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「──なんだか『ろう』みたいだね」

 私の爪にあったそれをまじまじと見ながら小説家は言った。

 それ──白い妙な塊は今、小説家が原稿用紙をちぎって用意した紙片に乗せられている。

 あれから。

 小説家と私は部屋に戻って来ていた。

 今一度、話を整理する為に。

 そうして話を検め、再確認し、私があの文房具屋の二階で見た『人形』の詳細を話し終えたところである。

「ろう……」

 というのはあの蝋燭のことか?

「うん。なんかこう、手触りとか質感とかが似てるんだ。もしかしたら……その『人形』は『蝋人形』なのかも」

 ──『蝋人形』。

 聞いたことがあるな。

「まぁ、文字通り、蝋で作られた人形だね。お前の言葉を聞くに、相当な精巧さだったんだろうね」

「うむ、かなり精巧に出来ておった。私とて前もって『人形』であると耳に入れていなければ人──生きている人間だと思うたであろうな。正直、知っていても、あれを目にしたときは息を呑むものがあったが。……しかし、あの雰囲気。とても只の『人形』とは思えなかった……」

 精巧だの緻密だのという一言ではどうにも収まらない。

「まるで、それそのものを『人形』に仕立てたようであったな──」

 それに、あの奇妙な匂いも気になる。うっすらと気にかかる匂い──


 すっ


 小説家の短く息を吸う音が耳についた。

 なんぞあったかと顔を上げて小説家を見ると、目を見開いて固まっている顔があった。

「おい、どうし……」

「それだ」

 ?

 なんだ?

「それだよ。もしかしたらその『人形』は、『人形』じゃあないのかもしれない」

 どういうことだ?

 私は首を傾げる。

「『しろう』というのを知っているかい?」

 小説家がそう問うてくるので、私は首を横に振って応じた。

 知らぬ。

 なんだそれは。

「屍が蝋になる、と書いて『屍蠟』。『死体』が腐らずに生前の姿のまま──蝋の様に変質してしまったもののことなんだけれどね。もしかしたらその『人形』は、『屍蠟化』した……もしくはさせた『死体』なのかも」

「『死体』……だと?」

 あれが……亡骸?

 しかし……生きとし生きるものは須く土に還る。それが摂理だろうて。あのように髪の一本から手足の爪先まで十割中十割と残る筈が無い。魂を失った我々の身体は、空気――風に晒されるだけで腐敗し、その形を崩しながら、土に混じるものだ。それが土に混じるどころか、崩れず腐らず、生前の姿まま保たれるなど、有り得ることなのか? そんな道理が通るとは思えぬのだが。

「……その、『屍蠟』とやらはどうすれば出来るのだ?」

 『死体』は『腐る』ことで『土に還る』──これが自然の摂理。

 あの『人形』が小説家の言う『屍が蝋になったもの』──『屍蠟』であるならばそれは自然の摂理に逆らっていることになるのだが……。

「どうやったらと聞かれても……僕も詳しくは知らないんだよなぁ」

 そう呟いて、小説家は暫く視線を畳に落としていたが、

「……図書館に行こうか」

 と、言い出した。

 図書館?

「『屍蠟化』について調べるんだよ。ついでに新聞も見てみよう」

 新聞?

「『死体』がなければ『屍蠟』は出来ないからね」

 なるほど。

 そういうことであるか。

「ええと──」

 小説家が己の服を探る。取り出したのは懐中時計だった。

「今から行けば間に合うね」

 現時刻を確認してそう言いながら立ち上がる。

 私も腰を上げ、部屋を出て階段を下る小説家の後を追った。

 階段を降りた先は直ぐに玄関である。小説家が靴箱から靴を出して履き、玄関の戸を横に引き開けて一歩出たところで。

「おや、先生。お出かけかい?」

 そう、声を掛ける者があった。

「大家さん」

 小説家が足を止める。

 そこに居たのはこの下宿屋の大家だった。玄関脇に置かれた椅子に腰掛けて、くつろいでいる。

「これから図書館へ行こうかと。大家さんは夕涼みですか?」

 後ろ手で玄関の戸を閉めながら小説家。

「今日は良い風が吹いているから少しだけあたろうと思ってね」

「確かに良い風ですね──その……手にある煙草さえなければ」

 言って、小説家は視線を大家の手にある煙草──煙管へ向ける。

「口厳しいね、先生は」

 苦笑する大家。

「それはそうと、あの猫はいつになったらアタシに懐いてくれるのかね」

 大家がこちらを見る。

 私は大家から距離を取り、門のところで小説家を待っていた。

「煙草をやめたら──じゃあないですか?」

「ホントに口厳しい先生だこと」

 苦笑いに加えて溜息を吐く大家。そんな彼女に「行ってきます」と言い置いてから小説家はこちらへ歩いてきた。連れ立って、門から外に出る。それから暫く歩いたところで。

「大家さんは苦手かい?」

 と、小説家が訊いてきた。

 先程の私の態度が気になったようだ。

「苦手どころではないわ。大いに気に入らぬ」

 別に隠すようなことでもないので、私はそう答えた。

「何かされたのかい?」

「いや、そういう訳ではないが……。何というか、あやつからは『嫌な気配』しかせぬからな」

「『嫌な気配』って」

「『嫌な気配』は『嫌な気配』だ」

 あれとは気が合わぬ。

「それよりも、ほれ、図書館だ」

 そう言って私は足を速めて小説家の前に出た。

「……そうだね」

 はっきりとした答えを出さぬ私に、小説家は少し不服であるようだったが、そこからそれ以上は何も話し掛けてこなかった。

 二十分後。

 図書館に着いた。

 私は小説家の肩に乗り、小説家と一緒に図書館の中へ入った。

 ──涼しい。

 思わず目を閉じてうっとりとなる。

 そんな私に気付かないようで、小説家は止まること無く足を進め──とある掲示板の前で

止まった。みると、そこにあるのは館内の見取り図だった。それを眺めて、小説家は「しまった」と呟く。

「? どうした」

「僕たちが調べようとしている『屍蠟』が何に分類されるか分からない」

 ……?

 何を言っているんだこやつは。

「なんだお主、ここに来たのは字引を見るためじゃなかったのか」

 そう言うと、はっとしたように小説家は私を見た。

 な、なんだ?

「そうか……字引……辞典……広辞苑……」

 ぶつぶつと呟きながら小説家は再び館内の見取り図へ向き直る。そして、指先を見取り図の上で彷徨わせながらそれらがある位置を探し始めた。

 と。

 誰かが近づいてくる気配がしたので振り返ると、眼鏡を掛けた小柄な女性がこちらを見ながら来るところだった。

「あの」

 そう声を掛けられて、今度は小説家が振り返る。女性はそんな小説家に申し訳なさそうな笑顔を向けて、

「恐れ入りますが、館内は動物の連れ込みは禁止になっておりまして」

 と言った。

 どうやら注意をするために声を掛けたようだ。

 そして言わずもがな、その動物というのは私を指してのことだということは明白である。

 注意されては仕方あるまい。

 私は小説家の顔にひとつ額を擦り寄せて、その肩から降りた。

「あ……」

 小説家が呼び止めようとするのを睨むことで制した。

「調べ物は主に任せた。私は外で待っている」

 そう言い置いて、私は図書館の外へ出た。

 涼しさから一変、湿気を含んだ熱気が身体にまとわりついてきた。

 …………。

 ……暑い。

 辺りを見回して、一番涼しそうな場所を探す。

 うむ、彼処(ここ)が良いな。

 私は目の前にある大きな樹の、その生い茂る枝葉の中に目を付けた。幹を登り、枝を伝って、適度に陰と風のある場所に身体を休ませる。

 早々に調べ物が終わることは無かろうて……さて、どうして暇を潰したものか……。

 木の上から見下ろすと図書館の出入り口は、区々ではあるが人間の出入りがあった。

 高みの見物、と言うほど見栄えのある光景ではないが、見飽きるということもなさそうである。

 ……ふむ、しばらくは人間観察といくかの。

 伸ばした前腕の上に顎を置いて、眼下を行き来する人間を眺めることにした。

 ………………………。

 ………………。

 …………。

 ……。

「…………」

 飽きたな。

 予想外に早く飽きが来た。

 私は下ろしていた視線を上げ、ふぅ、と小さく溜息を吐いた。

 さて。どうしたものか。

 …………。

 まぁ。

 時間など、寝ていれば過ぎるものか。

 私はそのまま目を閉じた。




 それから気が付けば──辺りは暗くなっていた。

 すん、と一息吸うと、夜の香りが鼻腔を満たし、眠りの淵から一気に意識を引き上げた。

 あやつは……。

 小説家の姿を探して視線を図書館の入り口に向けるが、その姿はない。

 斯様に時間の掛かる調べ物であったのだろうか。

 疑問に思いながらも樹から降りる。私が地に降り立って伸びをしていると間もなく小説家は図書館から出てきた。その手には何やら紙を数枚程持っている。

「遅かったの。何ぞ手間取ったか」

「うん、少しね」

 そういう小説家の顔に、数時間前までは無かった疲弊が見て取れた。

「帰ろうか」

 話は戻ってからしよう──そう言って小説家が帰路へ足を向けるのを、私は後から付いて行った。

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