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 当の『空き家』を確定するのに少々の時間と労力を要した。が、幸いだったのはその五軒の位置が、お互いにあまり離れてはいなかったことだ。小説家の足で大体十五分から二十分くらいの移動時間で済み、そうして、五軒全ての物件に赴きその立地環境を検分した結果、一件だけ、その立地環境に該当する物件があった。

 この立地環境とやらだが。

 小説家が言うには、「お前が聞いてきた話では『人形』が見えたのは二階の窓、ということだったから……そこから推し測ると、その『人形』がある家も二階建ての建物ということになるね」とのことで。

「補足して言うと、小学生が冒険のつもりやいたずらのつもりでどこかに入るとき──今回は『空き家』に入った話だったけれども──そういうときって誰にも見つからないようにして入るだろう? すると、侵入したときに窓が開いていたとしても、そこから顔を出してまで外を見ることはない筈。だから、室内から窓を通して外を見たときに、その『人形』が見えたんだと思うんだよ。そう考えると、二階の窓と同じ位置でなくてはならないわけだから、『人形』が置いてある家、あるいは建物も二階建てじゃないとおかしいよね」

 と、色々と考えていたらしい小説家が割り出した条件だった。

 意外である。

 興味と好奇心だけで行動していると思いきや、存外に思考を駆使していた。

 あなどれないとは思っていたが、これは本当に気を許してはならないやつなのでは。

 ……まぁ。

 そう警戒したところで、である。

 もしそんなことがあれば、私はこやつから離れればいい。

 ただそれだけのことだ。

「……確かめに入るのか?」

 今、その『空き家』を前に、小説家と私は立っていた。向かいには二階建ての店舗兼住宅。その店舗の軒下には『墨文堂』と書かれた看板が掲げてある。

 『空き家』を目の前にしてなんとなく、そう言い出しそうな予感がして、先んじて言ってみたのだが。

「そうだよ。でも入るのはお前だけどね」

 と予想外な台詞が返ってきた。

「は?」

 思わず小説家の横顔を見る。

 今何と言ったか、こやつ。

 私が?

 中に入る?

「よくよく考えてみると、僕が入ったんじゃ不法侵入になるからね。ここは不動産屋に管理されている場所だし」

「『人形』が見たかったのでは無いのか?」

「見たいけど、流石に法に触れるわけにはいかないから」

「不動産屋に見せてもらうよう、頼めば良かったであろう」

「あ。そうか、その手があったか」

「おい」

 急いては事を仕損じる、と言う言葉があるが。

 こやつはそれを知っているだろうか。

 いや、こんなものでも小説家。

 知らないとは言わせぬ。

 ……言わせぬぞ。

「でももうここまで来てしまったし──今から不動産屋に戻って『空き家』の中を見せてもらう手続きをする時間も余裕もないし」

 頼むよ、と小説家は押してきた。

 前言撤回。

 こやつ、詰めの甘さがある。

 警戒するほどの者ではないな。

 小説家に対し、私はそんな評価を下した。

 そして、小説家の意図を汲んでやることにした。

「分かった」

 そう言って肩から降りようとすると、何故か止められた。

「あ、ちょっと待って」

「何だ」

「少し離れたところからにしよう」

 どうやら慎重にしようという気はあるらしい。

 『空き家』からいくらかの距離を取り──三軒ほど隣の曲がり角から、私は『空き家』へ向かった。通りを歩くことは避け、連なるこの三軒の家の塀を伝い、『空き家』の敷地に踏み入り、その建物内へと侵入る。閉め忘れだろうか、一階の窓が僅かばかり開いていたので、侵入は容易かった。その容易さに違和感を覚えながらも歩を進め、階段を上がり、窓を目指す。階段を上りきると、二階は仕切りの無い一間で、直ぐにその窓は目に付いた。

 大きな窓である。

 身を乗り出せばすぐに外側へと放り出されるような。

 格子どころか露台すら無い。

 人であれば多分、否、十分にその危険度を察するだろう。

 こっそり入ったからという理由無くとも、身の危険を案じて近寄りはすまい。

 それにしても。

 この窓から見えるものを、遮る物が何一つ無い。

 景色を切り取る窓。

 そんな窓だった。

 そうして窓の向こうに見えたのは。

 向かいの建物の──二階の窓。

 そうして見えたその奥に。

 それを捉えてぎくりとする。

「…………」

 一瞬。

 『人間』と見紛うほどの。

 否。

 見ていても『人間』ではないかと疑うほどの──

 ──『人形』、だった。

 正しく話に聞いたとおり。

 『人間』に見える『人形』が見えた。

 姿勢正しく椅子に座り。

 身成正しく服を着熟し。

 場景正しく整えられて。

 そこに居て──有った。

 ……なるほど。

 これは――確かに。

 こんなものを、目にしたら。

 『人間』に似すぎていて恐ろしくもある。

 『人間』に似すぎていて気持ち悪くもある。

 『人間』に似すぎていて不気味でさえある。

 これほどまでのものとは。

 ………………。

 …………。

 ……。

 はっ。

 眺めている場合では無かった。

 話の事実は確認できたのだし。

 長居は無用だ。戻らなくては。

 どんなものであったのかは分かった。

 私は来た道を辿る形で小説家の許に戻った。

 私が戻ると、何故か小説家は数人の子供に囲まれていた。

 ……私が居ない間に何があった。

「あ、ねこ!」

 子供の一人が私を指さして言う。

 その齢にしかない純粋さゆえの行動であろうが……指を指されるというのは、やはり気分の良いものでは無いな。

 少しの不機嫌を共に、私は早々に小説家の肩に乗った。

 すると、子供は「ほんとうにきた!」「すごーい」「ねこつかいだ!」と口々に言いはしゃぎ始める。

 ……状況が掴めぬ。

「何だこれは」

 私は小説家に状況の説明を求めた。

「いや、お前を待ってたら話しかけられてね。無視する訳にもいかないから相手をしていたんだよ」

「何を話していた?」

 ねこつかい、などと聞こえたが。

「あぁ、何をしているのか訊かれたから、お前を……猫を待っているんだよと言ったら自分たちも一緒に待つと言い出して。それでこのとおりだよ」

 なるほど、それでこの子らは私を見て驚いたのか。

 反応からするに、気持ちの半分は疑っていたのであろう。一緒に待つと言い出したのも、本当かどうか確かめたかったからであり、そうして私が本当に来たものだからこの騒ぎようという訳か。

 そこまで察したところで私は子供らを見た。

 女児二人に男児一人。

 格好からして下校途中であるようだ。

 と、子供の様子が静かになっていることに気付いた。

 三人が三人とも騒ぐのをやめ、小説家と私を凝視している。

 ?

 なんだ?

「おにーさん……ねこのことばがわかるの?」

 男児が驚きの表情でそう訊いてくる。

「うん?」

 小説家が首を傾げてみせる。

「だっていま、ねことしゃべってた」

 続けて、今度は女児の一人がそう言ってきた。

 ふむ。

 やはりというか。

 人と猫が話すのは珍しいことであるのか。

 考えてみれば、こうして外で小説家と話すのは初めてであるな。

 他人に見られるというのも初めてである。

「君たちには──何と言っているか分からなかった?」

 小説家が児童三人にそう訊いた。

 確かに気になるな。

 この小説家以外に、私の言葉はどのように聞こえるのだろうか。

「うん。にゃーってなきごえで、なにをいってるのかわからなかった」

 男児がそう答え、女児二人がそれに頷く。

 そうなんだ……と、何故か嬉しそうに小説家は小さく呟き、

「そっか。じゃあ、そうだね、この猫が何と言っていたか分かったから、僕は猫の言葉が分かることになるね」

 と、なんだか他人事のように言って──笑った。

 嬉しそうな笑顔である。

 それを聞いた子供たちは子供たちで、すごいすごいと再びはしゃぎ始めた。

 小五月蠅い。

 心中でそう吐き捨ててから。

「して、あの『空き家』だが」

 私は騒ぐ子供たちを尻目に、本題を小説家に投じた。

 私の言葉が分からぬのであればここで話しても問題はなかろう。

「私が聞いた話の通り、窓から『人形』が見えたぞ。『人間』に見紛う程の『人形』が」

 そう言うと、小説家は真面目な顔になった。

「ということは、お前が聞いたという話をしていた子たちの見間違い、ということは無い訳だね」

 改めて確認するように小説家は言った。

「……のう、主よ」

 その横顔を見ながら、私はこれまでのことで気になることを訊いた。

「ん? なんだい?」

「主は一体、何を考えておるのだ?」

 考えておることが全く分からぬ。

 否。

 考えておることというより、何を目的としてるのかが分からぬ。

 先程から。

 話の『人形』が気になると言っておきながら自分では見ようともせず。

 かといって話を頭から信じておったと思いきや半信半疑であったようであるし。

 こやつの行動意思に一貫性を感じぬ。

 この、私が聞いて持ってきた話をどうしたいというのだ。

「何って……何も考えてはいないよ」

 驚くほど意外な答えが返ってきた。

 何も考えてはいない、だと?

「別に何か考えがあってとか、何かしようとは思ってないよ。ただ、気になるから調べてみようってだけで」

 ただの好奇心だよ、と小説家は言う。

 そう言われても、私は疑心しか持てなかった。

 必要以上の外出をせぬ者が、好奇心が湧いたからと言う理由だけでここまで行動的になるものだろうか。

 甚だの疑問である。

 その好奇心とやらも──どうだか。

 興味はあるにはあるのだろう。だが、その、真剣味というのかなんというのか、気の入れようが中途半端であるように見える。

 …………。

 よもや。

 遊んでいると言うことはあるまいな。

 微かに覚えた苛立ちとともに小説家を睨め付けてみる。

 そんな私の心情を察したか否か、

「嘘じゃないよ」

 と小説家は言った。

 その顔にある誤魔化すような笑顔が胡散臭いわ。

「──あっ」

 不意に、女児の一人が何かを思い出したように声を上げた。

「わたし、『ぼくぶんどう』にいかなきゃ」

 少し焦る様子でそう言う女児。

「えっ『ぼくぶんどう』にいくの? わたしもいくー」

「あっ、じゃあ、ぼくもいくー」

 そう言って児童の三人は小説家と私に別れを告げると、三人連れ立って『ぼくぶんどう』──『墨文堂』へと駆けていった。

「……彼らにはちょっと役に立ってもらおうかな」

 児童三人の背中を見ながら、小説家が呟く。

 ?

 何だ?

 呟きの意味をはかりかねていると、小説家は私を見てにこりと笑った。

「お前に一つお願いがあるんだけど」

 お願い……だと?

 ものすごく嫌な予感しかしないのだが。

「『墨文堂』に侵入してきてくれる?」

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