氷河期世代によるサイレントテロから実質性テロへの転化について
今回、非正規氷河期世代による重大なテロ事件が発生した。京都アニメーション殺人事件である。この事件は戦後最大の個人殺人事件であり、現代日本においては一つの画期となった事件でもある。
この事件より二ヶ月前には同様の事件が発生していた。川崎児童大量殺人事件である。この事件もまた、氷河期世代による事件であり、動機は特にない、単なる大量殺人である。しかし、これら二つの事件は同質の要素を含んでおり、単なる狂人による事件と片付ける訳にはいかない。
これまで氷河期世代の社会抵抗性は所謂サイレントテロに集約されていた。その結果、社会が行ったのは氷河期への支援ではなく、氷河期を殲滅するような移民推進政策である。
この事は氷河期に対して極めて否定的な政策であり、事実上の氷河期棄民政策である。
これからは氷河期世代は社会から断絶され、苦しみと貧困に喘ぐようにと切り捨てられ生きていかねばならないのだ。
これまでは、いずれは社会は氷河期に何らかの救済を行うと信じていた。いや、信じこもうとしていた。しかし、その願いはあっけなく裏切られ、海とも山とも分からない移民を有り難がって受け入れるようになった。氷河期世代は日本語も分からない不法滞留者よりも遥かに格下、ゴミか掃き溜め糞のような扱いを受ける事となった。
これは企業の採用姿勢に最も顕著に現れている。氷河期をやとうくらいなら、移民を雇う、と。
その様な中、どうして非正規氷河期が救われる事があろうか。
これまでは氷河期の抵抗は目に見えないサイレントテロによって行われていた。しかし、その答えが更なる弾圧であった。ならば、抵抗は次のステージへと進化していく。
それは、現実性を帯びたテロリズムへの進化である。
このテロリズムはこれまでの氷河期の切なる訴えを踏みにじり続けた社会への返答に過ぎない。社会が漫然と氷河期世代を殺そうとするなら、氷河期世代はそれに対して実際性を含んだ抵抗を行うのは自明の利である。
これからも氷河期世代に対する適切な補助、支援がない限り、彼等のあらゆる手段を用いた抗議は続いていく事になるだろう。