甦生
団長ら五人が今回この地に派遣されたのは国からの勅令があり、“凍り付いた大地”で起きている不可解な現象を調査しろと言うものだった。不可解な現象と言うのは、この大地が氷で覆われていることではないく、最近この地を巡回していた兵士が次々と姿が消えているというのである。最初は、装備の確認を怠った兵士が凍えて死んだのではないかと噂されていた。
だが、次に送った兵士も、その次に送った兵士も連絡が途絶えたため、明らかにおかしいと思った国王は騎士団に調査を命じた。
当初は、他の騎士団がこの調査に応じるはずだったのだが、団長が自ら頭を下げて国王に“自分を調査に行かせて欲しい”と懇願した。普段は命令に殆ど従わず、このような態度をとることがなかった団長が、初めて取った態度に目を丸くした国王は、やっと国に尽くすようになったのかと思い許可を下ろした。
許可が下りたと報告を受けた団長は、早速自分の騎士団の中から数人を連れ出して調査に向かった。
「よし、この屋敷だ。中に入るぞ」
氷森を抜けた先にあったのは、数十年放置されて風化したようなボロボロの屋敷だった。屋敷の外観と、死霊系の魔物が出現するのも相俟って、明らかに何か出そうな雰囲気に女性陣の顔が青褪める。
「……この屋敷の中を探索するんですか?」
「怖いならここで待ってるか?」
サーニャが若干控えめに入りたくないですと手を挙げると、団長は悪戯な笑みを浮かべてそう言った。周囲には、遠くで骨兵の姿がちらほらと見える。男性陣はみんな入るつもりのようで、流石に二人でここに残るのは少々心細かった。
「う……行きます」
屋敷の中に入るとそこは大広間のようで、二階へあがる階段と奥へつながる扉。そして、左右には奥へと続く通路が見える。
「一階はカーマン、サーニャ、セーラ。二階は俺とバーンライトで調査する。何か手掛かりを見つけたら下手に弄らず一旦放置して調査を続けること。三十分後この広間に集合だ。解散!」
バーンライトと一緒に二階へ上がった団長は、バーンライトに右へ行くように指示を出し、自分は逆側の方向へと歩いて行いていく。
曲がってすぐのところにあった部屋に入ってすぐ目にしたものは、朽ち果てた衣服だった。荒らされたように四方八方に散乱している。試しに落ちている衣服を掴んでみるが、持ち上げた瞬間ボロボロと崩れてしまった。色々探してみるが、手掛かりとなるものがなかったため、隣の部屋へと移動した。
「ここは……ミラハイトの部屋か」
蜘蛛の巣やほこりが被り、ボロボロとなっていて、もはや姿形は曖昧だがこの部屋は見覚えがあった。何かに取り付かれたかのように動き出し、部屋の中を歩き回った。
数十年前までこの部屋では親友だった男とその妻の娘が暮らしていた。よく親友の家に無断で訪問したものだ。
最初は怖がって近寄っては来なかったが、訪問するたびに慣れていったのか親友の娘が小さな手足を懸命に動かして近寄ってきてくれたのは嬉しかった。
娘の顔は父親に似ずに美人な母親似の可愛らしい顔立ちで良かったと思った。そのことを親友に告げると、毎回顔を真っ赤にして決闘を挑んできた記憶がある。だが、どちらかといえば武闘派より頭脳派な親友はあっさり返り討ちにあっていたが。
「くそっ…」
ここでの思い出がよみがえるたびに、それと同時に悔しさがあふれだしてくる。
あの出来事がなければきっと、今もここで大きくなった親友の娘が結婚して子供たちと幸せに暮らしていたに違いない。そう思うと、当時力になることが出来なかった自分の弱さに腹が立った。
無意識に握った拳に力が籠る。
気づいたころには、既に事が全て終わった後だった。その出来事から数十年たった今では、ようやく少しは割り切ることが出来るようになったが、時々思い出し、悔しさが込み上げてくることがある。
心の中にしこりを感じつつも、団長は部屋を後にする。
その後、最後の部屋まで探索したが目ぼしいものはなく、何も見つけることは出来なかった。団長が広間に戻ると、既に全員集合していた。団長の姿に気づいたバーンライトが駆け寄ってくる。
「団長、えらく時間かかったみたいですね。何かありましたか?」
「いんや、何もなかったな。お前らの方はどうだった?」
「俺んとこにも何も。お前らのとこには?」
バーンライトが向かった場所にも何も見つけることが出来なかったらしく、頭を横に振る。
二階には何も手掛かりがないとなると、あるとしたらカーマンたちが探索していた一階だ。
バーンライトからバトンを渡されたサーニャが話始める。
「えーと、宝物庫らしき場所で人が漁った形跡がありました。ただ、持ち出されてはいないようで、袋に詰め込まれた状態で放置されていました。それと、書斎らしき場所に我が国の兵士が着ていたものと思われる頭防具が落ちていました」
報告を聞いた団長の口端が上がる。宝物庫の方は後回しだ。
何故袋に詰め込まれた状態のままだったのかはわからないが、おそらく冒険者か盗賊の類かが金品を盗み出そうとしたのだろう。このまま放置されていれば、いずれ冒険者などの手が入り持ち出されてしまうが、親友の財産を国に返すようなことはしたくなかった。国に忠誠を誓っているあのバカ正直者のあいつならきっと、そのようなことは望まないと思うが。だから、これは俺の我儘だ。
「その場所に案内しろ」
――数週間前
ある、巨大な氷柱の前を雪狼の群れが、ガジガジと噛り付いている。
雪狼は獲物を見つけると、その獲物が力尽きるまで執拗に追いかけ続けるという特性を持っている。
そんな雪狼達だが、未だ獲物にありつけずにいた。その強靭な顎と鋭い牙で氷を砕こうとするが、目の前に氷柱は何事もなかったかのように佇んでいる。だが、それでも諦めずに噛み続けていると、
――ピシ
と、今までビクともしなかった氷柱に一筋の亀裂――雪狼が噛みついていた場所とは違う――が入る。その変化に一瞬驚き飛び退いた雪狼だったが、すぐに好機とみなしたのか再び喰らいつく。
氷柱の中には、銀髪の少女が眠りについていた。氷の亀裂に呼応するかのように、少女の瞼がピクリと動く。中の様子など気にすることなく噛り続ける雪狼を前に。
――ピキピキピキ
と、またしても氷柱に亀裂が入る。そして、次の瞬間、巨大な氷柱が音を立てて崩れ落ちる。
それと同時に、剥き出しとなった獲物に我先にと殺到する。が、開かれた少女の真紅の眼を目にした瞬間、脅え、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
氷礫の中から、氷のようなワンピースを着た少女がゆっくりと出てくる。未だ半開きのままだった瞳がゆっくりと開いていく。
「…殺す」
目覚めた少女の小ぶりな唇から発せられたのは、怨嗟の言葉だった。
(ぉ、じょう…さまぁ……お、逃げくだ…ぃ)
脳裏に、血を吐き出しながらも必死に誰かを逃がそうとしている老執事の姿が映る。
「……ぃ。…憎い」
脳裏に、両手に男と女の頭を掴み、嘲笑う男の集団が映る。自然と目から涙がポロポロとこぼれ落ちていく。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?どうしてこんな場所にいるんだい?」
人の話す声が聞こえ、その大きさが段々と大きくなっていく。
ゆっくりと振り返ると、甲冑を着込んだ兵士と思われる人間が心配そうに少女を見ている。
剣を置いて片膝を着き、自分と同じ目線に来るようにして話しかけてくる。
「…?」
「ここにいては危ない。親元に送ってあげるからこっちへ――」
意味が分からないといった風に首を傾げる私を見た兵士は、ニコリと優しい笑みで手を差し伸べてくる。
兵士の言葉が最後まで言い終わる前に、私は青年の目の前で手の平を下から上へと薙いだ。
「…五月蠅い」
たったそれだけで、少女に優しく話しかけてきた青年の兵士は物言わぬ氷像となった。
「人間が私に触れるな!」
既に動かない青年に向かって憎悪の籠った言葉をぶつける。激しい感情の高ぶりに、思わず肩で息をする少女に強烈な頭痛が襲い掛かる。
「う゛ぁ……が、…」
猛烈な痛みに苦しみ、地面に倒れてうずくまる。震える腕で首にぶら下がっているペンダントに手が伸びる。
一向に収まらない痛苦に、耐えきれなくなった少女は意識を手放してその場に倒れる。
「ここか」
「はい」
一階は、二階と違ってぐるりと一周することが出来るような構造になっており、一番奥に近い扉の前でサーニャが立ち止まる。
部屋に入ったところで一旦動きを止める。
この部屋も、今まで調べてきた部屋と同じようにボロボロとなって原型をとどめていない。
その中で、一つだけ違和感のあるものを見つける。それを手に取って眺める。
「確かに、この形はうちの兵士のものだな」
「はい。それと本棚に埋もれていたため放置していたのですが、奥へと通じる穴があります」
それを聞いた団長は、本棚をどかして十分に入れるスペースを確保して入ろうとした瞬間、セーラが何かを感知したのか声を張り上げる。
「近づいて来る敵影を感知しました!みなさん気を付けてください!」
セーラが常に発動させるように心がけている感知魔法は半径五メートル以内に存在する敵を感知することができる。五メートルと少々射程は短いが、これくらいの距離があれば十分不意打ちを防ぐことが出来る。
セーラの声に反応して、瞬時に戦闘態勢に入る。
「――来ます!」
現れたのは、輪郭があるのか疑わしい黒く霞がかった人形っぽい形が二つ寄り添うようにして移動する魔物だった。その魔物は、隠し通路をとおせんぼうするかのように現れる。
「立ち去れぇぇぇ!」
「双子の幽霊だと!何故こんなところにいる!」
正体を確認したバーンライトは双子の幽霊目掛けて振り下ろす。だが、その剣は対象にあたることなく空を斬る。何の手ごたえもなく動揺するバーンライトにセーラの声が届く。
「バーンさん!双子の幽霊に通常の攻撃は通りません!魔力が籠った攻撃じゃないとダメージが入りません!」
「助かる!ハァッ!」
剣に魔力を纏わせて思いっきり振り抜くことで発生した魔力刃が、双子の幽霊へと飛来する。先ほどの攻撃違い、向かってくる者が自分を傷つけるものだと判断した双子の幽霊は回避行動をとるが、ゆっくりとした動きで間に合わず、魔力刃の先端が当たる。
魔力刃と黒い靄がぶつかり合ったところが消え失せる。
双子の幽霊の黒い靄が削られた箇所を補充するべく埋めていく。双子の幽霊はバーンライトらを自らを害する脅威と判断したのか、反撃を開始した。
形が定まらない二つの両手を前に突き出すと、四本ある手の中心に黒い煙渦が発生する。
それが、地面に落ちると膨張し、辺りを黒い煙で包み込んだ。
「グ…何だこれは…」
黒い煙を吸い込んだ途端、バーンライト達の身体に異常が生じる。身体が重くなり、地面に膝を付ける。
「呪いの煙です!あまり吸い込まないでください!今浄化します!」
聖職者であるセーラにはあまり効かないのか、バーンライト達よりは平気そうにしている。グッタリとしている仲間を癒すべくセーラは言葉を紡ぎ、魔力を練る。
「“戦乙女たる光の化身に使えし我が声に答え、その神気を与え賜え”《クリア》!」
「助かる!」
呪文の詠唱を終えたセーラの前に小さな魔法陣が発生し、魔法が発動する。
部屋の中に充満していた黒い煙が光に照らされ浄化されていく。
十全ではないが、この程度なら問題無しといった感じに拳を握る。
「団長!どうして戦おうとしないんですか!?」
果敢にバーンライトが攻撃を仕掛けている中、呆然と黒い靄を見つめている団長。
それに気づいたサーニャが、団長の肩を揺する。
視界にはみんなの姿が映っているはずなのに、ブツブツと呟くだけで全く応じる様子がない。
「…そんな……。お前らは、そんな風になってまで……」
“お前ら”という言葉がバーンライト達に向けられたものではないと思っていないサーニャは今までとは違う団長の態度に戸惑う。どうしてよいかわからずオロオロとする丁度その時、呪いの煙が部屋の中を侵食していく。
「サーニャ!」
煙を吸い込んでしまったサーニャが苦しそうに崩れ落ちていく姿を見てようやく正気に戻る。咄嗟に、魔力で身体全体を覆い、煙を吸い込まないようにする。
「しっかりしてください!団長であるあなたがしっかりしないでどうするんですか!」
「っ!」
そうだ。今の俺は騎士団を纏める騎士団長だ。こんなみっともない姿をさらしている場合じゃない。拳をグッと握り、決心を決める。
「すまないシルヴァラン、アザレア」
セーラの魔法で呪いが浄化されたのを確認して、身体を覆っていた魔力を拳に集め呪文を詠唱する。
「“九火たる炎の化身に使えし我が声に答え、その神気を与え賜え”《イグナイト》!」
ゴオゥッ!と、団長の拳に炎が灯る。深く腰を落とし、しっかりと大地を踏みしめた団長は、双子の幽霊に向かって跳躍する。
一瞬でバーンライトと対峙する双子の幽霊の元へ移動し、ありったけの魔力を込めた拳で殴りつける。
危険を瞬時に察知する双子の幽霊だが、そのゆったりとした動きでは回避することが叶わず、濃密な魔力の塊に殴りつけられ、身体を構成する黒い靄を全て吹き飛ばされる。
「え、団長!?」
突然参戦し、苦戦していた相手を瞬殺した団長に呆気にとられ、間抜けな声が漏れる。
「すまないな、バーンライト。良いところを持って行っちまった」
「それは、いいっすけど。流石団長ですね、あんな手強い敵を一瞬で倒すなんて」
尊敬する団長を見ることが出来たと興奮するバーンライトを横目に、既に殆ど消滅している黒い靄を見つめる。このまま放っておいても、身体を構成する黒靄が足りず、自然消滅するだろう。
亡霊になってまで娘を探す親友の姿に心が痛くなる。親友に別れを告げて、仲間の元へ歩き出す。
(娘を頼んだぞ、アードルス)
「!」
突然背後からそんな声が聞こえた気がして思わず振り返る。当然そこに誰もいるはずはなく、最後の黒靄が風に乗って流れていく様子しかない。
「……まさか、な」
既にこの世には存在しない親友の幻聴に、フッと笑みが浮かぶ。
「団長?早く行きますよ!」
先を急かす仲間に手を引かれながら部屋を後にし、隠し通路へと進んでいく。




