第五十二話 綺麗な夜空!
「これは……! しゅごい……! 何という素敵な乗り物なのでしょう!」
ザッハは、ヘリコプターの窓に両手を当て、目を輝かせながら夜の上空の景色を眺めていた。
「あのですね……! 勇者様! もっと、もっと高く飛ぶことはできませんか!?」
「…………!」
絞め殺す勢いでアンゼリカに抱きついている私は、ザッハの言葉に耳を疑う。
「……ウソ……デショ……!?」
しかし、ここで無様に泣き叫び、この空気を壊してしまうのは許されなかった。ザッハには、これから様々な困難が待ち受けている。今くらい、好きなことをさせてあげたいというのが私の気持ちだった。私は覚悟を決めて目を瞑ると、更にアンゼリカを締め上げるように抱きしめた!
「お……おお……!はぁ……はぁ……パンナ……ちゃんに……抱きしめて……死ねるなら……私は……本望……だよ……ぐええ……おお……!」
アンゼリカは低い呻き声を上げながら、涎を垂らして気持ちよさそうな顔をしている。ごめんねアンゼリカ。今回は特別! 死なない程度に抱きしめるだけだから!
「ほっほっほっ!それでは、ザッハちゃんのご要望に応えてもう少し空の散歩を楽しむとしようかのぉ」
「はい……! 宜しくお願いします! 勇者様……!」
こうして、私たちはもう少しだけ空の散歩を楽しむことになったのだった。
*****
空の散歩が終わり、私たちはヘリコプターを召喚した場所へ戻ってきた。幸いにも辺りに狂獣の姿はなく、ヘリコプターは問題なく地面に着地することができた。
「……お……終わった……」
私とアンゼリカは、もはや虫の息だった。私は余りの恐怖の乗り心地に、残っていた力をすべてを使ってアンゼリカを抱きしめてしまったらしい。アンゼリカは、今まで見たこともないような嬉しそうな阿保顔で、涙、鼻水、涎を垂れ流し、ほぼ失神している状態だった。
息はしているので死んではいないだろう。私も、まだ生きた心地がしていない。とりあえず、ヘリコプターから降りると、その場で体を大きく広げ休む事にした。
アンゼリカも意識が戻ったのか、ヘリコプターから這いずり降りてくると、私と同じように体を大きく広げ、そして不気味な笑い声を発している。
「うえ……ひぃ……ひひ……」
「だ、大丈夫ですか……? アンゼリカ、それにパンナも……? 顔色が悪いようですが……?」
「……え、ええ……大丈夫……なんだけど、私たちすっごい疲れていて……、少しだけ休ませてくれるかしら?」
「そ、そうですよね、ごめんなさい。私は狂獣が襲ってこないか見張りをしているので、安心して休んでいてください」
「た、助かる……ぐぅ……」
そして、私の意識は急速に闇に落ちていった。
*****
「ふむ……二人はどうしたのじゃ? こんなところで眠ってしまいおって風邪を引くぞ?」
勇者様は、二人をを少し呆れた様子で見ていた。私は、魔法で小さな炎を召喚すると、それを二人の傍にそっと置く。周囲が、だんだんと温かくなっていった。
「ほぉ、器用なもんじゃのぉ」
その様子を見て、勇者様は優しい微笑みを返してくれた。
私は、空を見上げる。そこには数えきれないほどの光が広がっていた。暗闇から零れ落ちそうな程に。
勇者様も一緒に夜空を見上げていた。
「これは、絶景じゃのう……」
「はい……勇者様の世界の夜空は、どんな感じなのでしょうか?」
「ふむ、ワシの世界でも夜空は綺麗じゃぞ。だが、街の光がこことは比べ物にならないほどあってのぉ。このような星空は余程田舎にいかんとお目にかかれんじゃろう」
「そうなんですか……」
正直、街の光がどの程度かは想像つかなかった。それでも、こんな夜空は異世界にもあるらしい。
「最後に、こうして星空を見上げることができて、感謝じゃよ……」
その言葉を聞いて、ザッハは驚愕する。
「……最後……!?」
「ふむ……ワシは、元の世界では、もう機械の力で延命されているにすぎんのでな。体も動かす事もできず、意識もほぼない。だからこうして二本の足で立っていること自体が、ワシにとっては奇跡なんじゃよ」
勇者様は、少し寂しそうな表情をしている。
「そ……、そんな! だったら勇者様が、勇者様が元の世界に戻ったら――!」
「…………」
「そ、そうです! もしかしたら勇者様をこちらの世界に留める方法があるかもしれません! だったら――!」
私がパンナの元に向かおうとしたとき、勇者様が私の手を握ってきた。とても……とても、強い力だった。
「ザッハちゃん、人はいつか死ぬ。だからこそ、頑張れるのじゃ。ワシはもう十分に生きた。だから、このような素晴らしい夢は一日で十分なのじゃよ。ワシの国では年号も変わり時代が動いている。次の世代が世界を創って頑張ってくれている。ワシはそんな世界で最後を迎えたいのじゃよ」
「……はい……勇者……様……」
「ふむ……どうやら時間のようじゃのぉ」
私の手を握っていた勇者様の手の力が徐々に弱くなっていくと、薄っすらと透け始めていた。
「それでは病院のベッドに戻るかのぉ。今日一日、我が人生で最高の一日だったわ」
「……うう、勇者様……」
泣いている私に気が付いたのか、パンナとアンゼリカがこちらによろよろとした足取りで近づいてきた。
「あ、ありがとうございます、勇者様……! その、私たち忘れませんから……!」
「そ、そうだよ、おじいちゃん。 私も絶対忘れないからね!」
「おお、そうか、ありがとう、ほっほっほっ、孫娘が三人できたようじゃわい」
勇者様の体が、どんどん消えていく。私は、胸がいっぱいで、だた、それを呆然と眺めてる。
「おお、そうじゃ! ザッハちゃん、ワシの事を親しみを込めて最後に読んでくれるかのぉ?」
勇者様の声に我に返る。そして、今できる一番大きな声で私は叫んだ。想いを込めて!
「ありがとう――! おじいちゃーん! 大好きだよ――!」
目いっぱいの声を上げる。その声が届いたのか、最後におじいちゃんの笑顔が私の瞳に映る。そして、その場に勇者様とヘリコプターの姿は、影も形も無くなっていた。一日勇者様の役目を終えて、元の世界へ帰ったのだ。
もう一度空を見上げて、涙を拭う。
おじいちゃん、私も、生きている限り頑張るよ。精一杯生きてみるよ。もし、死んだ魂の行き先が、異世界と繋がっているのであれば、その世界で、おじいちゃんのお話をもっと聞いてみたい。そして、私も自慢できるような話を絶対できるようにするから、聞いてほしい。
そうだ、私の新しい冒険は、これから始まるんだ――!
「……パンナ、アンゼリカ、もう大丈夫?」
「ええ、もう大丈夫よ」
「うん、なんとか」
二人は優しく頷いてくれる。
「私、お腹空いちゃった。もう遅い時間だけど、みんなで少し遅い夕食にしましょう!」
私は、両手で二人の手を掴むと、夜の街へと戻るのだった。
これで、ザッハ=トルテの章は完結です