零
原稿用紙と万年筆。
それらが置かれた文机に──添えるように置かれた座布団が一枚。
六畳を一間とするこの部屋に、それ以外の物品はない。
部屋の四方にしたって、明かり取りであろう障子窓のある壁が二面、出入り口の襖が一面、何も無い真っ新な白い壁が一面、である。
簡素。
言ってしまえばその一言で表現できる部屋。
と。
──ぎしり。
私の耳が、音を捉えた。
襖の向こうにある階段。
それが軋む音だ。
ぎし──ぎっ──ぎし──
階段の軋む音が徐々に近づいて来る。
ほぼ毎日と、聞き覚えたその足取り。
この簡素な部屋の、主が上ってくる。
「──おはよう」
襖が滑らかに開けられてそこに姿を見せたのは、察していた通り、この部屋の主である青年だった。この国──日本では珍しい亜麻色の髪を持ち、瞳の色もまた、日本人のそれではなく枯れ葉色をしている。名前は何と云ったか忘れたが、青年は物を書くことを得意としていて、皆はこの青年のことをよく『先生』とか『小説家』などと呼んでいる。
「お前は猫のくせに早起きなんだね」
そんな小言を口から落としながら、青年──小説家は私の横を通り過ぎ、文机に向かった。
向かって──膝を折り、座布団の上にて正座する。
そうして机上にある原稿用紙を一撫でしてから万年筆を手に取った。
私は青年の傍らまで移動し、その行動の逐一を眺めた。
原稿用紙、万年筆、そして──小説家。
ここには私が好きな物が揃っている。
ふと。
小説家が、ちらりと私に視線を寄越す。そうして、じっ、と私を見る。
その視線に、私は眉を顰めた。
「……何だ」
小説家にその視線の意味を問う。
「いやあ、いつもそうしているけれど、何が面白いのかなって」
真面目な顔をして小説家はそう言った。
「面白いとも。この目に映る全てが面白い」
私がそう言うと、小説家は首を傾げた。
「よく分からないな」
「分からないだろうとも」
「価値観の違いかな?」
「感性の違いだろうな」
「難しい言葉を知っているね」
「伊達に長くは生きていない」
「長く……あぁ、だから僕とも話が出来るのかな?」
猫は長く生きると化けるって話があるしね──と、小説家は笑う。
「……私が話せるのは主だけなのだが」
これは本当に謎であるのだが、この小説家以外の者とは話せないのである。
試しに小説家以外の者に話し掛けたことがあるのだが──さっぱりと言葉が通じなかった。
「もしや、主の方が人では無いのではないか?」
何せ、私の言葉を理解しているのだから。
「ふふ、それじゃあ、お互いに化け物だと云うことにしようか」
そう考えた方が面白い──言って、小説家は更に笑う。
「変わり者であるな」
私はそう言い投げて、畳の上に身体を横たえた。
そんな私の姿を見てから再びと小さく笑い、小説家は原稿用紙に目を戻して万年筆を走らせた。
小説家は無言になり。
私も無言になった。
そうして、部屋には紙の上を走る万年筆の音だけが響いた。
しばらくもすると、その音が心地良くなり、自然と瞼が降りてきた。
眠りの淵で彷徨くように微睡み、耳だけでこの空間を楽しむ。
この穏やかな空気は居心地がいい。
不貞腐れていてもそう感じるほどに。
静かな時間は小説家が一段落着くまで続き、私はその穏やかな空間を思う存分に過ごすことが出来た。
私は小説家と、そんな毎日を過ごしている。




