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「──それじゃ、よろしく」

 にっこりと笑って私を送り出す小説家。

 私はむすりとして小説家に背を向けた。

 何故。

 何故、こうも私があやつの手足のように動かねばならんのだ。

 不愉快である。

 だがしかし、私が動くことで──それが最善であろうことも分かっている。

 分かってはいるのだが。

 難儀なものは難儀なのである。

 私は一つ溜息を吐いた。

 この胸中にあるあやつへの怒りを吐き出すつもりで。そうでもしないと気持ちの切り替えなど出来ぬ。

 これから。

 あの、『人形』がある建物へ入るのだ。

 店に入った子供らを利用する形で。

 小説家の目論見はこうである。

 買い物をする子供らが店主(建物の住人)を引きつけている間に、私が店の二階へ上がり、『人形』を観察してくる──というものだ。

 全く。

 良く回る知恵である。

 知恵は知恵でも、子供を利用するという悪知恵だが。

 小説家に対してそんな風に評価を下ろしたところで、前方を見やる。

 利用されているとは露程も知らぬ子供らの後を追う。

 追うと言っても、店先の少し手前までだが。

 距離を取り、子供らが店に入るのを見届けてから、その内部の音を探る。

 会話をしているな。

 内容までははっきりとしないが、店主らしき声がする。……声の様子から子供らと店主は馴染みであるらしい。ふむ。子供らは店の常連であったか。それはそれで好都合であるな。話が長引くのであればこちらとしても助かる。

 私は足音を忍ばせて店に近づき、敷地を隔てる塀に飛び上がった。そのまま塀伝いに裏手に回る。そこは庭も何も無く、ただ土地面を晒している更地も同然の様相だった。つまりはただの土地、である。

 敷地の無駄遣いであるな。

 使えそうな井戸もあるのだから草花や木々でも養えばよかろうに。

 そんなことを思いながら侵入対象の建物を見上げる。一階は店、二階は居住領域であるらしい。都合の良いことに、裏手から居住領域へと繋がる外階段がある。私は塀から降り、その無駄に開けた地面を横切って階段を上がった。上がりきって、居住領域へ通じるドアの前で耳を澄まして中の様子を覗う。ドアの向こうには誰も居ないようだ。視線を左へずらしてそこにある窓を見る。磨り硝子であるため錠が下りてるかどうかまでは分からないが、締め切られていた。ちっ、と心中で舌打ちをする。

 となると……。

 見回して、階段の手すりと屋根との距離が近いことに気付いた。

 ……あれぐらいであれば飛び乗れるやも。

 ぐ、と軽く全身を縮めるようにし、その矯めでもって飛び、手すりに着地する。そこから、今度はぐぐ、と重く全身を縮めて、筋力を撥条に屋根へ飛び乗った。肉球に瓦の感触が伝わる。目測通りに屋根に上がることが出来た事に満足し、ふむ、良い質の瓦であるな──などと感心しながらそのまま屋根を歩き、例の窓がある位置へと向かう。ちょうど窓の真上になる辺りから身を屈めて軒下を覗く。窓は先程と変わらず開けられていたが──

「…………」

 これから先の足場がない。

 詰み、だった。

 そういえば。

 顔を上げて正面を向く。

 向かいにある『空き家』の二階の窓が、がらんどうの室内を晒している。あちら側から見たときに目にしたのは、『人形』のある室内側に扉が動く、内開きの窓であった。

 ちっ、と舌打ちをする。

 『人形』に意識を取られて窓の造りにまで気が回らなかったわ。

 これでは侵入など無理である。

 …………。

 まぁ。侵入するつもりで見ていた訳ではないのだから窓の造りにまで気が回らなかったのは当然か。

 それに、全くの無理というわけでも無い。

 少し身を乗り出す。

 窓の下に一階の店の庇──こちらも瓦屋根だ──がある。

 あそこに一度降りて足場にし、飛び上がって入る──ということは出来そうだ。

 ただ。

 この高さである。

 私の持ち前の運動能力を持ってすれば、降りるということは可能だ。が、しかし、高さゆえの衝撃が瓦を鳴らしてしまう事は確実だ。流石にその音には店主も気付くだろう。気付かれて、追いかけ回されでもしたら堪ったものではない。万人が万人、須く猫が好きであるなんてことはないのだから。

 侵入出来る可能性を見出しながらも過去の経験からその行動を躊躇った。

 足踏みをした。

 そして。

「!」

 私は瓦屋根の縁から──前足を滑らせて落ちた。

 前足から着地したものの、瓦が派手に硬質な音を立てる。

 しまった。

 焦った私は反射的にそこから窓へ飛び上がり、思わぬ形で『人形』のある部屋へ侵入を果たした──果たしてしまった。

「…………」

 着地したのは絨毯の上だった。その絨毯から視線を奥に滑らせていくと──椅子に腰掛けた『人形』が視界に入る。猫の視力は然程無いというが、やはり私は猫の中でも異端であるらしい。向かいの『空き家』からも『人形』は見えたし、普通の猫では見えないはずのこの距離でも『人形』の姿がはっきりと見えている。

 『人形』は──『人形』だった。

 女性用の装飾服を身に纏い、両の手を膝の上に添えた姿勢は、淑女らしく楚々とした居住まいである。

 しかし。

 私がこれまで見てきた人形とは何かが違った。その違和感も手伝って、『人形』に近づいた。足下でその匂いを嗅ぐ。

「…………?」

 普通の人形とは違う匂い。

 これは……何であろうか。

 そんな好奇心に駆られて──つい。

 その裾から覗く足に触れてしまった。

 その感触はどこかで覚えのあるもので──


 ぎし。


 突然、音が耳に入った。

 まずい。

 店主が上がってきたようだ。

 反射的に身を翻して窓の縁に飛び上がり、今度はちゃんと目測してから一階の庇に飛び降りる。極力、音を立てないように心掛けるがやはりそこは瓦、僅かな音が立ってしまった。家主の所まで音は届いていないと思うが、しかし、この場から即座に立ち去ることが最良だろう。私は庇から通りに降り、店の正面を抜けて、小説家の許に戻った。

「お帰り」

 小説家は暢気な様子で言い、私を迎えた。

 引っ掻きたい。

 その暢気な小説家の顔を見て心底そう思った。思って行動しようとして──

 ぐ、と力を入れた手の先──己の爪に違和感を覚えた。

 何かが付いているような……。

 気になって見てみると。

「なんだこれは」

 白っぽい妙な塊が付いていた。

「ん? なんだい?」

 そういう小説家に爪を見せる。

「これは──」

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