第五十話 意外な登場人物!
……これが、世にいう【覚醒】というものなのだろうか?
身体的には、幼女体型だった頃の面影は全くなかった。唯一、顔は少女だったころのザッハの面影が多く残っていた。
ザッハは、カガにその青い瞳の視線をカガに向けると一歩ずつ、ゆっくりと前進し始める。
「く……、おのれ……!」
カガの額は汗まみれだった。苦痛の表情でザッハを睨みつけると、その掲げた左手からいくつもの黒炎弾を上空に浮かび上がらせる。そして、勢いよく左手をザッハに向けて振りかざすと、それは火山の噴火の如くザッハ目掛けて一直線に移飛び放たれる。
「く……そんな……ありえんぞ……!」
カガは自分の目を疑うかのように驚愕する。すべての黒炎弾は、ザッハの体から発せられる赤い炎に包まれると、まるで溶けるようにすべて食われてしまったのだ。
勝敗は既に決していた。
ザッハから放たれる威圧的な覇気と魔力は、完全にカガのそれを上回っていたからだ。更にカガは、アンゼリカの一撃によって右肘から下を失って負傷している。おそらくザッハが本気で強力な魔法の一撃を食らわせば勝負は決するだろう。
しかし、ザッハは自ら攻撃することなく、カガに一歩ずつ歩み寄ってく。
「ね……ねぇ……パンナちゃん、ザッハちゃんはもしかして……」
「多分……だけど、ザッハはカガを殺さないつもりよ」
そう、唯一カガが今のザッハに勝っているといえば、ザッハに対する【殺気】だろう。最初に対峙したときの余裕は既に消え、カガは殺意の感情を剥き出しでいた。
「……ここは、ザッハに任せましょう……」
私がそういうと、アンゼリカは黙って頷いた。
カガは何度も何度も黒炎弾を左手からザッハに向けて放つが、そのすべてが赤い炎によって消滅してしまっていた。ついに、魔力もしくは体力が尽きかけたのか、カガはその場で膝をついて倒れてしまう。
ザッハは倒れたカガの手前にくると、右手で体に纏っていた赤い炎を振り払う。赤い炎は、空高く舞い上がると、まるで霧が晴れるかのように消えていった。
「ほぉ……もはや、この私に止めを刺すのに、その炎すら必要ないということですか……」
カガは俯いたままだった。歴然とした力の差を受け入れたのか、殺意は消え戦意は無くなっているようだった。
「カガ……、魔王が……人類と共存の道を歩もうとしたのは本当なのですか……?」
「く、くく……、ああ、本当ですよ。魔族の長とおあろうものが、人間と共存しようというのですよ!? そして、更に人間の娘と交わりお前のような異端者すら生み出してしまったのですから! そんなものが魔族の長であってよいはずがないでしょう……!?」
カガは、ザッハを睨みつける。
「どうして……、どうして、そこまで人間を憎むの……ですか?」
「そんなものは決まっている。魔族は人間と敵対するもの。どちかが滅亡するまで、この戦いの歴史は続くだろう……そういう世界なのだ!」
それは、理由なき理由――。それが魔族と人間の関係であった。
「……私は、そんな悲しい歴史を終わらせたいと思っています。カガ、そして貴方にはそれに協力してほしいのです」
その言葉を聞くと、カガが呆れたような表情をする。
……いや、私だって流石に呆れてしまう。特に目の前の魔族【カガ】は、絶対に信念を曲げないタイプだ。もし、ここで殺しておかなければ、今後、私たちにとって恐るべき脅威となるだろう。
ザッハはそれも分かっていると思う。ただ、カガのような考えを持っているものは魔族はもとより人間側にも沢山いる。だからこそ、カガとの今の話し合いは、これから人間と魔族の共存を目指すためには必要なのだと……、そう考えているのかもしれない。
「……私に協力……ですか? 本当に貴様とその父親は私を不愉快にさせてくれる……いいでしょう……協力しても……」
「えええぇぇぇ!?」
「……嘘ぉ!?」
聞き耳を立てていた、私とアンゼリカは予想外の返答にうっかり声を上げてしまう。予想もしていなかった返答が、カガの口から発せられたのだ。
「ほ、本当ですか? カガ……?」
「ええ、本当ですとも。魔王様を魔界の奥深くに封印し、貴様の母親を虐殺した私で良ければ……ですが……」
「えっ……!」
両親の虐殺という言葉を聞いて、ザッハの様子が突如変わる。
「ふふ……貴様の母親の最後は壮絶でしたよ。貴様の命を助ける代わりに泣き喚きながら懇願し、他の魔族達に嬲られた挙句、生きたまま胸を引き裂かれ心臓を食べられ貴様の身代わりになったのですから。あの時の娘の恐怖の表情と絶叫は、今でも私の記憶に鮮明に残っています」
「……くっ……」
「人間の血を引いた魔王様にも利用価値はあった。人間界に潜り込ませ諜報活動をするためのね。人間もそれなりに力を付けていた。なので、こちらの被害を最小にするには、諜報活動は必須だったのです。その点、あまり魔族の特徴を持たない貴様は、ピッタリの逸材だったのですぞ。もっとも、あの男がせいでその計画は失敗してしまいましたが。ふふ……、それでも、この私に協力しろというのですか?」
カガはザッハを見上げ、心底楽しむかのように笑っていた。
「……それでも、私の今の考えは変わりません……。悲しい過去はあっても、それを繰り返すことはまた同じ悲劇を繰り返すだけだから――!」
突然、ザッハは倒れているカガの襟元を左手で掴むと、右拳を握りしめ躊躇うことなくカガの顔面にぶち当てる――!
「ゴォホオッ!!」
顔面にザッハの拳をもろに喰らったカガは、後方へと吹き飛ばされる。
「これで……、私は貴方への憎しみを断ち切る努力をします。ですから、貴方もこれからのことを考えて下さい。もし、貴方がまた人間達を襲うというのであれば、私は何度でも貴方を止めてみせます」
ザッハに殴られたカガはその後、左手で口から流れた血を拭うと、そのまま何も言い返しはしなかった。ザッハはしばらくカガの様子を見る。しばらくしてザッハはカガに背を向けると、心配そうな表情で私たちの元に駆け寄ってくる。
その際、カガが、ザッハに不意打ちをしてくるような真似をすることはなかった。
「大丈夫ですか!? パンナ、アンゼリカ!」
「私たちは平気、アンゼリカも私が回復魔法を掛けたから大丈夫よ」
「良かった……」
安心し、ザッハは胸をなでおろす。そんなザッハの顔を私は両手でそっと掴むと、顔の周りを何度も触りだした。ザッハはそんな私のことを、きょとんとした表情で見つめている。
……これが、あの幼女だったザッハの成長した姿……。あまりにも突然だったので、今でも実感が湧かない。それほどまでにザッハの姿は美しく大人の体へと変わっていったのだ。その青い瞳に私は吸い込まれそうになる。
「ちょっ!ちょっと!パンナちゃん、も、もしかしてザッハちゃんに恋!? 恋しちゃったとか!?」
「こ、恋……ですか……!? 突然そう言われても……困ってしまいます。」
ザッハは顔を少し赤らめ、アンゼリカが涙目で私の腰当たりを掴み引っ張ってきたところで、私は我に返る。恋……ではない。多分同性としての憧れか何かだと思う。しいて言えば成人になった娘を送り出す母親のような心境かもしれない。……いや、私もまだまだ若いんだけどね。
「ち、違う、違う。ザッハの余りの変わりように現実味がなかっただけ。えっと、確認するけど、貴方ザッハ……よね?」
私は、念のため確認する。
「……はい、私はザッハ。ザッハ=トルテ。私も正直、こんな姿になるなんて思っていませんでした。年齢的にはパンナとほぼ一緒ですから、これが本来の姿なのだと思います。おそらく……私が魔王の力を受拒んでいたのが原因で、その、成長も止まってしまっていたのだと思います」
「そ、そうなんだ……」
そんなとき、ザッハのお腹から腹の虫の音が鳴り響く。ザッハは、少し恥ずかしそうにお腹を支える。
「……お腹空きましたね。早く街に戻って美味しいものでも食べたいです……」
そんなザッハを私は胸に抱きよせる。ザッハは驚いた様子だったが直ぐに私に身をゆだねる。アンゼリカはその様子を恨めしそうに眺めている。
「お帰り――。ザッハ――!」
「うん――。ただいま――。パンナ――!」
*****
「ねぇ……カガはあのままにしておいていいの?」
少し休憩し体力が回復した私たちは、ここを出る為にその場を立ち上がった。
カガはザッハに殴られて倒れてから、そのまま動かずにいる。注意は払っていたが、特にこちらに危害を加える様子は見られなかった。
「カガも、私たちも、一度考えをまとめる時間が必要だと思います」
カガを様子を見つめていたザッハはそう呟く。
不安ながらも、私たちはカガをそのままにして、出口の扉へ向かおうとする。しかし、その扉の奥から誰かの気配が感じられた。
「……誰か、扉の前に居る……!」
「勇者様じゃない?」
勇者様の気配にしては少し違和感が感じられた。
「……みんな、気を抜かないで。念のため用心を」
私たちは、戦闘態勢を取って扉に警戒する。そんな私たちに感づいたのか、扉が物々しい重音と共に徐々に開いていくと、そこには少女……と思われる姿があった。
「やっと話が終わったようだね。お姉ちゃんたち。カガを殺すんじゃないかって思ってたけど、まさか見逃すとは思ってなかったから、少しびっくりしちゃったよ」
「コ……コウメ……ちゃん?」
それは、私が想像していなかった人物の姿だった。以前一度だけパーティーで一緒に戦った冒険者の一人だった。どうして、彼女がこんなところにいるのだろう。それに、カガの事を知っている……てことは、まさか!
「貴方……やはり魔族でしたのね……」
「うん、そうだよ。でも、ザッハお姉ちゃんは意外だったよ。僕に近いとは思っていたんだけど、まさか、魔王様だったなんて」
ニコニコとした表情のコウメちゃん。しかし、その心の内が分からなかった。カガの仲間であれば、私たちを後ろから攻撃もできたはず。敵じゃないとすれば、コウメちゃんの目的は一体何だろう?
「パンナお姉ちゃんも、そんなに怖い顔をしないで。別に僕はお姉ちゃんたちと戦うために来たわけじゃないから、少しカガに聞きたいことがあってね」
そういうと、コウメちゃんは私たちの目の前をそのまま素通りすると、カガが倒れている場所まで歩いて行った。カガはコウメちゃんに気が付くと顔をゆっくりと上げる。
「……なんだ、コウメイではないか……人間界を偵察していると聞いていたが、こんな場所に何の用だ……?」
「ああ、ちょっと聞きたいことがあってね。サバランの街の人間を盗賊に仕立てていたのは、カガなの?」
「サバラン……? ああ、マカロンの西のさびれた街の事か。あそこの住人は実に使いやすくてな、少し洗脳を施したら、私の手足となって働いてくれたのだ……。しかし、それが、どうかしたのか?」
「ああ、良かった。ううん、やっと盗賊の首謀者を見つけることができたから、ちょっと嬉しかったんだ」
それは、一瞬の事だった。カガが私たちに向けた殺気以上の殺気が、コウメちゃんから放たれたのだ!
「ダメです! コウメちゃん――!!」
ザッハが大声でコウメちゃんに呼びかけそれを止めようとする。しかし、コウメちゃんにその声は届いてはいなかった。
コウメちゃんが右腕を振り払う。カガの首元から。噴水のような血しぶきが空に舞うと、カガの首が胴体から離れ地面に転がり落ちる。
「……サンデ……君の仇は討ったよ。僕の大切なものを奪ったのなら、僕は誰にも容赦はしない」
彼女から発せられる覇気は、四天王、そしてカガを凌駕するほどのものだった。