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8.過去と未来

 結婚式が間近に迫る、ある日の午後。ヴィオレットはシャーリーンと共に、応接間にいた。

 ヴィオレットはひとり掛けの椅子に腰掛け、複雑な気持ちで目の前の花嫁衣装を見つめていた。真っ白な花嫁衣装は、シャーリーンが仕立てたもの。他にも依頼があっただろうに、シャーリーンはそれらを断り、あるいは後回しにし、このドレスを仕立ててくれた。

 その点には感謝と同時に、申し訳なさもある。


「サイズはお変わりありません?」

「えぇ、多分」


 トルソーにドレスを着せ終わったシャーリーンが、満足そうに自分の作品を眺めている。花嫁衣装は特別だ。着る側にとっても、作る側にとっても。


「もう間もなく、ですわね」

「……そうね」


 花嫁衣装は真っ白だ。銀糸の刺繍、贅沢に使われた真珠、うっとりするような絹の手触り。何もかもが特別。一生に一度だけ、身にまとうことを許される神聖なドレス。

 このドレスを身にまとい、自分は誓うのだ。結婚を──将来を──愛を。


「シャーリーンは、結婚をどう思う?」


 花嫁衣装を視界から追い出し、ヴィオレットは外を見た。青い空が広がっていて、白い雲が風で流れている。静かな午後だ。


「残念ながら、私は独り身ですから。助言はできません」


 シャーリーンは微笑みを浮かべたまま、穏やかに答えた。


「でも貴女は人生の先輩だわ。独り身だからこそできる助言も、あるのではない?」


 ヴィオレットがそう言うと、シャーリーンは困ったように笑った。


「ヴィオレット様。私には、何も言えません。ただ──そうですわね。後悔なさらない道を選ぶべきですわ」

「後悔? 貴女は、後悔していることがあるの? ──結婚で」


 シャーリーンはまた、困ったように笑った。

 ただ少し、瞳に悲しみが宿ったように見えた。触れて欲しくない部分に触れてしまったのだと、シャーリーンの今の笑い方で気づいたが、吐いてしまった言葉は飲み込めない。

 ヴィオレットは答えを待ったが、シャーリーンは何も言わなかった。


「奥様に言われ、いくつかドレスを持って参りましたわ」


 長い沈黙のあと、声を発したのはシャーリーンだった。仕事用のかばんとは別に、ドレスを入れた大きなかばんを持って来る。


「ドレスならたくさんあるわ」

「ドレスだけではありません。下着などもございます」


 大きなかばんから取り出したドレスや下着を、テーブルに並べていく。嫁入り道具は、これでほぼほぼ揃ったことになる。

 あとは母親から譲り受ける貴金属と、父親が用意する持参金くらいだろうか。結婚とは本当にお金がかかるものだと、ヴィオレットは当事者になってはじめて気づいた。

 ここまでお金がかかると知ってしまった以上、この結婚を取消すことだけは避けなければ、とも思う。嬉しそうな両親を、また悲しませるのは嫌だとも思うし。


「……私、仕事を辞めたほうがいいのかしら」

「それを決めるのは、ヴィオレット様自身ですわ」

「結婚したら、決めるのは夫、なのではない?」


 そう言ったら、シャーリーンは優しく微笑んだだけ。

 なんというか、シャーリーンを見ていると、笑顔というのは便利だな、と思ってしまう。

 その時、ノックの音が聞こえた。ヴィオレットは顔を扉へ向け、どうぞ、と静かに口にした。


「失礼します。お嬢様にお客様です」

「誰かしら?」


 部屋へ入って来たのは、エルマーだった。ブルネットの髪は結い上げているが、編み込んでいる。


「アンドリュー様の使い──です」


 その名に聞き覚えがあり、ヴィオレットは思わず、椅子から立ち上がった。

 アンドリューとは、ヴィオレットの最初の婚約者。隣国の王子の名だった。





 アンドリューの使いは、ベンジャミンと名乗った。顔に見覚えはなかったが、向こうはヴィオレットのことを知っているような口ぶりだった。


「ご用件は?」


 挨拶もそこそこに、ヴィオレットはベンジャミンに用件を尋ねる。


「ヴィオレット様がご結婚なさると聞き、アンドリュー王子は是非、祝いの品を贈りたいと」

「……そう」


 表情にこそ出していないが、ヴィオレットは内心、動揺していた。

 アンドリューは、婚約して半年の間に、何度も体調を崩した。高熱、腹痛、頭痛、ありとあらゆる不調を訴え、最後は食中毒で生死の境を彷徨った。今も存命だが、連絡は取り合っていない。

 だからこうして、使いとは言え、自分の下を訪れたことが不思議でならなかった。


「それから、殿下から手紙を預かって参りました。直接お渡ししたいと仰っておりましたが、ご多忙のため、私が参った次第です」

「……そう」


 ベンジャミンはエルマーに手紙を渡し、エルマーがヴィオレットに、その手紙を渡した。白い封筒に、赤い封蝋。軽いはずなのに、やけに重く感じてしまう。手紙には、なんと記されているのだろうか?

 私を責める内容だったら、どうしよう? ──読みたくない……。


「貴女のせいではない」


 ベンジャミンの声に、ヴィオレットははっとして顔を上げた。


「殿下は心から、ヴィオレット様のご結婚を喜んでおられます。貴女を恨んでもいないし、貴女のせいでもない、そう仰っておりました」


 まるで、ヴィオレットの心を透かしてみたような言葉だ。

 ヴィオレットは迷いながらも、手紙の封を切る。


「…………」


 ゆっくりと手紙を読んだ。アンドリューとは、ほとんど会ったことがない。肖像画が送られてきたり、プレゼントと一緒に手紙が送られてくる程度の交流しかなかった。

 あの頃、ヴィオレットは手紙を読むたびに思っていた。本当に、これは王子からなのかしら? と。

 けれど多分、あれはすべて、アンドリューが自ら書いてくれた手紙だったのだ。今、手の中にある手紙の文字は、あの当時と同じに見えるから。


「……少し、時間をいただけるかしら? 返事を書くわ」

「お待ちします」


 ヴィオレットは立ち上がり、エルマーを見ることなく、応接間を出て行く。向かう先は、自分の部屋である。





 部屋へ入ると、ヴィオレットは机の引き出しを開け、便箋を取り出す。

 ここ最近、手紙なんて書いていなかったから、ろくな便箋がない。元婚約者とはいえ、相手は王子なのだ。きちんとした便箋を使うべき――と思うが、今は妥協するしかない。便箋を机に乗せ、椅子に腰掛ける。ペンを手に持ち、先程読んだ、手紙の内容を思い出す。

 アンドリューの手紙には、優しい言葉しかなかった。一言も、ヴィオレットを責めるような言葉はなかったのだ。結婚おめでとう、幸せになれるよ──それから、僕達は縁がなかった、とも書かれていたし──感謝する、とも書かれていた。

 ヴィオレットとの婚約を解消しても、アンドリューの体調は元には戻らなかった。

 これをきかっけに、アンドリューは自分の周囲を調べて周り、結果、自分を毒殺しようとしていた者を発見したそうだ。体調を崩していたのは、ヴィオレットのせいではない。毒を盛られていたからだ。

 ヴィオレットと婚約を解消しても体調が元に戻らなかったため、周囲を調べて回った。

 だからアンドリューは、感謝する、と書き記したのだ。


「もっと早くに調べればよかったのに……」


 ヴィオレットはそう口にし、危うくそのまま、手紙に書いてしまいそうになった。

 すべては偶然。毒は以前から盛られていたのかもしれなくて、偶然、体調不良とヴィオレットとの婚約が重なっただけ。

 アンドリューの手紙の最後には、もっと早く知らせたかった、ようやく体調が良くなってきた、と書かれていた。

 ヴィオレットはなんとなく、泣きたい気持ちだった。自分のせいじゃない。自分のせいじゃないのよ!

 すべてはそう、偶然が重なっただけのこと。

 それを知れたことが嬉しくて、泣いてしまいそう。


「……よし」


 手紙を書き終え、ヴィオレットは封筒に入れる。いつもなら読み直すところだが、今は早く、アンドリューに届けてもらいたい、そう思った。

 ヴィオレットは部屋を出ると、早足で応接間へと戻る。


「待たせてしまって、申し訳ないわ」

「いえ、構いません。急かしてしまったようで、こちらこそ申し訳ありませんでした」


 応接間では、ベンジャミンが直立不動で待っていた。手紙を渡すと、ベンジャミンはそれを恭しく受け取る。


「殿下にお伝えください。貴方に幸福が訪れることを、心から祈っています、と」

「確かにお伝えします。それから、こちらが殿下からの贈り物となります」


 見れば、応接間の中央に置かれた机の上に、大量の箱が置いてあった。


「こんなに……?」

「お受け取りください。グラスにティーセット、カトラリーなどです。割れ物になりますが──是非、嫁ぎ先でお使いください」


 想像していた以上の量に、ヴィオレットは申し訳なくなってしまう。

 が、ここは素直に受け取るべきだ。


「ヴィオレット様。──ご結婚、おめでとうございます。心から、祝福いたします」


 ベンジャミンは深々とお辞儀をすると、はじめて笑顔を見せた。

 その笑顔を見た瞬間、ヴィオレットは思い出す。

 私はこの人を知っているわ。

 婚約を解消するとき、自分の下を訪れた人だ。どうして忘れていたのかしら?

 あのときのベンジャミンは、とても残念そうな笑顔を浮かべていた。今とは違う。

 だから、気づかなかったのかしら?

 ヴィオレットは応接間を出ると、ベンジャミンを見送るため、正面玄関へと向かう。正面玄関を抜けた先、門の向こう側、通りには四頭立ての見事な箱馬車があった。隣国の紋章が刻まれた、立派な馬車だ。


「陛下に謁見されますの?」

「はい。本当は結婚式まで滞在したかったのですが、我が国も色々とありますので」

「そう、でしょうね」


 王子が毒を盛られていたのだ。忙しいのは当然だろう。

 ヴィオレットは走り去る馬車を見送りながら、しみじみと思う。

 私は結婚するのだわ。いろんな人に祝福されて、結婚する。幸せになれるかしら? なれるわよね? なってもいいわよね?

 ヴィオレットは空を見上げ、出かけようと思った。便箋を買いに行こう。クラウディオに手紙を書くのだ。

 そのための便箋を、買いに行く。

 あの人が、返事を書くような人には思えないけれど。




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