弐
不服である。
大いに不服である。
「まさかこのようなことになるとはの……」
今日は原稿用紙も万年筆も文机も無い。
外出しているので当然ではあるのだが。
「外を歩けと言ったのはお前だよ」
顔の直ぐ傍で小説家が言い分を返してきた。
現在、私は小説家の肩の上である。
私は溜息を吐いて、そっぽを向いた。
「それで、お前が話を聞いたのはどの辺りだい?」
「……大体この辺りだ」
ぶっきらぼうに私は答えた。
「ふぅん……」
その気があるのか無いのかよく分からない声を私に寄越して周りを見回す小説家。
この辺りは住宅が密集している、いわゆる住宅街だ。朝という時間帯である為か、外なり内なりで人の気配がざわめいている。道には出勤する大人たちと、登校する子供たちの姿があった。
外を歩き回れば当たり前の光景であるが──何せ、外を出歩かない小説家である。
初めての物を見るような目で、あちらこちらと視線を向けまくっていた。
まさか本当に初めて見るというわけではないとは思うが、その挙動の不審さは怪しさ極まりない。
「……ほれ、そこの瓦屋根の家。あそこの塀で休んでいる時に子供らが通り掛かっての」
見る物の定まらない小説家に、私は手前にある家を示した。
小説家の視線が、瓦屋根の家に定まる。
「そこで話を聞いた訳だね」
「うむ」
私が頷くと、小説家は何か考えるようにして黙った。
はて。
何を考えて始めたのやら。
以降、小説家が黙りこくってしまったので、私は暇な目で道を行く人を眺めた。
右から左へ、左から右へ。皆、こちらの不審者には目もくれず足早に通り過ぎていく。
人の朝は忙しいものだの。
そう思って直ぐに、そうでも無い者も居ることに気付いて、私を肩に乗せている者を見る。
こやつ。
朝から晩まで文机に向かい原稿用紙に万年筆を走らせているが、あれは仕事なのだろうか。
いや、しかし。
そう考えるには、あの部屋に籠もりすぎる。あの部屋で、小説家以外の者の姿を見たことが無い。生業にしているのならば、それなりに他の者との接触があるはずだが。
…………。
あぁ、でも。
それらしい行動は何度か見たことがあるか。
書き終えたと思しき原稿用紙を風呂敷に包み、それを抱えて部屋を出て行く姿を何度か見送った事がある。
とするとやはり、物書きを生業にしているのだろうか。
「──不動産屋に行こうか」
小説家は急にそんなことを言い出した。
私は眉根を寄せた。
「何故そんな所へ」
「『空き家』を見つけるためだよ」
「だったら最初からそちらへ行けば良かったでは無いか」
「ここに来たのは知りたいことがあったからだよ」
「?」
何を?
「……お前、土地の名前……地域の名称を知らないじゃ無いか」
「…………」
「お前が散歩から帰って来る度に僕がどうだったかと聞くと、お前は地域名称じゃなくて建物や設備で話をするだろう? 廃工場で、とか、公園で、とか。聞いている内に、あぁ、これはその地域の名前を知らないのだろうな、と思ってね」
「……………………」
「それで先ずはお前がどこで話を聞いたのかを知る必要があったのさ」
小説家が私を見て言う。
私は言われて初めてそのことに気付いた。
確かに私は散歩をして巡ったその場所の名称を知らない。
と言うか、知る必要性を今まで感じたことがなかった。
話をするときも特に不便を感じたことはなく、この話し相手である小説家も特に重ねて場所を訊いてくることがなかった。
……ん?
ちょっと待て。
「主よ。なんだか私に全ての非があるような言い方をしているが、そこは主にも非があるのではないか?」
場所の詳細を訊いてこなかった非が。
「おや、気付かれた」
こやつ。
爪を立ててやろうか。
「まぁ、とにかく、そういうことで」
不動産屋に行こう──
先程と同じ台詞を言って歩き出す小説家。
その肩で揺すられながら私は不服の表情でいた。




