第四十九話 炎の女神!
「魔王が人と共存の道……!?」
そもそも、魔王なんて言うのは少し前までは伝説上の人物で、四天王のミチバとの闘いが無ければ、その存在自体を私たちは気にしていなかったはずだ。しかし認識上は、人間にとって魔王とは恐怖の対象、魔王にとって人間は忌むべき存在。それは世界の常識とも思える事象だった。
その魔王という存在が、人との共存の道を歩んでいた……?俄かには信じられない話だった。
「お前もそう思うだろう? 人と魔族が共存するというのが、どれだけ馬鹿げた事かということを。 人間は魔族にとって忌むべき存在、滅ぼさねばならぬのだ。そして、人間もまた魔族を忌むべき存在として見ているのだろう?」
「……そ、それは……」
カガの問いに、私は言葉を詰まらせる。正直言うと、魔族を忌むということは考えもしていなかった。魔族の四天王との戦いも、私たち自身に危機が訪れていたからだ。
ただ、人間が無意識に魔族を忌むべき存在と捉えていたかもしれないといのは、直ぐに否定することはできなかった。
カガは玉座から立ち上がると、ゆっくりと床に倒れているザッハの元に近づいていく。そして、慢心喪失のザッハの首輪に手を掛けると、そのまま強引にザッハの体ごと持ち上げる。
「ぐうう……」
首が締まり苦しいのか、ザッハは声にならない小さな呻き声を上げていた。私は、腰の短剣に手を掛ける。これ以上虐げられれば、ザッハの命に関わってしまう。カガの様子を見れば、ザッハを殺しても構わない……そんな感じだったからだ。
「ふむ……なぜ、貴様は魔王様を助けようとするのだ……?」
先ほどの感情剥き出し表情とは違い、冷静さを取り戻したのか、カガは冷たい声で私に更に問いかける。
「な、仲間だからに決まっているでしょ!?」
「仲間?ク、クク、アハハハハ! なるほど、貴様は人間の中でも人一倍馬鹿な部類に入るのではないか? コレは、自分が魔王ということをお前たちに隠し、騙していた、人間の最も嫌う魔族なのだぞ? それが仲間と言えるのか?」
「仲間だと――、言えるわ――!」
私は、躊躇することなく声を高々と上げる。
「例え、ザッハが魔王でもなんでも構わない! 私たちの仲間よ。だから助ける。その汚い手を放しなさい! この変態野郎!」
私は短剣を抜き取り、戦闘態勢に入る。逃げるという考えは既に頭の中から消えてしまい、如何にこの変態野郎に一撃を与えるか。それだけで頭の中は一杯になってしまった。
そんな私に、カガは呆れるような表情を向ける。
「なるほど……貴様のような馬鹿な人間には、いくらいっても無駄のようですね。気が変わりました。貴様をここで、魔王様の見せしめの為に惨たらしく処刑することにしましょう……。そうですね、是非惨めに地面に這いつくばりながら、命乞いをする様を私と魔王様に見せて下さい」
カガが、ザッハを後ろに放り投げ右手を天高く掲げる。右手の先端に生えている漆黒の爪は突如伸び始め、鋭い牙を私に向けようとしている。
「――――――!!」
この一瞬だった。
カガがザッハから手を放し、私にだけ注意を向けているその瞬間こそ、アンゼリカから見れば最高の隙となった。
アンゼリカの放つ、高速の槍は不意をついたカガの右肘を捉えると、力任せに右肘からの腕の部分を体から強引に吹き飛ばす。カガの肘の付け根からは、勢いよく赤い血が蒸気のように吹き始める。何が起こったか分からない、そんな表情をしたカガだったが、現状を理解した途端、怒りと痛みが混じったような恐ろしい形相で叫び始める。
「ぐああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! き、貴様ら―――仲間がいたのか――!」
「パンナちゃん早く、扉に!」
アンゼリカは既にボロボロになったザッハを左手に抱え回収し、入ってきた扉に走っていた。それを確認した私は、懐から緊急避難用に携帯していた煙幕弾をカガに投げつけると、一目散に扉に向かって駆け出した。
作戦は大成功だ!
あとは外にいる勇者様のヘリコプターに何とか乗ることができれば、とりあえず窮地は脱出できるだろう。そう思い、扉を抜けようとするアンゼリカ達に異変が起こる。
「キャァ!」
ザッハの叫び声が聞こえた。扉を抜けたアンゼリカだったが、左手に抱えたザッハがまるで目の前に壁があったかのように弾かれてしまう。その勢いでザッハは床に叩きつけられてしまった。
「ザ、ザッハちゃん大丈夫!?」
アンゼリカは、すぐさまザッハの元に駆け寄る。ザッハの首元を見ると、首に掛けられている首輪から青白い光が不気味に輝いていた。
「これって……もしかして……何かの結界……!?」
「ア、アンゼリカ、危ない――!」
私の声に反応したアンゼリカは、ザッハを両手で抱えると間一髪右側に大きく跳ね避ける。アンゼリカが元居た場所には、鼓膜が破れそうになるほどの爆発音とともに、巨大な黒い火柱が立ち昇っていた。ザッハの使う黒魔法とは威力が桁違いのものだった。
振り向くと、煙の中から悪魔の形相をしたカガが、息を切らせながらこちらに左手を向けていた。
「人間ごときが、この私に傷を付けるなど……あってはならぬのだ……!」
カガの左手からは、いくつもの黒く渦巻いた炎の球が出現し、獲物を狙うよう狂獣のようにゆらゆらと揺れている。一発でもあの威力だ。あれほどの数を撃たれてしまったら、逃げ切ることができない。
「アンゼリカ、逃げて!」
カガの狙いは、明らかにアンゼリカたちだった。怒りに我を忘れている状態であれば、ザッハもろとも攻撃する可能性は高い。
「く……!足が……!」
しかし、アンゼリカは動けなかった。先ほどのカガの魔法攻撃で足をに傷を負ってしまったのか、足を引きずりながら、その場を離れようとしている。
「……ザッハちゃん……だけでも……逃げて……」
アンゼリカは倒れながらもザッハの背中を押し、逃げるように促す。
「……ア、アンゼリカ……!」
しかし、ザッハは、アンゼリカの上半身を支えると、その場から逃げようとしなかった。
「残念です。魔王様。もう少し、貴方に屈辱を与えたかったのですが、仕方ありませんね。少し早いですが、貴方には、我が主の糧となっていただきましょう!」
カガが左手を大きく振るうと、くすぶっていた黒い炎の弾は、鳥のように次々と勢いよく飛び出した。そして、一直線にアンゼリカとザッハがいる場所へ向かっていく。
「や、止めて――――!」
私は、その状況に何もできないまま、悲痛な叫びを上げる。
*****
まるで、時が止まったようだった。
パンナの叫び声が聞こえる。アンゼリカは悲痛な顔が私の瞳に映る。そして、黒く渦巻いた炎が沢山、私たち二人に襲い掛かろうとしている。そんな、すべての状況がゆっくりと流れている。
私は目を瞑る。すると、そこには暗闇の中、膝を抱えて俯いている、黒髪の少女がいた。私は、その少女を知っている。私が切り捨てた、魔王の娘としての私だ。
私は怖かった。みんなに、私には魔族の血が流れていると知られて恐れられてしまうことを。恐怖の象徴として迫害されてしまうことを。だから切り捨てた。でも、結局はそんな私の臆病さが、みんなをこんな目に合わすことになってしまった。私は、みんなを信じることが最後までできなかったんだ。もし、信じて相談していたなら、違う結末を迎えることができたのかもしれない。
【仲間だと――、言えるわ――!】
パンナが躊躇なく叫んだ声が熱い――。心が溶かされるような気持になった。
アンゼリカが手を差し伸べてくれた背中が熱い――。心臓が焼けるほど暖かくなった――。
私は泣いた――。心から泣いた――。
彼女たちの信頼に、彼女たちの愛情に、そして、こんな結末を迎えることになってしまった絶望に――。
……そんな私の頬に、誰かが手を差し伸べてくる。
私は目を向けると、そこには切り捨てたもう一人の私がいた。
「今なら、きっと、貴方は私を受け入れてくれると思うから――」
「でも、私は、貴方を切り捨てた――。私は、救いようのない馬鹿女だ――」
「でも、貴方は、もう一度私を見てくれた、それは私にとってもとても嬉しいこと。これから貴方の目指す世界は、きっと険しく厳しいものになるでしょう。でも、諦めないで。そして、思い出して。貴方の為に、命を懸けて戦った仲間がいることを――。そして、貴方と同じように魔王の血に苦しみながらも、人との共存を目指した、素晴らしいお父様がいたことを――」
「……うん……もう、絶対忘れない……、ありがとう……」
泣き止む私の胸に、もう一人の私の右手置かれる。
「これは、お父様からの餞別の力です――。貴方が目指す世界の為に、この力を利用してください――」
私は、胸に置かれた右手の上に両手を重ねる。すると、目の前の少女は私の目の前のから消えていた。
……いや、消えたのではない。一つになったのだ。今までごめんなさい。これからは、ずっと一緒だから……。
そして体中が徐々に熱くなっていく。そして、私の視界は徐々に現実の世界の姿を映し出していくのだった。
*****
「……な……に……!?」
黒い炎の弾は、突如出現した真っ赤に燃える巨大な火柱に全て飲まれてしまった。赤い炎はこの広間の天井を覆いつくし、広間全体を真っ赤な世界へと豹変させていく。
そして、その炎の中心から、誰かが現れた。
背丈は私より少し大きく、長い漆黒の黒髪は、周りの赤い炎に同調するかのようにゆらゆらと売れていた。真っ白な肌と女性でも見とれてしまうような体型は、どこか炎の女神を想像してしまうようだった。そして、炎とは対照的な青い瞳は、見るものすべてを魅了する。そんな女性の姿だった。
「アンゼリカ!」
アンゼリカは、目の前の女性に抱き抱えられていた。口を開け、何が起こったのか分からない、そんな表情をしていた。
「も……もしかして、ザッハ……ちゃん?」
「はい、アンゼリカ。私はザッハ。ザッハ=トルテです。私を……助けてくれてありがとう」
「あ……うん、いえ、どういたしまして……」
「しばらく、ここで休んでいて貰えますか? あとは、私がなんとかします」
「え……? ……う、うん、分かった……」
目の前の少女は、アンゼリカを地面に降ろすと私に声を掛ける。
「アンゼリカをお願いします、パンナ。カガとの決着は私がつけます……!」
「……も、もしかして、ザッハなの……?」
見た目もだが、口調ももはや別人だった。どんな原理か現象かは不明だが、目の前の女性はザッハ……らしい。そして、彼女から発せられる覇気や魔力は、カガや四天王を凌駕するほどだった。
「さぁ、決着をつけましょう! カガ!」
赤い炎を身にまとったザッハは、カガに向かって一歩足を踏み入れるのだった。