第五十四話 奴隷狩り
今回も暴力的な表現があるので、苦手な方はご注意下さい。
「も、申し訳ございません――!」
私は、冷たい石の床にひれ伏して地面に頭を着ける。今日は朝から体調が著しくなかった。最近は指名されることが無く空腹だった為なのかもしれない。そんな状態だったため、こともあろうに、奉仕中にご主人様の体を噛んでしまったのだ。
今日指名して頂いたご主人様の「痛っ!」という言葉に、ぼんやりとした頭は一気に覚醒した。顔から血の気が引いていくのが自分でもわかった。そして、私はご主人様に許しを乞うために、深々と頭を下げて許しを乞うている。
先日の35番の処刑の風景が頭をよぎる。今度は私があの舞台で台に拘束され、あのような拷問を受けることを想像すると、恐怖で私の体は小刻みに震えだし、歯はガチガチと音を鳴らす。目からは涙が止まらない。
【死にたくない――。死にたくない――。死にたくない――!】
私の頭の中は、そのことで一杯になっていた。いや、死にたくない訳ではない、酷い方法で残酷に殺されるのが、たまらなく恐怖なのだ。
「顔を上げろ」
ご主人様が声が掛かる。
「は……はい……」
私が恐る恐る顔を上げる。その瞬間、顔に歯が抜けそうな程の衝撃が走ると、私の体はそのまま部屋の壁まで吹き飛ばされる。目の前が真っ赤に染まり、口からは血の味がした。顔を抑えた手には鼻血が出たのだろうか、べっとりと大量の血が付着していた。
どうやら、ご主人様に強烈な足蹴りを私は受けてしまったのだ。
「ち、値段が安いと思ったら、奉仕も満足に出来ないクソガキだったか……」
そういうと、ご主人様は服を着ると、部屋から出ていってしまう。私は、ご主人様が部屋から出る姿を、虚ろな目でただ見ているしかなかった。
*****
「……28番……しょうがない奴隷ですね……」
再びご主人様が部屋に戻ってくる。しかし、ご主人様の他に黒服の男も一緒に入ってくる。私は、懸命に頭を下げ謝り続ける。
「申し訳ございません――! 申し訳ございません――!」
しかし、そんな私の賢明な哀願は届くことは無かった。
「主人に立てつくなどは、奴隷としては有るまじき行いです。28番、分かりますね?」
「申し訳……ございません……!」
突然、黒服の男は、ひれ伏している私の頭に足を強く乗せる。
「きゃぁ……!」
「私は、【分かりますね?】と聞いたのですよ? 返事は?」
「は……はい、分かり……ます……」
足の力ががどんどん強くなっていく。私は、これ以上失礼の無いように、じっと堪えた。
「ふむ……28番は、ここに来た時には、そこそこ指名がありましたが、もう、この辺が潮時でしょうか。……決めました、今夜28番を処分します」
それは、私が一番恐れていた言葉だった。頭の中が真っ白になり、声が喉から出てこない。恐怖が私を本能的に逃げさせようと体を動かそうとする。
「もし、これから暴れるようなら35番以上の苦痛を、28番に与える――」
その言葉が耳に入ると、私の体から力が抜ける。あれ以上の苦痛というものを、私は想像することが出来なかったからだ。もう、私にできることは処分まですすり泣くことくらいかもしれない。
「処分するなら、俺たちの遊びに付き合わせたいんだが?」
すると、ご主人様が黒服の男と話し出した。
「ほお……? 遊びですか?」
「ああ、たまには狂獣でなく、【人間】……いや【奴隷】を狩りたいと思ってな」
「ふむ……なるほど。 もともとこちらの不手際が原因ですので、28番の処分はお任せ致しましょう。それで、どのように狩られるのですか?」
「確かこの場所一帯は特殊な結界が張られているんだよな? 最近、新型の弩を手に入れてな、それの試し打ちをしたかったんだが、面白い標的が無いか探していたところなんだ」
「なるほど、かしこまりました。それでは、そのように奴隷狩りができるよう手続きをしてきましょう」
そういうと、黒服の男は部屋から出ていった。私は恐怖のあまり、今二人が何を話したのかを理解するには時間が掛かっていた。
「ああっ!!」
不意に髪の毛を掴まれると、強引に顔を上げさせられる。
「良かったな、もし俺たちの狩りから逃れられることが出来たら、お前は自由だ――」
*****
私は、周りを見渡した。樹木がひしめき群りあっている深い森が周辺を包んでいた。そして森の奥は、深く暗い闇が続いていた。肌にあたる風が冷たい。こうして、外に出るのは、ここに連れ去られてから一度も無かったので、風の当たる感触がこそばゆかった。
私は上をみると、重なりあった木々の隙間から、夜空が見える。その空に置かれた輝く光の粒が、とても印象的だった。
後ろを振り向くと、古城のような外見が古めかしい建物があった。私が奴隷として育った場所は、こんな場所だったんだ。そんなことを考えていた。
建物の入り口には、先ほどのご主人様を含め、5人の男が何やら大きな武器のようなものを確認しているようだった。あれが先ほど話していた弩なのだろうか? その武器には大きな矢のようなものが付いており、その矢先は化け物の牙のように鋭いように見えた。
私がそんな様子を見ていると、ご主人様が微笑しながら近づいてきた。
「よし、それじゃあ始めようか? ああ、28番だったか? お前にはこれから逃げてもらう。その後しばらくしてから、俺たちがお前を狩りに行く。もし、朝日が昇るまでお前が逃げきれたら、お前は自由だ」
【自由】その甘美な響きが、私に希望をくれる。逃げきれたら、私は殺されないんだ――と。
「しかし……」
ご主人様の話は続く。そして、私に弩いついた矢先を見せつける。その矢じりは遠目からみた時よりも大きく鋭く、その黒光りは獲物を狙うような目のようにも感じた。
もし、こんなもので体を貫かれたら……。私は、震える体を両手で抱きしめるのだった。
*****
「はぁ……はぁ……はぁ……」
私は、木々の茂った森の中をひたすら走り続けた。もう、自分がどこに居るのかすら分からない。ただ、ご主人様たちに見つからないように願いながら、ひたすら走り続けた。裸足の裏は走るごとに鈍痛が響く。おそらく小石か何かで切ってしまったのだろう。でも、止まるわけにはいかない。止まったら、そこで私の自由は消えてなくなってしまう、そう感じていたからだ。
「はぁ……くぅ……くぅ……」
かなりの距離を走った気がする。空腹だったためか周りの景色がゆがんでいるように感じ、意識が飛び飛びになっていた。
「……これだけ、逃げたんだから……大丈夫……」
そう自分に言い聞かせた私は、少し大きな木の木陰で体を休めることにした。
今まで張りつめていた気が緩んだのだろうか、私はその場でうつ伏せに倒れてしまう。
「はぁ……はぁ……」
足を動かそうとしたが、動かなかった。ただただ鈍痛が足裏から伝わってくる。すぐ逃げないと……、そう思って動かそうとしても、私の意思が通じないのか足は棒のように動かなかった。
「く……」
何とか手を使って体を反転させ仰向けになる。しかし、そこで私の目に入ってきたのは弩を向けた男の姿だった。
「あ……ああ……」
「くく、残念だったね。流石に逃げた形跡がそのまんまだったから、どこに逃げたか直ぐわかったよ」
男の言葉は私の耳には入ってこなかった。恐怖。ただ恐怖が私の体中を支配していく。そして私の恐怖が私の中で暴走する。
「うああああああああああああああああああ!」
その刹那、私は叫び声を上げて男に突進する。男は叫び声に驚き、向けていた弩から矢を放つ。しかし、その矢は私の顔をかすめただけだった。私は、そのままの勢いで男に思い切り体当たりをした。
「うぉっ!?」
私の行動が予想外だったのだろうか、男はその場でバランスを崩し倒れてしまう。私はすぐさまその男に馬乗りすると、手探りで地面に何かないか探す。少し鋭い小石を見つけた私は、躊躇なくそれを男の顔に振り下ろす。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
特に狙った訳ではなかった。たまたま持っていた小石が鋭く、それがたまたま男の右目にめり込んだのだ。男は痛みで顔を両手で抑えて暴れだす。その勢いで馬乗りしていた私の体は振り落とされてしまう。
私は、他に何かないか必死であたりを探す。そして、なんとか両手持てそうな岩を見つけると、必死に足を引きずりその場所まで歩いていく。そして、その岩を両手で掴む。
「うう……うう……」
私は、全身の力を振り絞って岩を両手で持つと体をふらつかせながら、痛みに悶えている男の元に近づいていく。そして、何とか男の元にたどり着くと両手で持っていた岩を、最後の力を振り絞って男の顔に押し当てる。
「ぐぎゃぁ!!」
一瞬、悲鳴のような声が聞こえると、それっきり男はまったく動かなくなってしまった。
「……はぁ……はぁ……、ああ……私……なんてことを……」
初めて人を殺してしまった。そんなことをするつもりではなかった。恐怖で無我夢中だった。しかし、目の前の動かない男を見ると、人を殺したという罪悪感で押しつぶされそうになってしまう。
そんな時だった。急に右肩から激しい激痛が走ると、私の体は勢いでまた吹き飛ばされてしまう。肩が焼けるように熱くなっていく。その痛みからか、急激に吐き気をも寄すほど悪寒が私を襲う。
「痛…ぃ……、痛ぃよぅ……」
何とか顔を向けて右肩をみると、鋭い矢が私の肩を貫通していた。少し体を動かすだけでも、今までに感じた事のない頭の中に直接刃物でえぐられるような痛みが肩から体中に響いていく。
「ぎゃあ!!」
さらに、今度は左の太もも辺りにも同じような痛みが走っていく。なんとか左の太ももに視線を向けると、右肩と同じように矢が私の体を貫通していた。
「奴隷の分際で、なかなかやるじゃないか? まったく奴隷にやられる奴も大概だが……」
呆れた表情をしたご主人様が、弩を向け次の矢を準備していた。そして準備ができると、私の頭に矢先を向ける。
「次はどこがいい? ああ、こいつと一緒に目とか良さそうだな?」
「ああ……お願いです……ひとおもいに、殺して……下さい……」
私は、懇願するが、やはりそんな願いも直ぐに否定されてしまう。
「いいや、ダメだ。すぐには殺さない……というのが、あそこのルールらしいからな」
矢の先が、ゆっくりと私の右目に向けられた。
「……ぁぁ……」
そんな時だった――。男たちの後ろから、女性の声が聞こえてきたのだ――。
「――人間というのは、魔族以上に野蛮な方が多いようですね」
姿を現したのは、この場所には場違いな恰好をした女性だった。昔、私のお屋敷にいた使用人と同じような服を着て、毛先が肩に届き、胸よりも上の長さをした黒髪の綺麗な大人の女性だった。
女性が掛けている黒ぶちの眼鏡が、微私の目には、とても印象的に見えた。