新人教育はyoutubeのように
お疲れさまです。新名人和です。
今日も弊社の新人社員として研鑽の日々を送っています。
まだ右も左も分かっていない状態ではあるのですが、初めてのピンチです。
「せんぱーいぃぃぃ、助けてください」
「どうしたのよ人和。何かやらかしたの?」
私の悲痛な声に、先輩は手を止めて事情を聴いてくるようです。
「実は部長から、やったことのない仕事を振られて、まだやったことがないって伝えたんですけど資料見ながらやれば何とかなるってあしらわれたんです…」
その言葉に先輩はため息をつきます。
「引継ぎくらいちゃんとしろって言われてるだろうに部長め…」
「どうしましょう先輩、二日後までって言われたんですけど部長どっか行っちゃったみたいで聞くに聞けないんです。助けてください」
「二日後って、部長帰ってくるの週末だから三日後じゃない。全く何考えてんのよ」
先輩はスケジューラーを確認しながら悪態をつきます。
部長の帰ってくるのがいつかを確認できていなかった私はその言葉に絶望しました。
「お、終わりました。先輩、私、納期に間に合わないかもしれません」
「人和、別に納期に間に合わないくらいで死んだりしないって。部長の方に落ち度があるんだし間違って元々の仕事だと思ってやってみれば良いじゃない」
そう楽観的に言う先輩ですが、私の考えは違いました。
「でも、失敗するのが怖いです…」
「たぶんだけど、わざと失敗するように誘導してる気もするし私も言ってあげるから気にしないで良いわよ。真面目なのは良いことだけど、考えて立ち止まるのは良くないわ」
「私、任せてもらえた仕事って今回が初めてでどうにか仕事を達成したいなって気持ちで一杯で。それに部長が渡してきた仕事はできるものしか渡さないだろうし、できる限り頑張ってみます」
多分今回の仕事は失敗するだろう。
そう思うと、手に鉛が付いたように重くなります。
怒られるのか、嫌だなという気持ちが先輩に伝わったのか背中から出ていたのかは分かりませんが、先輩は私の肩を叩きます。
「人和、資料貸してみて」
そう言う先輩に私は部長から渡された資料を見せます。
「なるほどね。全部しっかり読み取ればできるだろうけど、新人にこれは荷が重いわね。手伝ってあげたいけど、私は今別の案件で身動き取れないし…仕方ない。あいつに頼るしかないわね」
そう言って、先輩はパソコンで誰かに連絡を取り始めます。
「あいつって、誰のことですか」
手を止めることなく、先輩は私の質問に答えます。
「時よ。貴女が会ったことのある死んだ魚みたいな目をしてる問題社員のね」
そう言って、連絡が返ってきたのを確認すると先輩は私に資料を持つように促します。
「え、でも別の部署の人に仕事をお願いするのは…」
「仕事をやってもらうんじゃないの。貴女に分かるように新人教育用の資料として今回の仕事を使うように言ったのよ。今後もこう言った仕事が回ってくることも考えると今のうちに対処しておいた方が他の新人社員のためにも良いわ。人和は仕事を達成できる。それでいてやり方を覚えて、今後に活かせるし。会社としてもノウハウが蓄積できるんだから一石二鳥くらいに思っておきなさい」
私の背中を押す先輩にお礼を言って、時さんのいる部署へと向かうのでした。
時さんはいつも通り、ヘッドホンを付けて椅子には張り紙をした状態で仕事をしていました。周りは別の部署から来た私にかまう様子などなく自分自身の仕事に打ち込んでいるようです。幾つもの電話やタイプする音が洪水のように響いています。
私は時さんの目の前に手を恐る恐る出して、来たことを知らせます。
すると時さんは私の方を見た後に、パソコンのモニターを指さします。
指先に書いてあったのは「第二会議室でお話を聞きます。ここはうるさいので話すのに適していません」というテキストでした。
私が確認したのを見て時さんは無表情のまま指でオーケーサインを出して私の方を向いています。
私は小声で答えながら首を縦に振りました。
それに納得したように時さんはデスクにあった適当な裏紙に「第二会議室にて新人研修資料作成中」とデカデカと書いて机の上に置きました。
ノートパソコンをわきに抱えた時さんは席を立ちあがり、会議室のある方向を指さしながら歩いていきました。
私はその時さんの後ろを置いて行かれないように無言でついていきます。
会議室の中は外からの音が完全に遮断されたように静かでした。
部屋に入った後に、時さんはヘッドホンを外して、椅子に座ると机の上に持ち物を置きます。
「どうぞ、座ってください」
時さんに促されるように私は目の前の椅子に座ります。
「今回のことは貴女の先輩から聞いています。持ってきた資料を拝見させていただいてもよろしいですか?」
「あ、はい。お願いします!」
そう言って私は時さんに資料を手渡します。
資料をペラペラとめくりながら、時さんは会話を続けます。
「資料を確認しながらの話になりますが、貴女の部署の部長が無理難題を吹っかけてきたということでよろしいですかね?」
「その、無理難題ではないんですけど新人の私には少しハードルが高いかなと思う内容でして」
「社員の心労を考えない投げっぱなしジャーマンは無理難題と言うんですよ。そんな教育で育つ社員であればわが社に居なくても大成します」
そのズバッと真剣で切ったかのような一言に私は隣の椅子に手をつきます。
「応えようとして試行錯誤するのが部下の仕事であるならば、上司の仕事はできるようにその道筋を整備して資料を渡すことです。分からない場所があるなら聞きなさいなどと言うのは分からないことが分からない新人の段階では難しいことだと上はなんで理解しないのか」
そうブツブツと言いながら時さんは資料を読み終えたようでノートパソコンを広げました。
「資料の内容は粗方理解しました。そして、今から行うのは確認であって仕事の内容を分からない場所を分かるようにするための方法であって、貴女の仕事を完成させることが目的ではないことを理解してください」
そう言って、私に確認をする。
「取っ掛かりが頂けるだけでもありがたいです」
「謙虚な返答で大変よろしい。では、今から動画を作っていきますので資料についての忌憚ない意見をお願いします」
時さんの言葉に私は少し戸惑ってしまいます。
「あの、時さん。動画ですか?」
「えぇ、動画です。今後の新人教育資料としても分からないが分からない社員を減らす努力が必要になってきます。となれば、貴女のような社員を減らすことがより効率化を進めるうえで必要になってくるわけです」
そう言って、ノートパソコンが付いたのを見て操作を始める。
「このノートパソコンには一応、マイクが付いています。これから行うのは貴女と私の掛け合いを録音するということです。まぁ、ただ単に録音をするだけなのですが後の資料に関しては私の担当なのでお気になさらず」
録音、今後残るものと思うと一層こわばってしまう。
「あぁ、別に貴女の声を録音はしますがそのまま使ったりしませんよ」
時さんのその言葉に少し肩の荷が下ります。
「そ、そうなんですね」
「えぇ、あくまで私は分かることでも貴女には分からないことがある。その質問に対しての回答までの遅さなどを分析して、どれくらい考えているのかを導き出して確認するための方法と、私も人間です。一言一句覚えているわけではありませんし、質問をしながら覚えておくなんてことはハッキリ言って無理です。であれば、機械に頼ったほうが効率的と言うものです」
「な、なるほど」
「そして、最終的には簡単な動画にして今後の資料として残します。貴女は今日得た知識をそのまま仕事で利用していただければ粗は多いでしょうが仕事を達成することができると思います」
そういって、時さんは資料を見ながら私へと質問を始めました。
いくつかの質問と、部分に飛び散っている情報をまとめながら進行してくれる時さんの言葉に私は理解を少しずつ深め、二時間後には資料に書かれている内容をしっかりと理解できるようになったのです。
「あ、ありがとうございます」
終わった後、ノートパソコンをしまう時さんに私はお礼を言いました。
しかし、そのお礼にも時さんは淡白に答えます。
「いえ、仕事ですから。何とかなりそうなら幸いです」
そう言って、ヘッドホンを付け荷物をわきに抱えると私に一礼して会議室を後にしていきました。
時さんが居なくなった後、私も自分の部署へと帰って仕事をしようと思いエレベーターを待ちます。
時刻は十八時頃、定時ではありますが私の仕事は急ぎですから少しの残業くらいは仕方ないことです。
先輩からは早めに帰るように言われましたが、覚えたことを覚えているうちにやっておきたいと伝えると折れてくれました。
その後、どうにか仕事を達成することができ部長からはよくできたと褒めてもらえたので今回の仕事は大成したと思っていいと思います。
後日、時さんの作ったという新人教育資料を見せていただくことができました。
時さん曰く、みんなが苦なく見れるようにやったという動画、どういうものなのか気になり見ることにしました。
「はいどうもー、トッキーです。今日はね、会議資料の作り方。新人編。ということでね。やっていこうと思いますー」
トキさんのいつもの様子からは考えられないくらいのテンションと緩い感じの合成音声で繰り広げられる動画に私は見覚えがありました。
これ、やってみた動画だ…と。
最後まで苦なく見ることは出来ましたが、なんというか仕事を覚えるという固い感じは一切ないこの動画がこれからもこの会社の財産として残っていくと思うとこう。釈然としない気持ちで一杯になったのでした。
「トキ!なんだこの動画は!こんなのが新人教育の資料なんてふざけてるのか!」
「お言葉ですが課長、昨今のハウトゥー動画はこういった緩いテイストを用いることによって間口を広く取り最後まで苦なく見てもらえることを目指しているのです。昔は堅苦しい参考書ばかりが一般的だったかもしれませんが、これは時代における進化といっても過言ではありませんよ」
そう言って、課長さんを説き伏せるという一幕が時さんの部署では起きていたと風の噂で私は耳に挟むのでした。