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 『墨文堂』をあとにして。

 私と小説家は部屋に戻ってきた。

「……主よ。少しばかり気になることがあるのだが」

 書き物をしようとその支度をしている小説家に私は声を掛ける。

「気になること? なんだい?」

 小説家は引き出しから原稿用紙と万年筆を取り、文机に置いた。続けて、墨壺と文鎮を取り出す。

「うむ。あの『人形』だが」

 店主はどうやって。

 どうやって──『人形』を椅子に座らせる事が出来たのだろう。

 『屍蠟』というのは死体が蠟の様に固くなるのだから、井戸の中にいたときの姿勢で固まるはず。しかし、睡眠薬を用いたのであるから、体勢の維持など出来ないはずだが。

 私がそう問うと、小説家は文机の上を整えてから私の方を向いた。

「それはね、意外と簡単だったと思うよ」

 そんな前置きをしてから小説家は説明する。

「店主のお姉さんは最初に椅子を先に下ろして置いてから──次に自分が降りてそこに座ったんだよ。そうして足と腰を袋の上から椅子に縄で固定して、それから睡眠薬を服用する。薬が効き始めるまでは時間があるから、意識のある内に袋の口を軽く縛って密閉に近い状態にする。あとは不安定な首だけど、これは井戸の壁……詰み石と詰み石の間に後頭部を填めるような形で固定すれば──出来なくは無いはずだよ」

 ふむ。

 なるほど。

 では。

 店主はどうやって井戸からそれを出したのだろうか。

「それも簡単だよ。椅子ごと引き上げればいいのだから。店主のお姉さんは椅子に縄をくくりつけてから使ったんだよ。椅子の脚、四つそれぞれに縄をくくり、そこから縄を上へ持って行き四方の縄の中心点でまとめて縛る。それを、滑車へ引っかければいい」

 ……なるほど。

 抜かりはない、ということか。

 しかし。

「妙に確信したように話すが……もしやあの時、店主にそれらのことを確認したのか?」

 『人形』を見せてもらってからのあと。

 『墨文堂』を後にする際、私は早く外の空気が吸いたくて先に店から出たのであるが、小説家は暫く出てこなかったのだ。

「うん、確認したよ。それで、ついでにこれからのことも話してきた」

「これからのこと?」

 私が聞き返すと、小説家は頷いた。

「『人形』の話はここだけの事にするからと言う約束と、その代わりに僕の希望する銘柄の文房具を置いてもらう約束をしたんだよ」

 こやつ。

 意外と図太い神経をしているな。

「あと、ちょっとだけ注意してきたんだ」

 ん?

 注意?



「『屍蠟』は『蠟』ですから、燃えると骨も残らないと思いますので気をつけてくださいね、って」

 最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございます。


 皆様のお暇を潰せるお力になれば幸いです。


 思うところ御座いましたら、遠慮なくお申し付けください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 時代背景が忍ばれる丁寧な文体や情景描写、飄々とした朴念仁の作家とシニカルで人間臭い猫との関係、人形を巡る謎、全てが一つの方向性持って描かれた雰囲気のある作品で、楽しく読ませていただきました…
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