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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

引きこもりだけど、外にゾンビがうろついている/終末世界の歩き方。

社会不適合者たちは死地の中で

作者: 上野羽美

 ・・ここに、といってもウェブページ上なのだけれどこうやって文字に起こせることを誇りに思う。


 世界の各地で起こったあの惨劇から3年。あの事件は世界のあらゆる歴史の教科書で大々的に載るとは思うけど、そんな教科書には絶対に載らないもう一つの小さな事件があったことを僕がここに書き残す。願わくは多くの人に見てほしい。彼らが確かに生きていた証明に繋がるのだから。


 3年前の事件を知らない人はいないと思うけど、一応簡潔に記しておこう。あくまでも、僕の目線で。


 僕の国では新宿駅という世界的に見ても一日の利用者が一番多いとされる駅から事件が始まった。

 国外で感染した帰国者が駅構内で昏睡に陥ってから蘇生。あとは時間の経過ごとにネズミ算のように増えていったわけだ。 

 僕の国は国土が狭い上に人口が密集していて、交通機関がマヒしてしまえば逃げようにも逃げられない。おまけに銃を所持できない国と来た。感染は瞬く間に広がり、一瞬で現在の状態に近くなった。


 


 当時の僕は引きこもりだった。日本では珍しくない、どこにでもいる一般的な引きこもりだ。外部からの干渉を遮断して生きていたけど、ネット上だけでは繋がっていて、ある意味それがあったからこそ人間らしさをギリギリ保っていられたわけで、同時に完全な社会不適合者になった要因だった。


 僕が引きこもりだったことが幸いだったかどうかは分からないけど、一か月分予約していたアニメを数日にわたって一日中みていたおかげで僕は数日明けてから事件の全容を知った。


 知ったのは言わずもがなネットのおかげさ。


 僕の国で流行っていた匿名巨大掲示板のことは知っているかな?まぁ、この国でも似たような掲示板はあるから分からない人はだいたいそういうものと思っていてほしい。


 この大々的なアウトブレイクにネット住民の関心はさぞ高まっていることかと思いきや、そうでもなかった。

 理由は先述した通り、一瞬でこの国が死地と化したからだ。

 

 書き込みを見るにもう僕みたいな引きこもりしか生き残っていないようだった。外の様子は分からなかったからほかにも生きている人はいたかもしれない。もともとネットの海が僕の生活場所であり世界の全てだ。あの時は本当に引きこもりしか生きていないんだと思ってた。


 死んでるのに生きているのが感染者だとすれば、生きているのに死んでいるのが僕たち引きこもりだ。


 だとすればもはやあの地にちゃんと生きている人はいなかったのだと思っていた。


 

 そんなわけで引きこもりしかいない掲示板で引きこもり同士のやり取りや情報交換、励ましあいが行われた。よく便所の落書きと称されていたことがあったけど、少なくとも僕には希望の光であり、お互いの生存報告を糧にして明日も生きていくために食料や水のように彼らの書き込みは大切なものだった。


 前置きはここまで。そろそろ本題に入ろうか。


 事の始まりは一人のぼやきからだった。それこそ、便所の落書きのように毒にも薬にもならない一言だった。

「もう死にたいから最後に一緒に死んでくれる人はいない?」


 ネット事情を知らなければこれが大変な書き込みに思える人もいると思う。でもその掲示板じゃよくあることだったし、事件発生後からは頻繁に書き込まれるケースが多かった。事件の起こる前からこういう嘘も多かったし、第一、ネットの向こう側で本当に人が死んだかどうかなんて分かるわけもない。本当に死んだって何もおかしくない状況だったしね。

 だから誰一人として気にも留めずにいつもみたいに煽った。

「どうせ死ぬならせめて感染者を倒してから死んでくれないかな」って具合に。


 彼は煽られたことに対して非常に腹を立てていたようだった。いや、腹を立てているどころの様子ではなかった。

 罵詈雑言を浴びせ浴びせられの目も当てられないレスポンスのやり取りだったけど、彼の言っていることはところどころ支離滅裂で「彼は本当に来ているところまで来ているんじゃないか」と誰もが思った。


 時間が過ぎて煽る側もだんだんその姿を見せなくなるとようやく彼が落ち着きを取り戻し、自分の状況を説明し始めた。


 食料も水も残りわずかで、外を見れば屍が血をポタポタとアスファルトに垂らしながら歩いている。自分は足に障害を抱えていてまともに外にも出られない。飢えて死ぬか、奴らの飢えを満たして死ぬかを選択しろと神様が言っている。

 他にも誤字や脱字の多い泣き言恨み言を連ねて最後に彼が住んでいると思われる住所と「殺してくれ」の文字を打ち込むと彼はそれからスレッドに現れることはなかった。


 普段ならかまってちゃんの泣き言だと、笑って過ごす住民だったけれど今回は違った。散々煽って飽きた連中はもうこのスレッドを見てはいない。心のどこかで彼を理解しようとする人たちだけが彼の最後の書き込みを見ていたからだ。


 住民たちは試しに誰か行ってみないかと話し合った。住所に近い人たちが何人か名乗りをあげ、計画を立てた。聞けば名乗りを上げたのは20代から40代の男性数人で、いずれも社会的に弱者だった。無職や引きこもり、つまるところは以前の僕と同じような。


「別にもう死んだっていい」


 その中の誰かがそう書き込んだ。誰も何もレスポンスしなかったけど、きっと名乗りを上げた数人はこの言葉を深く刻み込んだことだろう。ひょっとしたら名乗りを上げた時点ですでに刻み込まれていたのかもしれない。 


 僕たちは彼らの動向を固唾を飲んで見守っていた。


 数日経ってからだったと思う。スレッドに画像のリンクが一つだけ貼られた。

 僕はそれを見ようかどうかURLの上でマウスカーソルをクルクル回しながら悩んでいた。


 あの頃の日本は、まぁ今でもそうなんだけど、至る所に死体が転がっている状況なだけに、たまたま殺せた感染者で面白半分に遊んで写真を撮ってアップさせたり、死体を積み上げて燃やす映像がアップされたり、中には感染者に食われる瞬間を捉えた映像まで出回った。

 聞いたことも無いような断末魔を上げながら顎を食いちぎられた女性がスマホのカメラに助けを求めようと腕を伸ばす映像は今でもたまに夢に出てくる。とにかくそんな異常で狂気すら感じ取られるショッキングな映像や画像がネット上に溢れていたんだ。


 僕は深呼吸をしたり水を飲んだりと前準備をしっかりして「どうか健全な写真でありますように」と願った。ちなみに僕は道徳的観点から言っているわけじゃない。単純に血が苦手だったんだ。


 結局クリックできないまま更新ボタンをひたすら押していた。


 十分くらい経ってURLに「よくやった」とレスポンスが付いた。

 僕はすぐさまURLをダブルクリックしたよ。


 写真には数人の、僕が言えた身分じゃないけどとても美形とは言えないような男たちと、その男たちに肩を抱えられて微笑む痩せこけた男が映っていた。

 男たちの服は返り血を浴びていて清潔とは言い難かったし、前述したように美形ではなかったけれど、今まで見たどの肖像画よりも凛として輝いていて、思わず画面の前で恍惚とした表情を浮かべていた。


 グロテスクな画像にビビっていた僕のような人間が大勢いたようで「よくやった」の書き込みからようやくすごい勢いでスレッドが盛り返した。

 僕も変なテンションになって一つ一つのレスポンスに言葉で返した。分かりやすく言えば画面の前で独り言ってことさ。普段飲まなかったけど、捨てる気になれなくて冷蔵庫の奥にあったビールを飲みながら一人ではしゃいでた。でもその時僕は一人じゃなかった。



 何度も言うようだけれど、日本はウイルスが瞬く間に感染して広がっていった。他国に負けず劣らずのネット社会だからパニックや恐怖までも瞬く間に感染して広がっていった。人々はほとんどが死に絶えて再び蘇り、国中を歩き回った。

 そういう事態に至ってからまさかこんな感情がネットを通して感染するとは思わなかった。


 感染したのは喜びだけじゃない。その勇気ある行動さえ、国中で感染していった。


「こんな不細工の社会不適合者たちにできて、俺たち不細工の社会不適合者にできないわけはないじゃないか」


 国中の社会不適合者たちがそれぞれの地域で集い、武器を手にし、人を救った。


 アップされる画像は誰が言ったわけでも無いが必ず生存者や仲間の笑顔だった。誰も頭を割られた感染者の画像を上げることは無かった。それが意味のないことだということは分かり切っていたからだ。

 今はただ生に縋りついていたい。なら自分は生きていると、仲間は生きていると、生きている人を救ったと証明する以外にすることは無かった。


 彼らが救った生存者は最初のように同士であるネット住民だけじゃない。籠城していた老人や、どうにか命をつないでいた小さな子供たち、中には家族に置いてかれたどこぞの飼い犬と写真を撮っていた人たちもいた。救った人たちは彼らが安全を確保できた場所で救助隊がくるまで匿われた。


 各地で行われた社会不適合者達の救助活動は言葉にすれば簡単なように聞こえてしまうが、もちろん彼らの中でも生きてスレッドに戻ることは無かった人たちもいた。だから全員で一度集合写真を撮ってスレッドにあげて、救助を終えたり、やむをえない理由で断念した場合にももう一度写真を上げて終いにした。締めの写真がしばらく上がらなければ全員で彼らに黙祷を捧げた。


 僕もそんな救助活動に参加したことがある。


 笑い話に聞こえるかもしれないけど、僕が血に濡れた木製のバットを持って集合場所に着いた時、場所を間違えたのかと思った。

 目の前に居るのは眉毛を剃って金髪に染めて、ジャージや派手な服を着て釘バットを肩に担ぐ僕たちとは違う方向での社会不適合者達。感染者と対峙した時より怖かったね。


 彼らは掲示板での出来事をまとめたサイトでこの活動を知って参加を決めたらしい。


 彼らは僕を快く迎え入れてくれた。それどころか立派な男だと肩を叩いて昔からの仲間のように接してくれた。


 あとで最初の集合写真をこのページにあげようかと思うけど、出来れば笑わないでほしい。もちろん写真の中で一人だけ浮いてるのが僕だ。笑顔がひきつっているけど気にしないでくれ。

 

 

 救助活動は想像を絶するほど厳しいものだった。本来訓練を受けた人たちが、適切な道具を用いて、適切な人員で、適切な指示を仰ぎながら行うものだ。素人が雑多な道具を手に取って少人数で指示も無いままに行うのはのっけから無理があった。


 僕自身何度か死にかけた。


 感染者に囲まれないのは大前提だ。多くの人はそれを経験したことがあるから分かると思うけどその大前提をクリアするのは容易じゃない。

 道端にゆらゆらと立って、自分の行く道を遮るのが感染者だと思っていた。だが現実は想定と大きく違う。

 世界の誰もが僕たちの敵として現れて、自分の進路や退路、回避するための道、あるいはそのどれでもない道にすべて蔓延って、全員が自分に殺意を向けるか、ひょっとしたら攻撃する意思も無い敵にいきなりどこからともなく刺されるような、そんな中で救助をしろと言われたらあの経験をしたことが無い人にもどれほど無謀か分かってもらえると思う。 


 立派な男たちに囲まれて安心しきっていた僕たちはあっという間に腐臭や内臓を垂れ流す感染者に囲まれた。

 それまでの安心感を一瞬で吹き飛ばす不気味なうめき声に屈強な男たちもすくみ上がっていた。じりじりと確実に距離を縮められ、自分の体の一部に噛みつかれぬように相手の頭だけを破壊するという強いプレッシャーが彼らを怖気づかせた。当然僕もそうだった。


 数十メートル離れた家の二階から若い女の子が叫んだ。助けてだったか、普通に叫んだのかそれは覚えてないけど、とにかく感染者の気を一瞬だけそらしてくれた。


「別にもう死んだっていい」

 

 僕は誰かの書き込みを頭に思い浮かべると誰よりも早く先陣を切って感染者の頭めがけてバットを振り下ろした。

 そこから先はよく覚えていない。なんだか怒号が周りで聞こえてみんなが半狂乱になって感染者をボコボコに殴っていた。


 あとから聞いた話なんだけど、怒号をあげていたのも半狂乱になっていたのも僕一人だけだったらしい。みんな若干引きながら逆に冷静になれて確実に感染者の頭を割っていったそうだ。お恥ずかしい話だ。


 僕たちがネットにあげた二枚目の写真には屈強でなんともガラの悪い笑顔の素敵な男たちと、血まみれで意気消沈した変な男と、僕の隣に立ったポニーテールの似合う女の子とその子の唯一の家族になってしまったおばあさんが写った。

 


 事件前の日本ではよく「ネットを通じたコミュニケーションのせいで人と人とのつながりがおろそかになっている」といわれていた。僕たち引きこもりはネットによる実際のコミュニケーションが不足したから生まれたのだと、そう言われていた。


 この件に関して僕は一つだけ言いたいことがある。


 繋がりをおろそかにしたことは今まで一切ない。確かにコミュニケーションをとるのは苦手だった。なのに僕は繋がりをおろそかにするどころか、ネットを通じて誰かと繋がろうとするくらい繋がりに対して必死だった。

 

 あの時、社会不適合者たちが何故人と繋がって、人を助けようと思ったのか疑問に思うだろう。


 正義感に駆られたから?人を本当に助けたいと思ったから?


 少なくとも僕は違った。


 ネットを通じてネット住民の生存を確認していた時。

 最初に行動を起こした社会不適合者たちが、助けた男と一緒に写った写真を見た時。

 無残にも散った仲間に祈りを捧げた時。

 勇気を出して死地に赴き、不良たちと写真を撮った時。

 恐怖に打ち震える彼女の手を僕が取った時。

 笑いあう仲間たちの中心で写真に写った時。


 僕はネットの向こうや、傍にいる人の存在に希望の光を見出していたからだ。


 生きながらにして死んでいたとずっと自分で思っていた社会不適合者たちは、他の人たちが生きているという理由だけで地に足付いて、腕をしっかりと振り、感染者としてではなく一人の意志を持った人間として歩いていたのだと、あの匿名掲示板の一件でようやく理解したのだと思う。



 僕は今、ペンシルバニアの片田舎に建てた小さな家からこのページを書いている。

 こうやって小さな、けれど勇敢な事実を書き残すことができるのも、新しい家族とともに新しい日々を過ごせるのも、すべて匿名の掲示板にいた匿名の社会不適合者たちのおかげだ。

 彼らが今どうしているのかは分からないけど、「締めの写真」に写ったあの時の笑顔のままで過ごしてくれていることを切に願う。


 僕もあの時の匿名のうちの一人だから、あえて名前を残すことはしない。匿名のままで僕はいい。

 

 でも最後に、本当の締めとして写真を一枚あげておこう。ポニーテールのよく似合う妻とわが家の新しい未来を担う息子の写真を。

 

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[良い点] 面白かった
[良い点] 引きこもりを読んでちょっとブルーな気分だったので、なんだか救われました。 [一言] 短編で細かい描写を省かれた中で、とても深みのある内容に感心しました。 偉そうなコメントですが。 他の作品…
[一言] 「引きこもり」を読んだ直後にこちらも読みました ちゃんと守れたんですね……良かった
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