鵜堂探偵事務所
コンビニと不動産屋のビルの間に、車がギリギリ通れるくらいの小道がある。
その奥の、さらに建物に囲まれて人目に付きづらいスペースに探偵事務所はあった。
簡素な4階建てのオフィスビルで1階部分はシャッターが閉まった車庫兼倉庫、2階が事務所、3階と4階が資料室となっている。
こんな立地だが表に看板の類は一切ない。
商売っ気がない訳ではなく、紹介もなしにここを訪れる者はほぼ皆無だからだ。
「へえ、こんなとこにね。全然気付かなかった」
「ここの2階だよ、さあ」
シャッター横の、重いガラス製のドアを開け、階段を先導する。
人がやっと擦れ違える程度の薄暗い階段を上り、その先の短い廊下の突き当たりに、スモークガラスのはめられたドアがあった。
鵜堂探偵事務所とプレートが貼ってある。
俺はノックし、顔だけ入れると、
「先生、連絡した一歳さんをお連れしました」
「ああ。中へ」
先生の許可を得て、俺は一歳を招き入れた。
事務所の内装はいたってシンプル。
左の壁にはファイルの入ったキャビネットが並び、右のパーテションで区切られたスペースには、依頼者の相談に使うソファセットがある。
その部屋の奥のデスクに探偵はいた。
「ようこそ、鵜堂探偵事務所へ」
先生──鵜堂は颯爽と立った。
颯爽と言う表現が彼には実によく似合う。
シックな黒のスーツ、ダークブルーのシャツ、グレーのネクタイと、そつのないモデルのような着こなし。
外出時には、これに黒い中折れ帽子がつく。
探偵と聞いて想像する姿はさまざまだろうが、彼はスタイリッシュなタイプと言える。
長身で外見の年齢は20代半ばくらい。
くらいと推定なのは、俺が先生の素性をよく知らされていないからだ。
髪はナチュラルなウルフヘア。
美形の一言ではとても言い尽くせない、端正が過ぎた顔立ち。
その中で、鋭い洞察力を持った双眸が猛禽めいた光を宿している。
日本人離れした──日本人なのかどうかも定かではないが──彫りの深い、誰もが感嘆の息を漏らすほどの美青年で、初対面では性別を問わず見とれる者も多い。
しかし一歳はと言うと、まったく動じずに先生へと歩み寄った。
美男と美女は同じ属性だからぶつかっても反応が薄いのかな、などと思い付きでよく分からない理屈を考える。
「はじめまして、一歳千歳です。お世話になります」
「はじめまして、魔術師探偵の鵜堂左京です。彼から話は聞いていますよ、一歳さん」
俺はいつも通り、右奥のミニキッチンでコーヒーの準備に取り掛かった。
どうぞ、と着席を促す声が聞こえる。
2人はソファセットに向かい合って座ったようだ。
「魔術師探偵とは変わった肩書きですね。副業でマジシャンでもされているとか?」
「いいえ、奇術師ではなく僕は魔術師です。巷では術者や魔法使いなど呼称はさまざまですが、杖を振り、魔法陣を描き、呪文を唱える。僕はあの魔術師です」
魔術師、魔法使いと聞けば、誰でも何かしらのキャラクターが1人は思い浮かぶだろう。
そんな数多の創作物で架空の魔術師が活躍する現代において、こんな説明をするのは下手な冗談のようで憚られるが、ここは断言しよう。
探偵鵜堂左京は魔術師である。
前者にあえて架空と付けたのは、彼がフィクションではない本物だからだ。
人は肉体・精神体・魂の3つが薄いフィルムのように重なって成り立っていると言われ、希に精神体から強力なエネルギーを生み出せる、常人離れした人種がいる。
その中でも特定の体系に学び、魔力や霊力などと呼ばれる力を生み出し、任意の術を発揮できる者を魔術師と呼ぶ。
実際、流派や洋の東西などで呼び方は千差万別なのだが、それらのアバウトな総称として「魔術師」の呼称が用いられているのだ。
そんな彼ら彼女らは正体を隠しながら、この広い世間のどこにでも存在している。
が、そのわりに魔術は一般に知られていない。
それは「魔術は秘するもの」という大昔からの通念と、力を悪用する者は特定の組織から罰せられる暗黙の掟があるからで、普段はひっそりと活動しているからだ。
そのためか、探偵といったこの手の業界、つまりグレーと黒が交差する世界にはそういった特殊な人材が集まりやすいらしい。
現に先生も、魔術を用いて数多の怪事件に挑み、解決してきたこの道の玄人だ。
反社会的勢力が牛耳る界隈を裏社会などと呼ぶが、こちらの業界はそちらとは別の意味で、常識や理屈とは掛け離れた裏の社会だと言えるかもしれない。
そんな怪力乱神、複雑怪奇、奇妙奇天烈が行き来する世界なだけに──。
俺のように予備知識があるならまだしも、一般人の彼女相手にあんな自己紹介をしたら、胡散臭さがストップ高になるだけではないだろうか。
俺の危惧をよそに、先生は説明を続ける。
「僕の専門は怪現象で、心霊関係や超常的な怪異、俗に超能力者と呼ばれる異能力者などに関連したトラブル解消が主な仕事です。近年では信仰を失って零落し、凶暴化した土着神の撃退なんてケースもありますね。この辺りは都市伝説として流布されていて……ネットロアで1度は耳にしたことがあるでしょう、田舎で突然得体の知れないモノに追われて逃げるという筋立ての話を。あの類ですよ」
俺はインスタントコーヒーとアソートのクッキーを一歳に出すと、先生の隣に座った。
「それらと対峙し、祓い鎮めるのも知識と力を持った魔術師の為せる業です。拝み屋と似ていますが、探偵業という形で多岐に亘って請け負っているのがうちという訳です」
はあ、と一歳は少し硬い表情で何とも言えないリアクションをした。
まあ、そう言う他ないだろう。
「彼の報告を聞いての判断ですが、類似した事例は何件もありましてね。あなたを襲ったという、口だけの姿で現れたモノの正体は既にほぼ断定できています。それは」
「あの、先生」
「なんだね、今から説明を」
「あの、そんなふうにまくしたてたら、一歳さんにドン引きされるんじゃ」
「何故だい? 彼女には十分通じていると思うが」
確かな根拠はあるとその目が言っている。
何を理由に?
「いやだって、いつも初めて来た人にはまず事細かに説明するじゃないですか、分かってもらえるまでじっくりと。なのに今日はさらっと流して。さも当たり前のように「魔術師」なんて言われても、俺たちと違って普通の人には何のことだか」
「普通の人? なんだ、君はまだ気付いていなかったのか。僕はてっきり、君が彼女の全てを察した上で連絡をよこしたものだと思っていたんだが」
察した? 何をだ?
鷹のような目が、首を傾げる俺から一歳へと戻った。
「魔術師に類するものをご存知のはずですよね? ──あの、一歳の血筋のあなたなら」
一歳の血筋?
問われた一歳は間を置くように、美しい所作でソーサーを持ってカップを口に運ぶと、音を立てずテーブルに戻した。
「一般人のふりをして少し様子見しようと思っていたのですが、やはりこの道のプロでうちの名前を知らない方はいないんですね」
「この世界にいて一歳家を知らないようでは、もぐりと言っていい。それほど力のある一族ですから」
「ということは当然、一族での私の境遇もご存知ですよね」
「ええ。ですが我が探偵事務所は困っている方はどのような立場であろうとも分け隔てなく相談をお請けしますので。他の同業者と違って門前払いなどしませんから、ご安心ください」
「……こうして招いてくださったことに感謝します」
境遇? 同業者の門前払い? なんのことだ?
理由は分からないが、一歳の表情が雲が晴れたように安堵のものとなった。
「ところで一歳千歳さん、まず彼に、あなたの素性を教えてもよろしいですね? 依頼を受ける以上、プロフィールを知らねばなりませんので」
彼女は長いまつ毛の瞳で俺を一瞥してから、
「どうぞ、結構です。下手に話してもややこしくなると思って伏せていただけですから」
初対面なのに、示し合わせたように2人の間でやり取りが成立している。
急に俺1人、蚊帳の外に蹴り出された気分だ。
「え、なに? 先生、一歳さんに何か特別なことでもあるんですか?」
置いてけぼりの俺を、先生は不出来な弟子でも見るような目で見る。
「以前君に、名家として名高い、日本の代表的な術者の家系がいくつかあると話したことがあったろう」
「ああ、はい。どこも古くから強い影響力を持っていて、いくつも分家があって。恒河沙家、北門島家、御御御家、あと1つは──あっ」
「そう、一歳家だ。彼女はその宗家の直系、魔術師の血筋の生まれなのだよ」