
キララもそれに頷き、夜の探検をしに向かった。
だが、異変はその数時間後に起こった。
「……!?」
アランたち二匹は疲れて休んでいたのだが、森の奥の方から何やら唸り声が聞こえてきた。
明らかに人ではない。今まで聞いたことの無いような、猛獣の声だった。
「まさか、これが噂に聞く熊ってやつか?」
「静かにしてアラン、気付かれたらまずいよ!」
二匹は全身の毛を逆立たせて警戒した。実際に遭遇したことは無いが、熊はとんでもなく強いと聞いている。
「……」
気配を消して様子を見る。熊はこちらの存在に気付かなかったようで、しばらくした後立ち去っていく足音が聞こえてきた。
「いなくなったか?」
完全に足音が消えたのを確認してから、アランはようやく声を出した。
「ええ、多分……」
今回は襲われなかったが、キララは不安が的中してしまったと感じた。やはり、山に住むことは危険だ。
「こんなこと、毎日は続けていられないわね」
取り敢えず警戒を怠らないよう、今日は交代で休むことにした。
「やっぱり、山に住むのは無理だよ」
翌朝になって、キララは街に戻りたいと言い出した。
「えっ、どうしてだよ!?」
アランは驚いた。山では今まで見ることのできなかった自然や、環境に触れることができたからだ。
もっとここにいたかった、そしてより多くのことを学びたかった。
「昨日、私たちは熊に襲われかけたのよ? あの時は無事だったけど、毎日あんなことが起きるのは嫌よ」
それはアランも感じていたことだった。だが、街に戻りたくなかった。
「大丈夫だ、次来た時は必殺猫パンチで……!」
「いや、それは絶対無理でしょ」
アランが言い終わる前に、キララが即座に否定した。
「違う環境で過ごすのも良いけど、まずは安全が大事でしょ」
ただキララも今回のことは無駄じゃなかったと思っている。
自分たちが住んでいる世界には色んな場所があるということが知れて、経験を深めることができたからである。
「分かったよ……」
アランも渋々それに応じ、二匹は山から元いた街に戻ることにした。
「ちぇっ、楽しかったのに」
だが、アランの心にはまだ後悔が残っていた。
街に戻ってきた後、アランとキララは住宅街の一角にある公園の茂みに隠れていた。
「ここで一休みするか」
結局、これからどうすれば良いのだろうか。
自分たちの住める場所は街しかない。だがここで退屈な日々を過ごすのはアランにとって苦痛だった。
「暇だな、何か」
自分の気持ちを言葉にしたかったが、実際に出てきたのはそのようなつまらないフレーズだった。
「暇で良いじゃない。落ち着かない毎日よりも」
キララはそんな言葉をかけてくれた。だが、アランの心には届かなかった。
アランは公園で遊ぶ子供を見つけた。ああ、自分たちもあんな楽しそうに遊べたらどれ程幸せだっただろう。
と、その時だった。
「おい、あれってカラスじゃないか?」
アランは公園の砂場にカラスがいるのを見つけた。それ自体は何も不思議なことではないが、カラスは砂場で遊んでいる少女を狙っている。
「待て、このガーガー鳥め!」
猫のアランにとってもカラスはあまり好きな存在ではなかった。フンを落とすし、変に利口だし。
少女を助けたい思い半分、カラスに対する個猫的な恨み半分でアランはカラスに向かって走った。
「必殺猫パンチ!」
「カ……ァ!?」
カラスは完全に少女の方を向いていて、アランの不意打ちに全く気付いていなかった。
猫パンチの直撃を受けたカラスは、驚いて飛び去ってしまった。
「ちょっ、アラン!?」
キララは遅れて茂みを出たが、既にアランがカラスを追い払った後だった。
そして、少女はアランの方を向いた。
「あっ、猫ちゃんだ!」
何をされるのかとアランは身構えると、少女はアランの体を持ち上げた。
「おい何をする、早く下ろしてくれ!」
アランは下半身をにょーんと伸ばしながら抵抗したが、猫の言葉は少女に全く通じていない。
「面白い猫ちゃん、貴方は迷子なの?」
「くっ、何を言っているのか分からないけど馬鹿にされてる気がするぜ……!」
キララはそんな少女に駆け寄ったが、止めようとはしなかった。
「ふふっ、何だか面白いかも」
アランはどうすることもできず、キララに助けを求めた。
「キララ、笑ってないでどうにかしてくれよ!」
少女の家に持ち帰られたアランとキララは、病院での検査を済ませた後正式に飼われることとなった。
「何というか、結果オーライだったな」
アランは少女の部屋に置いてあった鏡のおもちゃを手に取って、物珍しそうに見つめていた。
「山に行こうって言い出さなかったら、あの子に拾われることも無かったし」
「確かに、今も街をフラフラしていたかもね」
何事も挑戦が大事なのだと、今回のことで学んだ気がする。
失敗すると思っていても、前に踏み出せば何らかの結果が生まれるのだ。
「何もしないのが一番ダメだ、だから……」
アランは最後の大事な部分を言おうとしたが、少女によって阻まれてしまった。
「ダメ、これはローラの大事な物なの!」
少女は鏡のおもちゃ……オーシャンプリズムミラーをアランから取り上げた。どうやらこれは貴重な品らしい。
「ジョンは向こうで遊んでて!」
そして少女に追い払われてしまった。ちなみにジョンというのは、アランの新しい名前である。
「うーん、もっとノビノビ遊ばせろよ……」
ここにきて唯一不便に感じているのは、動き回れる場所がこの部屋に限られていることだろう。
「何もしないのが一番ダメだから、何?」
キララは少女が去った後、アランに話の続きを聞いた。
「失敗を怖がらずに動くべきだ、そしたらきっと何かが起こるから」
アランは欠伸をして、ベッドの上で寝そべった。
こうして家の無かった二匹の猫は、心優しい少女の家で毎日を過ごすこととなった。
完