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 文具屋『墨文堂』。

 私と小説家はその店先に立った。

 一度、侵入している所為か、私には少しだけ後ろめたさがあった。

 常日頃、人の敷地や屋敷などには幾度となく侵入しているのだが、意識を持って侵入するのと、何気なく侵入するのとでは、再度その場所を訪れたときの心持ちに差が出るものらしい。

 ……こんなことを感じるようになるとは。

 歳をとったものだ、私も。

 溜息を小さく吐いてから小説家を見上げる。

「……して、どうするのだ」

 店先に立ったはいいが、それきりそこから動かなくなってしまった小説家に声を掛ける。

「そうだね、先ずは店主に会わなくてはね」

 言って、小説家はようやく動いて店の戸に手を掛けた。

 がらり、と音を立てて戸が開く。

「やあ、いい店だね」

 店の中を見て小説家が嬉しそうな感嘆の声を上げる。店の内装に驚いたようだ。小説家に続いて私も店内に入るが、しかし、私から見たその感想は──古い、の一言に尽きた。

 懐古趣味、というやつだろうか。昔懐かしい昭和の雰囲気がそこにあった。

 私は小説家の肩に飛び乗り、店内を見回した。

 外観からもそうであろうと思っていたが、全てが木造である。棚の全ても木の板で設えられており、そこに筆記用具が並べられ、棚によってその販売対象年齢を分けているようだった。

 棚の並びはまずまずであるが、商品には埃も無い。店内全体に掃除が行き届いているようで、廃れている様子は無いようだ。だが、しかしとて、繁盛しているようでもない。

 と。

「いらっしゃいませ」

 奥から声がした。

 目を商品棚から店の奥へと移す。手前に会計台があり、その奥が上がり框になっていて、そこに和服を着た男がいた。こちらと目が合うとぺこりと頭を小さく下げた。こちらも──小説家が会釈を返す。

 ……若いな。

 歳の頃はそう、二十三、四といったところだろうか。紺の和装に身を包み、細面でなんとも気の弱そうな笑顔をこちらに向けている。僅かな生気を辛うじて保っているといった感じだ。

「何かお探しですか?」

 和装の男──店主はそう訊いてきた。

 私たちの様子を見て、何か商品を探しているものと思ったようだ。

 しかしこちらは商品に……文房具に用は無い。

 用があるのは店主へなのだが……。

 はて、どうしたものか……。

 そう、私が考え倦ねていると。

「こちらにとても美しい『人形』があるそうですね」

 小説家が言う。

 あまりにも直球な物言いなものだから、私は小説家の肩の上で固まってしまった。

 何を考えているのだこやつは。

 馬鹿か。

 否、馬鹿どころではない──阿呆すら通り越して間抜けである。

 見ろ。話の切り出し方が急すぎてその切り口に店主も固まっているでは無いか。

 不動産屋での会話力はどこに捨ててきた?

「その『人形』を見せては下さいませんか?」

 私と店主がそれぞれの驚きで固まっているのを構わずに小説家は言う。

 ……こやつ。

 本当に何を考えている?

 小説家を見ると、その目は真っ直ぐに店主を見ていた。店主の方も、小説家を真っ直ぐに見ている。

 暫くの──無言。

 先に動いたのは店主の方だった。

 店主は力を抜くように小説家から視線を下げて顔を伏せる。

 覇気の無い顔から、更に気力が抜けたような感じがした。

 一呼吸置いてから、店主は再び顔を上げ、

「──どうぞ」

 と言って、店主は立ち上がり、小説家に中へ上がるよう促した。

「ありがとうございます」

 小説家が一礼して靴を脱ぎ、上がり(かまち)に足を掛ける。それを見てから、店主はこちらに背を向けて奥にある階段へ行き、一度、小説家をちらりと見遣ってから階段を上っていった。店主の後を追って小説家も階段を上がる。

「こちらで少々お待ちください」

 直ぐに戻りますので──と、そうして通されたのは六畳程の和室だった。客間として使っているのか、驚く程に物が無い。在る物と言えば、木製の卓に座布団、それから、三段しかない小さな本棚だけだった。

 私は店主が用意した座布団に座る小説家の肩から降り、耳で店主の動きを追った。

 店主が階段を降りる音がする。降りてそこから……あぁ、店先に出たようだ。戸が開く音と履き物の底が擦れる音に混じって何か小板が軽くぶつかるような音がして戸が閉められる音がして──


 ──かちゃり。


 錠が掛けられる音がした。

「……店の鍵を閉めた……?」

 何故だ。何故、店を閉める必要がある。

 私が困惑している間に階段を上ってくる足音が聞こえ、しかしそれはここへは来ずに反対の方向へ行ってしまった。

「……僕らに応対するためにお店を閉めたのかもね」

 足音が遠のくと、小説家が私の漏らした言葉に対してそんな風に答えた。

 私は閉じ込められたのかと思ったが……そうか。

 猫と人とでは考えることが違うのであるな。

 まぁ、生き方がそもそも違うのであるから当然のことか。

 今更ながらに、私と小説家──猫と人との差を垣間見た気がした。

 お互いに言葉が理解し合えたところで同じ考えを共有することはないようだ。

「……どうかしたかい?」

 私が黙っているのを訝しんだのか小説家がこちらの様子を覗ってきた。

「いや、なんでもない」

 首を振って否定しながら、今はそれどころではないと頭の中から先程まで考えていたことを払い落とす。

 と、時良く遠くから廊下を踏む音が聞こえてきた。

「店主が戻ってくるぞ」

 私がそう言うと、重ねて何か言おうとしていた小説家の動きが止まる。そして、言葉の代わりに出したのは溜息だけだった。

 足音が、閉じられた障子の向こうで止まる。

「お待たせいたしました」

 滑らかに障子を開け、湯飲みの乗った盆を先に畳間に入れてから己も入り、再び障子を閉じる。そして、慣れた手つきで小説家の前に湯飲みを置くと、その対面に座り、己の前にも湯飲みを置いた。盆を下げて座卓の下に滑らせる。そうして一拍の間を置いてから、店主はゆっくりと口を開いた。

「──お見せする前にお聞きしたいことがあるのですが」

 湯飲みに視線を落として店主は言う。

「何でしょう」

 小説家が応じる。

「……『人形』のことを、どうやって知ったのですか?」

 顔を上げぬまま、問いかける店主。

「そうですね、何と言いますか──僕が知ったのは偶々(たまたま)というか──偶然なんですよ」

 小説家は顔を伏せたままの店主を見ながら答える。

「散歩をしていて、その時偶然すれ違った小学生が話をしていたんです。こちらの向かいにある空き家の二階から、綺麗な『人形』を見たんだ、と」

「……そう、ですか……」

 店主は感情の表れない顔で、小説家の答えを納め得た。

 しかし私はその様子に違和感を覚えた。

 何故か、そう言った店主の声に気落ちするような気配を感じたからだ。

 そしてそれは小説家も感じたらしい。しかし、それついては触れず、こう言い放つ。

「答え合わせをしたいんですけれどいいですか?」

 と、実ににこやかな顔を店主に向ける。

「答え合わせ……?」

 顔を上げて小説家を見る店主を見て、小説家は更に笑む。

「もちろん、あの『人形』に関して」

 そんな風に言う小説家を見る店主の目の色が変わった。

 何故。

 何故そこで期待するような目をするのだ?

「お……お願いします……」

 深々と頭を下げる店主。

 一体この店主は。

 この小説家に、何を期待している?

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