参
肩の上で揺すられることしばらく。
小説家と私は不動産屋の前に着いた。
「そういえば、不動産屋に来るのは初めてだなぁ」
そんなことをつぶやきながら、張り出されている物件の紙々を見る小説家。
興味が湧いたようである。
「……『空き家』を探しに来たのだぞ」
軽く注意を促すと、
「うん……わかってるよ……」
と、掲示されている紙に目を向けたままで意識半分に返事を寄越す小説家。
分かっていない。
こやつは……もう。
軽く苛立ったので、実力行使。
小説家の頬にめいっぱいに片方の前足を押しつけた。肉球で踏んづける気持ちを持って。
「わ……わかってるよ」
「では早く中に入らぬか。……む」
張り紙の向こう──店内で何かが動いた。
見ると、店員らしき女性がこちらへ来る様子だった。
店員は店の扉を開けると、人当たりの良さそうな笑顔でこちらに声を掛けてくる。
「物件をお探しですか?」
声も穏やかである。
「あぁ、はい、実は『空き家』を探していまして」
意外にも小説家は即座に本題に入った。
ふむ。
こやつは。
いろいろと思うところがあったが、私は口にしなかった。
「『空き家』をお探しですか。こちらには貼り出しておりませんので、中へどうぞ。詳しい話をお聞きしましょう」
そんな流れで店内に導かれ、小説家は椅子の設えた卓の前に着いた。
「『空き家』と一口に言っても最近は数が多くありまして──なにか、条件などありますか?」
対面に座り、何やら紙が沢山綴じられたものを広げながら話を促す店員。
その目に、好奇の色が見え隠れしているのに私は気付いた。まぁ、この見目である。女子の心をざわつかせるには充分であろうな。
「そうですね……。ここの近くの小学校……赤ヶ原小学校の就学区域に『空き家』物件はありますか?」
しかして店員の目の色に気付かない小説家は、広げられた資料を眺めながらそう条件を提示した。
私は心中で軽く驚いたと同時に納得をした。
なるほど。
私が話を聞いた場所を見に行ったのはこの為でもあったのか。
先程、あの場所に行ったのは単に地域の名称を知るためだけではなく、そこを通る小学生がどこの小学校の子供であったのかを知るためでもあったわけだ。多分小説家は、あの考えているように沈黙していた間、登校中の小学生の鞄や持ち物に学校名が書かれたのを探していた。そうして、見かけたその学校名の多かったものが『赤ヶ原小学校』だったのだろう。
なんとまぁ。
抜け目の無いことか。
「少々、お待ちください」
僅かに狼狽えた様子の店員。笑顔を置いていくように立ち上がって、奥にある書棚へ向かっていった。
…………。
ふむ。
私はちらりと小説家の顔を見た。
小説家はもの珍しそうに室内の内装を眺めている。
この様子だと、店員の機微に気付いておらんな、こやつ。こちらの方の目は節穴であるか。
しかし……なるほど。女子の気配が無い理由が分かった。これでは女子の方にいくら気があろうとも暖簾に腕押しである訳か。
何とはなしに、ふにっ、と小説家の頬に前足を押し付けてみる。
「何だい?」
小説家が怪訝な声と共にこちらを見たが、私はつい、と顔をそらした。
「お待たせしました」
何やらいくつかの紙を持って、店員が戻ってきた。
「私どもで把握しているものがこちらになります」
そういって店員が卓に並べたのは、五つの物件の資料だった。
小説家はそれらの資料を一通り眺めてから、店員を窺うように見た。
「な、なにか……」
微かに頬を染めて応じる店員。
それには全く気付かない様子で小説家は、
「この書類の写しを貰えますか?」
と言った。
「……駄目ですか?」
加えて言うと店員は平静を装いながらも狼狽えを含んだ声で、「だ、大丈夫です」と言って再び奥へ行き、少し作業をする様子の後、一つの封筒を手に戻ってきた。それを受け取って小説家が礼を言うと、店員は更に頬を染めた。
店員は小説家が外に出るまで付き、見送りまでした。
不動産屋から離れてしばらく歩いたところで。
「丁寧な店員さんだったね」
と妙な評価を小説家は出した。
それに関して私は何も言わなかった。
代わりに。
「して、これからどうする」
と促した。
情報は手にある。
このあとの動向は。
「どうするも何も、見に行くに決まってるだろう」
普段は部屋に籠もってばかりの者が行動的である。
それほどまでに『人形』が気になるのか。
『人形』。
『人の形を模したもの』である。
「人では無く、『人形』に惹かれるとはの」
私が哀れみ含んでそう言うと、小説家は小さく首を振って否定した。
「違うよ、僕はお前の話に惹かれたんだ」
お前の話を聞いて。
お前に外出を促されたから。
と。
「これはいい機会だと思ったんだよ」
小説家はそう言って私を撫でた。
その言葉に含まれる意味を図りかねて私は小説家を見た。
幸せそうに私を見つめる顔がそこにあった。
その表情に、私は一瞬だけ魅入られた。
なんて顔をするのだ。
こんな優しい顔をする小説家を、私は見たことがない。
「さて、そういうわけだから」
私を存分に撫でてから。
切り替えるように言い切って。
「早速、行ってみようか」
そう言って小説家は手にしていた封筒を開けた。




