幽霊旅館へようこそ?
「なあ大さん。本当にこんなことしてちまっていいんですか?何だかバチが当たっちまいそうで俺は気乗りしないですよ。」
パソコン画面を覗き込む男が2人。
1人は青い顔をして明らかに動揺している。
対してもう1人は自信げに腕を組み何度も頷いた。
「もう後には引けねえ。これでいいんだ。」
そう言って男はエンターキーを押した。
画面には
『最恐の心霊スポット、幽霊の住む旅館へようこそ』とでかでかとタイトルがついたホームページが写っていた。
「ちょっと、お父さん!何これ!まさか本当にうちを心霊スポットにするつもり!?」
私は動揺とショックで頭がおかしくなりそうだった。
「仕方ないだろ。2月のお客は5人。3月はまだ0人なんだぞ。このままじゃ旅館潰すどころかお前も学校行けなくなるぞ。」
新聞を読みながら面倒くさそうに話す父の姿は、まさに残念な大人そのもの。
「だからって幽霊が出るだなんて嘘ついて、どうすんのよ!私ずっとここに住んでるけど幽霊なんか見たことないし、噂だってないじゃない!」
「見てみろ!世の中心霊ブームだ。お化けが出るって噂があるところには人が集まる。うまく行けばメディアの取材も入る。大丈夫、幸いうちは古い旅館だし雰囲気は十分怖い。後は適当に噂ばらまいとけば勝手に有名になるさ!」
自慢げに語る父の手には心霊スポット特集の雑誌が握られていた。
「与作さん何で止めてくれなかったの!?ずっと反対だったじゃん!」
私が産まれた頃からうちで住み込みの板前をしている与作さん。
料理の腕は確かだが、気弱で流されやすいのが玉にきず。
小心者の与作さんはホラー映画や心霊現象が大の苦手で、この企画が上がったときから猛反対していた。
「ごめんよ〜、花枝ちゃん。俺もギリギリまで反対したんだが最後は大さんが決めることだから。」
ため息混じりに笑う与作さん。
とっても良い人なんだが結局この人はいつだって父の言いなりだ。
「嫌だな〜。幽霊旅館の娘なんて。虐められたらお父さんのせいだからね!せっかく入りたかった高校に入れるのに。」
「高校生にもなって虐めるヤツなんか大した奴じゃないに決まってる。それにすぐにうちは人気旅館になるぞ。そしたらみんなお前に寄ってくるよ。」
悪い笑顔を浮かべた父がポンポンと私の頭を叩く。
「お母さん、なんか大変なことになったよ。」
私は写真の中で微笑む母に言った。
うちは母方の祖母の代から続く旅館、《花の屋》。
小さな旅館ではあったが、祖母の心を込めたおもてなしと腕の良い板前達の季節の料理が評判になり、じわじわと顧客を集めそれなりの人気旅館になった。
父は《花の屋》で修業をしていた板前見習いだった。
修業中の身にも関わらず、女将の娘である母と恋に落ち、遂には母は子供を身籠ってしまった。
当時の板長からこっ酷く叱られ、旅館を追い出される寸前で祖母が助けてくれた。
父の母への思いが本物であることを確かめた祖母は、母のこととお腹の中の子、つまり私のことを一生守り抜くという誓いを立てることで結婚を許したのだ。
祖母が他界した後は母が女将になった。
幼い頃から祖母の手伝いをしていた母は要領が良く、祖母に付いていた顧客も母を可愛がってくれた。
若くして女将になった母は美人女将としても評判を集め、母目当てでやってくるお客さんも多かった。
祖母が築いた開館当時からの太い顧客さん達、そして母が集めた、若い新規のお客さん達、どちらも《花の屋》を愛し、大切にしてくれた。
たくさんのお客さん達に支えられ《花の屋》は地元では名前が挙がる人気旅館になった。
しかし母が女将になって10年がたった頃、バイク事故に巻き込まれて死んでしまった。
38歳、女将としても、そして母親としても若すぎる死だった。
早すぎる、そして突然過ぎた母との別れは当時小学2年生だった私には到底受け止めきれないものだった。
私は学校に行けなくなり、部屋で鬱ぎ込むようになった。
そして祖母や母を慕っていた料理人や中居さん達は次々と旅館を去っていった。
当然のようにお客さんも離れていき、ついには私と父、板前の与作さん、中居のおばさんが2人以外は誰も居なくなってしまった。
愛する妻を亡くし、1人娘は鬱ぎ込み、周りの人はどんどん離れていく。
そんな状況に耐えきれなくなった父は酒に溺れ、自暴自棄になった。
毎日欠かさず研いでいた包丁を触るのを止め、板前として料理場に立つこともなくなった。
この頃の《花の屋》は滅多に客は来なかったが、たまに来る旅行客は、残ってくれた数少ない中居さんと与作さんが面倒を見てくれた。
そこには祖母が築いた、思いやり溢れる旅館の姿はなく、古く寂れた小さな旅館があるだけだった。