元クラスメイトの竜宮さん
恋人との待ち合わせ時間までは、まだ先だ。
思いのほかはやく到着してしまったおれは、近くのスーパーで暇つぶしをしていた。
特に欲しいものがあるわけでもなく、ただ適当に店内をぶらぶらしてるだけ。
見慣れた店内に物珍しいものなんてなにもない。
待ち合わせ場所はいつものカフェなわけだし、先に入って何か頼んでようかなーっなんて考え始めた時だった。
何気なく視線を向けた先の人影に、ふと足が止まる。
「ん……?」
やっぱりそうだ、あの鮮やかな赤色の髪。
多分、間違いない。
「あの、すみません」
その時は、人違いかもとかそんなことは一切考えないで声を掛けた。
卒業してそんなに月日が経っているわけじゃない。だけど久しぶりに見た元クラスメイトの姿に嬉しさを抑えきれなくて、そのまま勢いで声を掛けちゃった……んだけど──
振り返った少女の、その表情はとんでもなく険しい。
その目つきは明らかにおれを敵視していた。
一瞬ドキリ、と心臓が大きく脈打つ。
おれを捉える碧い宝石のような瞳は、彼女の他に見たことがない。だから間違いないと思うんだけど、それ以上におれを捉えるその敵意も、これまで見たことがないくらい強くて激しいものだった。あれ? おれ間違った?
「竜宮さん、じゃないですか?」
おれは慌てて、『敵じゃないですよ』ってアピールと、それから自分の中で確認する意も込めて彼女の名前を出してみる。顔を見て改めてやっぱりそうだって確信はあるんだけど、如何せん向けられた視線が痛くって、言い切る自信が持てない。
「なんで私の苗字を知ってるんですか」
やっぱり間違いない。竜宮さんの声だ。
おれはそれで確信したけど、だけど竜宮さんの眉間には更に深くしわがよってしまった。
誰がどう見たって一触即発な空気。
きっとおれが次に身動きしたら、何か行動を起こされるぞ、これは。
「そこまで身構えなくても……。おれだよ、おれ。覚えてない?」
とりあえず思い出してもらえればきっとこの警戒レベルも下げてくれるはず。そう思って自分を指して聞いてみる。きっとこれで過去に接点があったかもって思い出を探って、おれのことを記憶の中から見つけだしてくれるかもしれない。
「白昼堂々とオレオレ詐欺をするその度胸だけは認めてあげます。今すぐ私の前から消えなさい。私に手を出すと痛い目を見るだけでは済みませんよ」
「ひ、ひどいな……」
思い出してくれるかも──なんて、そんな考えは甘かったらしい。
っていうか白昼堂々とオレオレ詐欺? 目の前で直接やる奴いる!? 誰お前で終わって成功率ゼロじゃね!? とか少し前ならツッコめたけどこの空気じゃ到底無理だ。
おかしいなあ、結構お世話になったはずなのに。
完膚なきまでに忘れ去られて結構辛いよ? おれ。
「本当にわからない? おれ、高校で竜宮さんと同じクラスだった龍崇千聖っていうんだけど」
「ふん、そんな名前聞いたこと──……、あっ」
「思い出してくれた?」
あっ、と言った瞬間の表情の変わり方、卒業前と全然変わってない。
相変わらずのその様子と、思い出してくれた安堵で自然と体の力も抜ける。
思い出してくれなかったらどうしようって、おれもちょっと身構えてたから。
それにしても学生の時からそうだ、竜宮さんの表情はわかりやすくて、その上すぐにころころ変わる。可愛いし、見てて飽きないなーなんて思ってたけど、そんなこと言ったら殺されそうだから絶対に言わなかった。誰に、とは言わないけど、マジで絞められそう。
**********
「──ウチの妻が失礼しました」
「いえいえ、お構いなく」
スーパーでの出来事を経て、おれたちは待ち合わせ場所にしていたカフェに移動した。
あの後すぐに、竜宮さんの恋人である黒桐先輩も合流して、今は三人。
竜宮さんに変わって謝罪してくれる先輩の横で、当人の竜宮さんは小さくなってる。
最終的には思い出してくれたんだし、別にそんなに凹まなくてもいいのに……。
でもきっと竜宮さんのことだから、先輩に対しても申し訳ないなんて思っているんだろう。そんなところがおれの恋人とかぶって見えて、あぁ早く会いたいなーなんて心の隅っこで考えはじめた。
恋人に思いを馳せながらも、竜宮さんが注文したブラックコーヒーに目を向ける。
さっきから相当砂糖とミルクをいれてるみたいけど。だったら何故ブラックを頼んだんだろう、っていうのはおれの中で芽生えた本当に些細な疑問だ。
「そんなに落ち込むなって。むしろ緊急時の対応としては上出来だぞ。ユイが無事で本当によかった」
何故か無理してブラックコーヒーを飲む竜宮さんの頭を、先輩がやさしく撫でる。
優しいのは手つきだけじゃない。
先輩の言葉に小さく「はい」と答えながらも、相変わらず落ち込み続ける竜宮さんに向ける先輩の瞳は本当に、特別優しい。
おれは知ってる。昔からずっと、その瞳は決して他の何にも向かない、竜宮さんを見る時だけなんだってこと。
それに、なにより、人前でイチャつくところも昔から変わってない。
場所を選ばないのも昔からのことだ。
見せつけられてる側のおれからしたら、ちょっと恥ずかしい。
だけど正直いって羨ましくもある。
だって、可愛いこの子、おれの女なんだぜって、できるもんなら周りに知らしめたいし。
いや先輩にそんな意図があるかはわからないけど。
とはいえやっぱり、相変わらずのお熱さを見せつけられると恥ずかしい。
相変わらずですね、なんてコメントしたら竜宮さんは恥ずかしそうに下を向いてしまった。
「そう言うおまえは少し背が伸びたみたいだな、龍崇」
「黒桐先輩とは去年の卒業式以来でしたっけ」
「ああ。みんなと生徒会をやっていた頃が懐かしいよ。天使とはまだ付き合っているんだろう?」
少しだけ背が伸びたことに気が付いてもらえて嬉しくなる。
けどそんなことで喜んでるなんてバレたらかっこ悪いし、なるべく顔には出さないように気を付けた。生徒会、の言葉に懐かしさを感じながらも、先輩に対して失礼にならないように、ちらっと一瞬、携帯に目を向ける。
「ルナならもうすぐきますよ。さっきラインしたんで」
「わざわざ呼んでくれたのか? すまないな」
「いえ、元々ここで待ち合わせしてましたから」
そろそろ到着するはず──なんて付け足そうとしたその時、本当に丁度よく入り口のベルが音を立てた。一人の少女がきょろきょろと店内を見渡しておれたちの事を探している。
呼べばすぐに気が付いて、彼女はこっちに向かってきた。
途中、律儀にも店員さんに会釈してる姿がたまらなく可愛い。
「お待たせしました、みなさん」
満を持してやっと登場してくれたルナが、当然のようにおれの隣に腰かける。
この状況でおれの隣を選ぶのは当たり前だけど、その当たり前がおれにとってはたまらなく幸せだった。ふわりと薫る愛しいにおいに、顔中の筋肉が職務放棄しやがった。でも仕方がない、これは不可抗力ってやつだから。
「きたか。まあ、座ってくれ。あと好きなモン頼め。ここは俺たちが出すから」
「いいんですか? ありがとうございます、黒桐先輩」
さらりと放った先輩の「俺たちが出すから」のセリフはすごく憧れる。
だって普通にかっこいいし、おれもいつか後輩にこんなことを言ってみたい。
「あれ? ユイ先輩コーヒー飲めるようになったんですか? すごいですね」
「ええ、まあね、アハハ……」
隣で聞こえてくる彼女同士の会話。
会話するだけで微笑ましいなと感じる反面、やっぱり竜宮さんがブラックコーヒーを頼んだ謎が気になって仕方がない。飲めるようになった、というか……ルナは見てないと思うけどすっげー量の砂糖入れてたし。頼んだはいいが飲めなかったとかってオチな気がしてならない。っていうか絶対そうでしょ。どうして変なとこで無理してるんだよ。
そうこうしてるうちにルナが頼んだらしいココアが届く。
さっそくココアのカップに口をつけようとするルナ様子を眺めながら、熱いと思うから気をつけなよ、なんて内心で思うけど、おれは実際口に出してそれを言ったりはしない。
きっと先輩なら、竜宮さんに言うんだろうな。
そう思って今度は竜宮さんの方に視線を向けてみれば、ルナに合わせて竜宮さんも自分のカップに口をつけようとしていた。お……いくのか!? いくのか!? なんてハラハラしながら、おれは竜宮さんの事をさりげなく観察する。
「無理すんなっつの」
口に含んだ瞬間やっぱり無理って感じの顔してたし、なんなら隣の先輩に見抜かれてるしでおれは噴き出しそうになった。
即座に席を立って、セルフの水を取ってくる先輩。
ただそれだけのことなのに、何故かさっき頭を撫でた時みたいな空気感になる。
なんていうんだろ、甘いっていうか、もう空気でイチャついてる。空気でイチャつくってなんだよっておれでも思うけど、マジでそんな感じ。
「ユイ先輩と黒桐先輩のそういうところ、変わらないですね」
それはルナも感じ取ったみたいで、楽しそうに笑った。
さっきのおれの発言と同じ彼女の言葉におれも嬉しくなる。
「それさっきおれも言ったよ」
そんな風に言えば、ルナはおれの事を見てもう一度ふふ、と笑ってくれた。
単純すぎて恥ずかしいけど、おれはルナがこっちを見て笑ってくれることが、同じこと思ったって伝えれば嬉しそうにしてくれることがめちゃくちゃ嬉しい。
そんなのなんでもない、普通の事じゃんって言われるかもしれないけど。
おれにとってはそんな何気ない出来事が、当たり前になっている今が幸せなんだ。
「いや、変わったところならあるぞ」
当たり前に変わった今を変わらないものにしたい──なんて思って一人幸せに浸ってるおれは、突然放たれた先輩の言葉の意味が全然分からなくて、え? と思って先輩を見た。
何を言い出すのか、全く予想できない。
だって、先輩と竜宮さんはなんにも変わらず仲いいし……。
ルナもきょとんとしてるのが何よりの証拠だ。
「俺はもう〝黒桐〟じゃなくて〝竜宮〟だ」
「…………? ボクちょっとどういう意味かわからないんですが……」
先輩の発言にルナが正直な感想を伝える。おれもだ。
おれもどーゆー意味か、全っ然わからない。
「えっと、つまり……、え……?」
「俺とユイは、ユイが高校を卒業したのと同時に結婚したんだ」
「しちゃいました」
「「ええええぇぇぇぇっっ!?」」
おれとルナの声がハモった。てか、おれにいたっては腰が浮いた。
しちゃいました、なんて笑う竜宮さんの顔にはわかりやすくテヘペロって書いてある。
いやいやテヘペロじゃないって! しちゃいましたじゃないって!
今卒業と同時に、結婚……? 先輩そう言ったよな?
さっき言ってた「おれの妻が」って、よくある比喩的な、おれの嫁が、みたいなそーゆー惚気交じりの冗談じゃなくってマジだったってこと? マジで妻ってこと? 先輩、やるな……。
じゃなくて! ここ二人は絶対結婚するだろ、って思ってたけどまさか卒業と同時にするとは……。
「うるせえなぁ。他の客の迷惑になるからもうちっと静かにしろよ」
先輩からたしなめられて周囲をみれば、近くのお客さんがおれらを見てた。
思わずルナと一緒に叫んでしまったけど逆に驚かない奴なんていないって、とか思いながらも、周りの注目を浴びてさすがに恥ずかしくなってくる。
「そういうことなら先に言ってくださいよっ」
なんだか、『先輩カップル』なんて、付き合ってるおれらと同じ恋人同士だと思って話してたのが恥ずかしくなってくる。やっぱり恋人と夫婦じゃ、いろいろ話は変わってくるだろ……。恋人同士と同列に扱っていた自分自身が恥ずかしくて仕方ない。
「あ、もしかしてボクがきてからのほうが二度手間にならないと思って黙ってたんじゃ……」
「その通りだ、天使」
冷静になりきれてないおれは、ルナと先輩の会話をきいてなるほどなと納得した。
確かにそうだ。どうせおれら、別々に説明されたところで別々に店内の注目を集めることになるだろうし。悪目立ちは一回でいいもんな。
「だから今は竜宮刀士郎だ。漢字が違うとはいえ、これで龍崇とはダブルドラゴンの関係だな」
「か、かっけえ……!」
不意に言われた『ダブルドラゴン』に、おれの意識は目立ってしまった恥ずかしさよりもその響きのかっこよさに持っていかれた。だってすっげー強そう。
厨二かよって誰かにからかわれるような気もするけど、これはロマンってやつだから。けどまてよ、もともとは恋人の苗字なのだからここにドラゴンは3人いるわけで、更におれとルナが結婚したら……これフォースドラゴンになるだろ!
「千聖くんごめん、ボクちょっとどういう意味かわからない」
一瞬おれのフォースドラゴンが無意識のうちに口から出てしまったか!? って焦ったけどそうじゃない。先輩が放ったダブルドラゴンって単語におれが感動してるっていうこの流れがわからないってことだ。
そっか、わかんないか……。
よかった、フォースドラゴンとか言わなくて。
「男と女じゃ良さを感じるポイントが違いますからねぇ」
「あのユイ先輩がすごく既婚者っぽいこと言ってる……!?」
確かにおれも今の竜宮さんの発言には少しだけ驚いた。
在学中の彼女からはそんな落ち着いたコメントなんて聞いた事がなかったし、言うような印象もない。いきなりブラックコーヒーに挑戦するとか、無謀な行動に走るのは昔のままだったけど。
何が竜宮さんを変えたのか、そんなの単純だ。
「結婚かぁ……」
それは、おれの中ではまだまだ全然、先の話だ。
とはいえ全く考えていないわけではなくて、もちろんいつかはしたいし、その相手はルナしかいないって思ってる。だけど実際ルナはどう考えてるかわからない。
そもそもこんな話をしたことがないし、もしルナが結婚なんて一切考えてないのだとしたら、重たく思われることが怖くて、切り出すことすらしてこなかった。
だけど今日、目の前で先輩たちをみてたら、すげーなって感情と一緒になって湧いてきたのは『羨ましい』なんて気持ちだった。