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1.王立図書館の司書

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。

 王立図書館は、時が止まったかのような静寂に包まれていた。大きな窓からは午後の陽射しが差し込んでおり、ヴィオレットの黒髪を優しく照らしていた。

 ヴィオレットは返却された本を棚へ戻しながら、あることを思い出していた。自分はもうすぐ、十九になろうとしている。普通の貴族の娘ならば、とっくに結婚している年齢だ。

 十六で社交界デビューを済ませると、多くの令嬢が婚約をする。人によっては、社交界デビュー前に婚約者がいたりするが、大した差はない。

 そして、十八で結婚する。

 ラクリマ公爵アドルフ・ロンベルクの長女であるヴィオレットにも、当然ながら婚約者はいた。

 とても素晴らしい婚約者が、いたのだ。今はもう、いないけれど。


「──ヴィオレット」


 名前を呼ばれ、ヴィオレットはパッと顔を上げた。目の前には、自分と同じように髪をきっちり結い上げた先輩司書ダリアがいた。

 こちらを見つめ首を傾げているダリアの様子から察するに、きっと何度も声をかけていたのだろう。申し訳なく思いながら、ヴィオレットは微笑んでみせる。


「ごめんなさい。ボーッとしてました」

「みたいですね。貴女に来客ですよ」

「来客?」


 ヴィオレットが首を傾げると、ダリアはその来客について教えてくれた。


「貴女のお父様──ロンベルク公爵ですよ」


 お父様が来た──ですって?

 ヴィオレットはその瞬間、仕事を中断しなくちゃだわ、と思った。





 ヴィオレットの父アドルフは、王立図書館へ来るのを嫌がっていた。理由は単純。愛する娘が、労働者のように図書館で働いているからだ。


「はじめてですわね、お父様がここを訪ねて来たのは」


 ヴィオレットは応接間へ入ると、父親に向かってそう言った。

 アドルフは五十代にさしかかっており、深い黒髪には所々、白髪が混じり始めている。


「ヴィオ、座りなさい。今日はお前に、大事な話があって来たんだよ」


 優しい父親の声に、ヴィオレットはなんだかとても、嫌な予感がした。アドルフは娘に優しいのだが、ヴィオレットが図書館で司書として働くと言った時、それはもう激怒した。あんな父を見たのははじめてだったが、ヴィオレットは頑なに譲らなかった。親子関係は良好とは言えず、アドルフは未だに、ヴィオレットが働くことを認めてはいない。

 そんなアドルフが、自らここへ来た。娘が働く、王立図書館へ。


「話、ですか……?」


 ヴィオレットは向かいのソファに腰を下ろすと、真っ直ぐに父親を見据える。司書になると──働くと決めた時も、こうして父親と向かい合い、そして挑むような気持ちだった。


「フェスカ家を知っているな?」

「侯爵家、ですわね」


 アドルフは真剣な顔をしていた。

 ヴィオレットは、こんな顔をする父親を、何度も見てきたように思う。

 そう、三回だ。三回、見た。


「フェスカ侯爵にはふたりの息子がいるんだが、次男の方は今も独身だそうだ」


 その言葉だけで、どうしてアドルフがここへ来たのかがわかった。

 これはヴィオレットにとって四度目。四度目の、婚約の話だ。


「──お断りしますわ」

「まだ何も言っていないが?」

「いいえ、言いました。フェスカ侯爵家の次男は独身──そんなことを言うためだけに、お父様が来るはずありませんもの」


 ヴィオレットは立ち上がり、父親を見下ろす。

 どうしてお父様は、私を結婚させたいのかしら? それが当然だと? それが幸せだと?

 ヴィオレットには、わからなかった。アドルフが自分の幸せを願っていることはわかるのに、アドルフが自分の考えを理解してくれないのかが、どうしてもわからない。


「私が社交界でなんと呼ばれているか、お父様だってご存知でしょう? 『不幸を呼ぶ女』──そう呼ばれている女が四度目の婚約を成したところで、四度目の婚約破棄は目に見えております」

「自分をそのように卑下するものではない」

「事実を述べたまでです」


 ヴィオレットは落ち着いた声音と同様、心も落ち着いていた。

 司書として働き始めて一年経つが、その間、社交界には顔を出していない。上辺だけの浅い付き合いをするよりも、労働の対価として給料をもらった方がずっと有意義だ。両親もふたりの妹も、そんな考えのヴィオレットを変わり者だと思っているようだが。


「私は三度婚約しました。お父様とお母様が望んだ相手と、文句ひとつ言わず、婚約したんですよ。三度も。けどすべて、相手が不幸になって破棄されました。私はもう嫌なんです。社交界で噂されるのも、好奇の目で見られるのも」


 自分の気持ちを吐露しても、アドルフは困ったような顔をするだけだった。

 それが、ヴィオレットの心を沈ませる。


「ヴィオ。貴族とはそういうものだ」

「……私、司書として働き出して一年経ちました。ここでやっていけそうですし、そろそろ貸間フラットでも借りて、一人暮らしをしてみようかと思ってます」


 そう言った瞬間、アドルフは目を見開き立ち上がった。


貸間フラット! 一人暮らし! お前は労働者のようではなく、労働者そのものになるつもりなのか?!」


 アドルフは怒っている。

 これだけ大声を出せば、きっと外にも聞こえているだろう。貴族たるもの──というのが口癖の父が、外で声を荒げるなんて。

 よほど、ヴィオレットの『計画』がお気に召さなかったらしい。


「クラウディオ・フェスカは侯爵家の嫡男ではないが、子爵の地位を得ている。『王冠』の副官で財産もあり、将来性は十分にある」

「興味ありません」

「いいや、興味を持ってもらう。フェスカ侯爵は、この縁談に乗り気なのだよ。お前の社交界での噂など、気にも留めていない」


 アドルフは真剣で、そして声に力があった。彼は娘を愛するが故に、結婚相手は慎重に選んできた。公爵令嬢に釣り合う身分、人格、財産を持った男性を、三度の婚約破棄にめげることなくアドルフは探し続け、今、四度目の婚約者を見つけてきたのだ。


「明日、クラウディオを我が家の夕食に招いている。お前も出席するように」

「明日も仕事があります」

「異論は認めない。これは決定事項だ」


 アドルフは疲れたように前髪をかき上げると、どさっと大袈裟な音を立ててソファへ腰を下ろした。


「ヴィオ。……お前は美人で賢い──賢すぎるような気もするが、私には大切な娘だ。結婚して家庭を持ち、幸せになってもらいたい」


 私は今でも、十分幸せだわ──そう言いたかったが、これ以上父親を追い詰めるのは可哀想に思えた。

 ヴィオレットは黙ったまま、ただ表情で私は納得していませんから、とだけ伝えておいた。






 ひとり目は、隣国の王子だった。好条件ばかりの相手で、両親は嬉しそうだったし、ふたりの妹が嫉妬するほどの相手。

 けれど彼は、ヴィオレットと婚約してから、頻繁に体を壊すようになっていた。原因不明の高熱に偏頭痛、最後には食中毒で生死の境を彷徨った。

 それらすべての原因がヴィオレットにあると思えなかったが、婚約して半年、隣国からはとても丁寧な婚約解消の申し出が送られてきた。

 ふたり目は、自国の青年貴族だった。公爵家の嫡男で、王子には劣るが十分な財産と地位の持ち主。ロンベルク家は王家からの信頼も厚い歴史ある公爵家のため、相手側は実に光栄な話だと喜んでいた。

 だが、ヴィオレットと婚約して半年の間に、青年は何度も危険な目に遭った。階段から転げ落ち、噴水に誤って落ち、挙句、猛スピードの馬車に轢かれそうにもなったらしい。婚約破棄された時、青年貴族から告げられた言葉を、ヴィオレットは今でもよく覚えている。


「あの女のせいで、不幸になった! あの女は不幸を呼ぶ!!」


 感情に任せた、優しさの欠片もない言葉だった。

 とある貴族の夜会で、人目も憚らずに突き付けられた言葉と、一方的な婚約破棄。噂は太陽が昇るのを待てなかったのだろう。二度目の婚約破棄と、『不幸を呼ぶ女』という不名誉な呼び名は、一晩で国中の貴族の知るところとなった。

 王子とは婚約解消であり、正確には破棄ではないのだが、説明するのも面倒だったので、ヴィオレットは婚約を二度破棄された公爵令嬢、という肩書きを甘んじて受け入れることにした。

 そして、もう婚約者なんていらないわ、とも思った──のだが、両親は違ったらしい。

 三人目の婚約者を見つけてきたのだ。王族でもなければ、貴族でもない、ただ財産だけがある裕福な商家の青年だった。両親が──父親が妥協したのはわかったし、そうまでしても結婚させたかったのか、とも思った。

 しかし三度目の婚約も失敗に終わる。

 青年は、事業で失敗したのだ。実家である商家が困窮するほどの失敗ではなかったが、それが二度続き、貴族との繋がりを求めていた相手側も、ヴィオレットに関するあの噂を本気にし始めた。


「不幸を呼ぶ女」


 そしたらもう、お決まりの展開だった。

 ただ三度目の婚約破棄は、ヴィオレットの決意を固めるきっかけとなってくれた。三度も婚約破棄をされた──最初は婚約解消だけれど──、いかに公爵令嬢と言えど、誰が嫁にもらいたいと思うだろうか。『不幸を呼ぶ女』という不名誉な呼び名まで付いているのだ。

 ヴィオレットは結婚を諦め、働くことに決めた。昔から本は好きだったし、司書には憧れのような気持ちも抱いていたから、職選びに迷いはなかった。

 どうせ無理だという周囲の反対を押し切り、ヴィオレットは必死に努力し、見事、王立図書館の司書となった。本当は王都から離れた、田舎の小さな図書館でも良かったのだが、さすがに両親もそこまでは許してくれなかったので、ヴィオレットからすると妥協してあげたのよ、と言ってやりたいくらい。


「ヴィオレット。今日はもう帰ります?」


 過去を思い返していたヴィオレットに声をかけたのは、ダリアだった。ブルネットの髪は乱れなく結われ、緑色の瞳が心配するようにこちらを見ていた。


「いえ、最後までいます」

「そう? お父さんが来たから、ご実家で何かあったのかと思って」


 ダリアは三十代で、眼鏡をかけている。真面目そうな見た目を裏切らない、厳しい女性。働き始めた頃、ダリアは自分のことが嫌いなのでは? と思うくらいには、厳しかった。


「何か……はありました。けれど、早退するほどのことではありませんから」


 ヴィオレットは返却された本の背表紙を見て、それぞれ分けていく。本はジャンル別に分けているので、棚へ戻す時は背表紙に記載されている同じ番号の本同士を揃えておいた方がいい。


「聞かない方がいいのでしょう?」

「……そうですね。自分でも、整理できていない問題なので」


 ヴィオレットは微笑むと、仕事に集中することにした。無心になり、機械のように本を仕分けする。

 ダリアは無言で、その場から立ち去った。ヴィオレットの気持ちに気づいてくれた──そう思うことにする。


(──クラウディオ・フェスカ。どんな人だったかしら? 思い出せないわ……)


 人の顔と名前を覚えるのは得意。本棚の場所とかも、すぐに覚えられた。

 それなのに、クラウディオ・フェスカの顔がわからない。フェスカ家の名は知っている。武門の名家で、多くの優秀な騎士を輩出しているフェスカ家は、国王からの信頼も厚い。

 ヴィオレットが知っているのは、そこまで。昔から社交界に興味を抱いていなかったから、表面上だけの、誰でも知っているであろう情報くらいしか頭に入れていなかったせいだろう。

 つまりクラウディオ・フェスカがどういう人間なのかは、会ってみなければわからない、ということになる。


「四度目、になるのね」


 積み上げた本を抱えて、ヴィオレットは歩き出す。

 大きな窓から射し込む午後の陽射しを受け止めながら、ヴィオレットは思わずにはいられない。父親がようやく掴んだ希望は、すぐに消えてしまうだろう。

 だって自分は、『不幸を呼ぶ女』と呼ばれているのだから。

 どうせ今回も、相手からの婚約破棄で終わる。

 ……いつになったら、お父様は諦めるのかしら? 四度目? 五度目? あと何回、婚約を破棄されれば、お父様は諦めてくれるかしら。

 ヴィオレットは本を持ちすぎたことを後悔しながら、今度こそ意識を仕事へと向けた。




読んでいただき、ありがとうございます。

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