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5.素晴らしい星空

 めまいがするような大広間の賑やかさの中、ヴィオレットは居心地の悪さを感じていた。両親は上機嫌を絵に描いたような様子で、ヴィオレットとクラウディオの婚約を発表していた。誰もが祝福してくれていたが、ヴィオレットにはわかっていた。

 どうせ、男性陣はこの婚約がいつまで続くのか賭けをし、女性陣は噂話に興じるのだ。外側には笑顔を張り付けて、内側では真逆のことを考えている。

 一年間、社交界から遠ざかっていたのに、たった一晩──それこそ一時間も経っていないのに、上流階級を遠ざけていたもうひとつの理由を思い出した。


「おめでとうございます、ヴィオレット様」

「ありがとうございます」


 同い年と思われる令嬢が、代わる代わるに現れては、祝いの言葉を述べていく。

 ヴィオレットは義務的に感謝の言葉を口にしながら、無感情な目で大広間を眺めていた。色取り取りのドレスは、まるで咲き誇る花のよう。

 ロンベルク家が主催する夜会のため、招待されているのは良家の子女ばかり。未来の結婚相手を探すには、うってつけと言える。招待された令嬢達は、それを知っているからこそ、気合を入れて着飾っているのだ。


「お姉様、どうしたの? 暗いお顔」


 エステルの声に、ヴィオレットははっと我に返った。見れば、すぐ隣にエステルが首を傾げて立っていたのだ。

 エステルはピンク色のドレスを身にまとっている。柔らかな金色の巻き毛と、大きな青い瞳のエステルは、家族だからという贔屓目を抜きしても愛らしい。


「今夜の主役なのよ。笑顔でいなきゃ」

「そんな気分にはなれないわ」


 ヴィオレットはため息を漏らし、可愛い妹を視界から追い出す。

 すると視界に、クラウディオが飛び込んできた。燃える赤は、大勢の来客の中でも目を引く色だ。

 クラウディオは、誰かと話している。男性ふたりと、話しているようだ。クラウディオよりも背が低い彼ら──クラウディオが高すぎるため低く見えるだけで、実際は十分な身長の持ち主達──は、話が弾んでいるのだろうか?

 クラウディオは真顔だが、ふたりの男性は笑っているから。


「お姉様、わたしはよかったと思っているの」

「──え?」


 クラウディオに意識を向けていたせいで、エステルの言葉をきちんと聞いていなかった。聞き返せば、エステルは不満げに口を尖らせる。


「お姉様が婚約したことよ。これで、司書の仕事を辞めてもいいでしょ?」


 エステルの言葉に、他意はない。無邪気で、思ったままを口にしてるのだ。宮廷に拝謁した立派なレディだというのに、少々、子どもすぎるような気もするが、ヴィオレットには可愛い妹。

 今のままでもいいと思うのだ。少なくとも、自分の前では。


「仕事は辞めないわ」

「あら、クラウディオ様がお許しになったの?」

「……いいえ」


 そういえば、そんな話はしていない。

 だって、この婚約もダメになると思っているから。結末が決まっている将来の展望を、何故話し合う必要があるのだろう? 無駄としか思えない。

 ヴィオレットは再び、クラウディオを見た。

 けどクラウディオはいなかった。移動したのだろうか?





 クラウディオは窓際に移動していた。窓からはロンベルク家自慢の庭が見える。暗いから、その魅力を十分に知ることはできないが、きっと素晴らしい庭園なのだろう。


「フェスカ卿、聞きましたよ。稽古の際、怪我をしてしまったとか」


 クラウディオに話しかけてきたのは、ふたり。確かアーチボルト伯爵の息子──次男だったと思う。興味がないから、きっと明日には忘れてしまう相手。

 そしてもうひとりは、ベレスフォード男爵の息子。こちらは長男だった気がする。


「早速、不幸が訪れたようですね」


 ふたりが自分に話しかけてきたのは、そういうことだ。この婚約を祝うのと同時に、面白がってもいる。

 クラウディオは内心、彼らに不快感を抱いていた。


「かすり傷です。それに、怪我をしたのは私の未熟さ故です。ヴィオレット嬢のせいだと言うのは、見当違いだと思いますが」


 淡々と言ったつもりだったのだが、少しばかり声の調子が強すぎたかもしれない。

 その証拠に、ふたりの青年は眉間に皺を寄せていた。予想していた反応と違ったからだろう。不満そうだ。


「そう言っていられるのも、今のうちだけですよ。すぐに彼女の恐ろしさを知ることになります」

「私は以前、彼女と踊ったことがあるんですよ。一度だけでしたが、そのあとカードでボロ負けしました。いつもは勝つのに」


 ふたりは馬鹿にしたように笑っている。

 クラウディオは、そんなふたりを見下ろしながら、思う。

 ──お前達は、彼女の何を知っているんだ?

 大体、カードでいつも勝つのに、という青年──男爵家の長男だ──の主張の方が、よほど真実味に欠ける。


「ヴィオレット・ロンベルクは不幸を呼ぶ女ですからね。けどまぁ、美人なのは確かですからね。高望みしなければ、相手はいくらでも──」

「それは、彼女を侮辱しているんですか? 国王陛下からの信頼も厚い、ロンベルク家の令嬢を、伯爵家の次男と、男爵家の長男が侮辱するとは」


 身の程をわきまえろ。

 クラウディオは表情こそ無そのものだったが、瞳には炎が揺らめいているように見えた。静かに、怒りの炎を燃やしている。


「な、何を……っ」

「我々はただ……!」


 ふたりの顔が、みるみるうちに赤くなる。

 クラウディオは陰口とか、根も葉もない噂を面白半分に口にし、楽しむような趣味はない。むしろ嫌いだ。


「あなた方は今、私の婚約者を侮辱したのです。つまりそれは、ロンベルク家とフェスカ家を敵に回すということでは?」


 クラウディオは、あまり家名とか身分とかにこだわらない。自分が働く『王冠』には、貴族じゃない、それこそ平民だっているのだ。身分とかにこだわるのは、馬鹿らしく思えるのだ。

 けれどこういう時は、役に立つな、と思った。


「彼女に関する噂は知っています。ですが、私をそれらを鵜呑みにするほど愚かではない。私は──」


 クラウディオは、視線を大広間の中へと向けた。離れた場所に、ヴィオレットが見える。淡い紫色のドレスを着た彼女は、美しい。微笑みを浮かべることはなく、常に視線は下を向いて、キョロキョロと落ち着かない。

 王立図書館で見た彼女とは、あまりにも違う。

 クラウディオは、離れた場所でひとりきりの婚約者を見つめたまま、口を開き──。


「私は彼女と──ヴィオレット・ロンベルク嬢と結婚します」


 静かな声は、すぐそばにいるふたりの青年貴族にしか聞こえていない。

 だからクラウディオは、思ったのだ。きちんと彼女に、結婚を申し込まねば、と。





 ヴィオレットはテラスにいた。夜会はつい先程終わり、招待客が次々と帰って行く。徐々に屋敷は、静かになっていった。使用人達は後片付けで、忙しなく動いていることだろう。

 父親は残った数名の貴族と酒を飲み交わし、母親は美容のためと早々に寝室へと引き上げた。ふたりの妹も、自分の部屋へ戻っている。

 ヴィオレットは夜風で揺れる自分の髪を手で押さえながら、隣に立つクラウディオを見上げた。

 彼がテラスへ誘ったのだ。話があると言って。


(婚約破棄……よね。それしかないもの)


 ヴィオレットの心は、落ち着いている。穏やかな凪のようだ。

 やはり期待しなくてよかった。私は間違っていなかったのだわ。


「お話とは、なんでしょうか?」


 話はわかっているのだから、勿体振る必要はない。ヴィオレットはすみれ色の瞳で、真っ直ぐにクラウディオを見つめていた。

 さぁ早く、言って。

 ヴィオレットの気持ちに気づいたのか、クラウディオが口を開いた。


「結婚しませんか?」

「えぇ、そうですわね。やはり────え?」


 答えは決まりきっていると思っていたので、クラウディオが言い終わるのと同時に言葉を吐き出したのだが、すぐに間違いだったと気づく。

 クラウディオが口にしたのは、ヴィオレットが予想していたものとは違ったのだ。彼は今、なんと言っただろうか?


「え? え??」


 わかりやすく動揺するヴィオレットを、クラウディオは不思議なものでも見るかのような目で、見ていた。


「い、今……結婚って言いました?」

「はい」

「だ、誰と……?」

「貴女以外に、いないと思いますが」


 クラウディオは落ち着いている。

 つい先程までのヴィオレットよりも、落ち着いているように見えた。実際、そうなのだろう。言葉にも態度にも、迷いがないから。


「どうして、そんなことを……」

「私と貴女は婚約しています。なんの問題もなければ、このまま結婚します。ですがやはり、きちんと求婚しておくべきだと思いまして」


 違うわ。私が聞きたいのは、そういう話じゃない。

 ヴィオレットは視線を彷徨わせ、どうしたものかと悩む。自分は今、何を言うべきなのだろう?

 それがよく、わからない。


「……私は……私、は……」


 ──不幸を呼ぶから──とは、どうしても口にできなかった。

 そんなことを口にしたら、認めたことになってしまう気がして……言葉にできない。

 ヴィオレットは両手で、自分の顔を覆った。

 この展開は、予想していなかった。正しい答えがわからない。

 王立図書館で働いて一年、たくさんの本を読んだ。歴史、経済、小難しい専門書も読んだが、こういう時の正しい対処法は、載っていなかったように思う。

 いや、ひとつある。流行っているからと、先輩司書ダリアにすすめられた、ロマンス小説。

 あれには、こんな場面があったような気がする。多くの主人公は、自分とさして変わらない年齢だった。彼女達は求婚された時、どんな反応をしていただろう?

 そう──涙を流すほど喜んでいる場合もあれば、お断りよ! と、怒っていたような場合もあった。自分はどちらだろうか?

 喜んでは、いない。怒っても──いない。

 ただ困惑しているだけ、と言えた。


「ヴィオレット嬢?」


 顔を覆っていた手を下ろせば、視界にはクラウディオが映り込む。燃えるような赤い髪が、夜風で揺れている。


「貴方は知ったはずだわ。私の……噂を」


 ヴィオレットは気持ちを切り替えることにした。

 これはロマンス小説じゃない。自分が体験している、まぎれもない現実リアル

 この状況をどうすべきか考えるべきなのは、自分自身だ。


「確かに、知りました」

「では、何故──」

「王立図書館で働く変わり者、と呼ばれているそうですね。先日、働いているところを見ました」

「そうじゃないわ!」


 静かな夜の庭に、ヴィオレットの声が響く。感情に任せて声を発したからだろう。

 ヴィオレットの頬は、少しだけ赤く染まっていた。


「私が言いたいのは……別の……」

「『不幸を呼ぶ女』、ですか?」


 ヴィオレットは、こくりと頷く。視界に、クラウディオは入れなかった。視線は、夜の庭へと向けられている。昼間なら、咲き誇る見事な薔薇が見えるだろうに。

 だがまぁ、頭上には素晴らしい星空が広がっているから、悪くはないと思う。


「私は、自分で見て判断します。貴女は確かに、王立図書館で働いていて、変わり者──という評価は受け入れました。ですが、もうひとつの呼び名は、いかんせん受け入れ難い」


 クラウディオの声は穏やかで、耳に心地いい。抑揚がなく淡々としていると思ったが、彼自身を視界から追い出すと、耳の精度が良くなったらしい。

 クラウディオの声には、優しさ、のようなものを感じた。嘘は言っていないと思う。

 ヴィオレットは恐る恐る、クラウディオを見てみた。深い緑色の瞳と、目が合う。


「貴女はどうですか? 私と結婚することに対して、何か思うことは?」

「……わからないわ」


 婚約は三度経験したが、結婚を意識したことは一度もなかった。

 そこまで辿り着かなかったのだ。花嫁衣装だって仕立てなかった。結婚とは夢見るもので、実現するものではない。少なくともヴィオレットにとって、結婚とはそういうもの。

 だからクラウディオとの将来なんて、想像したことはない。


「私は仕事ばかりで、世辞もろくに言えない、つまらない男です。私と結婚して、貴女が幸せになれるとは限らない。けれど、盾くらいにはなれると思います」

「盾?」

「貴女を守る盾、ですね。私と結婚すれば、貴女はあの呼び名を返上できる。違いますか?」


 ヴィオレットには正直、よくわからなかった。

 どうしてこの人は、こんなことを言うのかしら? 私達は、お互いをほとんど知らないというのに……。


「私を哀れんでいるんですか?」

「──ヴィオレット嬢。貴女は美しく、十分魅力的な女性だと思います。ただ、貴女に愛情を抱いているとは言えない」

「素直……ですわね」

「それと同様に、哀れみを抱いているとも言えません。ただ──貴女は侮辱されるような女性ではない」


 ヴィオレットはまた、視界からクラウディオを追い出した。多分、瞳が揺れている。涙が出てしまうかもしれない。


「結婚しませんか?」


 クラウディオの声が、耳に優しく響く。


「……この結婚で、貴方は何を得るんですか?」

「妻、ですね。結婚すれば、もう両親から結婚を急かされることはなくなります」

「……ですわね」


 ヴィオレットは顔を上げ、背筋をぴんと伸ばし、クラウディオと向き合った。紫色のドレスの裾がふわりと広がり、一瞬だけ、ヴィオレットの白い足首が見えた。


「不幸になっても、私のせいじゃありませんから」


 すみれ色の瞳で、緑色の瞳をジッと見つめ返す。気持ちはしっかりと、切り替えた。昔から、気持ちを切り替えるのは得意なのだ。

 まぁ、問題を考えず、頭の片隅に追いやる、という方法を無理矢理取っている、とも言えるのだが。

 どちらにせよ、この状況が悪いものじゃないことだけは、わかった。


「貴方と結婚します」


 その時、自分は笑っていたと思う。

 そしてクラウディオも笑っていて、ふたりの頭上には、素晴らしい星空が広がっていた。




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