前編
まだ見ぬ世界へと足を踏み出す時、二種類の反応が返ってくると思う。
ひとつは、その世界にはどんな楽しいことが待っているのか、どんな素敵な人との出会いが待っているのかを想像して心を躍らせ、進んで未開の地へ足を運ぶタイプ。
もうひとつは、その世界で待っている苦しいこと、嫌なことを想起してしまい、未開の地への形容しがたい不安を大きくして、踏み出すことを躊躇してしまうタイプ。
そういった意味では私は間違いなく前者のタイプで、無意識ながら中学生の頃くらいから「東京」という場所にかなりの憧れを持っていた。
渋谷で流行りのパンケーキを食べ、「映え」の写真を撮りSNSに投稿。
大人になったら銀座で素敵な女性と待ち合わせ、六本木で朝まで酔いしれて…。
都会の人たちが嫌がる満員電車でさえ、「都会の風流」として一度は経験してみたいものだった。
もちろん、満員電車など経験しようもなかった少年時代を過ごし、友達はコオロギ、「映え」はカブトムシの標本、待ち合わせは寂れたバス停、夜は蛍の光を追いかけて河辺を走るような生粋の「かっぺ」だったからこその憧れである。
少年の私にとっては都会の全てがキラキラしたものに見え、そこに行けば絶対幸せだろうなぁ、なんて考えていた。
大学生になっても、多少の強弱はあったとして関東という都会への憧れは変わらなかった。
そして進路を考える時期になって、私は都会への憧れをどんどん膨らませていた。
ロックミュージシャンに頻繁に会える下北沢へ、ナウなヤングがたむろして煙草をふかしていた横浜駅へ。
若者であふれかえる、無限の可能性を秘めた関東という場所を、自分の故郷としてみたい。
そんな思いがどんどん膨れていった。
そんな気持ちに待ったをかけたのは彼女だった。
大学4年生の春、私には愛する女がいた。
彼女の存在が、関東でシティーボーイになりたいという私の願望とバッティングしていたのだった。
今から振り返ってみても、正直全身全霊で尽くしたいと思えるほどに絶世の美女だったわけではない。
コンプレックスの塊で、学校の友だちと自分を比べて自分はなんてブサイクなんだろうと勝手に落ち込むような人間だったし、スタイルもそこまでよかったわけではない。
料理も人並みにはできるが、持ち前の不器用が邪魔をしてそんなに上手に料理が作れていたわけでもなかった。
しかし、彼女には素敵だなと思えた人を疑うことなく全力で愛することのできる才能があった。
私が実習や卒業論文、就職活動で苦しんでいたときには何度も腰や肩を揉んでもらったし、この曲素敵だよ、と私が好みそうな音楽をたくさん持ってきてくれた。
なによりも、彼女が私といることで笑顔になる時。その瞬間を、私は愛していたのだ。
思えば私はずっと、「不満足な人間」で居続けた。
関東への憧れも、何にもない(と考えていた)田舎に不満を感じ、もっと素敵な場所があるに違いない!というものから生まれたものだったのかもしれない。
私は彼女と関東を天秤にかけた結果、関東を選んだ。何の前触れもなしに、彼女を手放すことを決めたのだった。
他人から見たら「裏切り」そのものである。
もっといい女がいる。もっと素敵なことが、関東に行けば。
子供の頃に抱いた「幻想」は、22歳になった私をも支配していたのだ。
そうして私は、彼女を傷つけた。