学校を出て
俺が生まれ育った十柄市は郊外に里山のある地方都市だ。
街を横断する国道沿いには地元で目印にされる大手ショッピングモールがデンと構え、ロードサイド店舗には全国チェーン店が並んでいる。
スーパーやコンビニも過不足はない。
街中に目をやると、シャッター通りや空き物件の目立つテナントビルといった不景気の悲哀も目に付くが、それらも含めて日本中でよく見掛けるありふれた風景と言えるだろう。
緑は多いが都市設備や交通の便はそれなりに整っていて、こうして街中を歩いていても、まあまあ住みやすい街なんじゃないかなと評価できる。
規模では大都市に劣るかもしれないが、少なくとも侮蔑的な意味での田舎町とは言われないはずだ。
と、いちいち都会を引き合いに出して意識するのは地方民が持つコンプレックスの表れだろうか。
まあ、どうあがいても片田舎だからなここ。
絶賛はしないが、貶されたら気分を害する。
くらいには、俺はこの故郷に愛着があった。
そんな街の街路樹が並ぶ歩道を、俺と一歳はスクールバッグを肩に、一緒に歩いていた。
俺が高嶺の花とされる彼女と並んで歩くなんて、こんなきっかけでもなければまず有り得ない。
クラス内、いや校内ヒエラルキーでも最上層と最下層に当たり、まさに天と地。
ことわざなら月とすっぽんといったところか。
言わば今この瞬間は、惑星と水棲生物が連れ立って歩いているに等しい、世にも奇異な光景なわけだ。
あれから間もなく屋上を出た俺たちは、5時限目のチャイムが鳴る前には校門を出ていた。
「俺は友達に早退の伝言を頼んだけど、担任には何て言って来たの?」
「ただ、具合が良くないって。そしたら無理せず帰りなさいって向こうから気を遣ってくれたわ」
「ああだこうだ言われる俺とは大違いだ」
「優等生として先生方から得てる信頼の差よ。それに私、体調不良を理由にわりと早退してるし」
一歳は時々ポツポツと早退する。
本来なら誉められたことではないが、そのか弱さと儚さが良い、などと言われて美点にされている。
美少女は何から何まで得だ。
「あっ、それって屋上で言ってた障りのせいで体調を崩してたってこと?」
「え? 違う違う。たまにはあるけど、さすがにそこまで頻繁にはないから」
なら、なんで目立つほど早退してるんだ?
本当に体が弱いのか、それとも男の俺にはよく分からないが、女子特有の毎月のこととか?
あるいは、まさか──
「一歳さん、さっき屋上で、あまりにも自然に「サボる」ってワードを出してたよね? 実は普段から結構なサボり魔だったりするんじゃ」
「さあ、どうかしら? でも早退として正式な手続きを済ませて学校を出たなら、それはサボりじゃなくて、あくまで早退でしょ? 仮に、万が一、もしもの話、私が仮病を使ってたとしても」
一歳はしれっと言った。
高尚な盗みの美学を説いて、己の窃盗を正当化する怪盗のように。
この罪悪感の欠片さえ消え去った、手慣れた感じ。
こいつ、実は──。
「そう言う井神君、あなたも休みや遅刻が多かったりしない?」
「それは、この仕事で夜遅くなったり、急に遠出もあったりするから」
「バイトに精を出して本分の学業を疎かにするのは、学生として宜しくないわね」
「そりゃ尤もだけど、サボりの常習犯に言われてもな」
「常習犯? 何の話かまったく分からないけど、私は成績はキープしてるから。井神君は? 補習ぎりぎり、なんて会話を耳にしたことがあるんだけど」
ぐうの音も出ない。
テストの上位5位以内には必ず彼女の名前がある。
それにひきかえ俺は。
「俺はまあ、学校ではぼんくらだと思われてるからなあ」
「そうね。そのぼんくらと定評のあるあなたに秘密を見られたと思って、絡まれる前にビビらせて追っ払うつもりで投げてみたの。井神君はものの見事に転がったけど、話も思わぬ方向に転がったわね。これがホントの、災い転じて福と成す、というやつ」
「災いが降りかかったのも転がったのも、俺だけじゃないか」
「あら、じゃあ私は福だけもらえて丸儲けね」
一歳は口元に手を添え、お上品にコロコロと笑った。
そんな演技っぽい仕草も様になっている。
しかし。
脅して口封じしようって発想は不良のものだろう。
だいたい、投げてみたのって、気分転換にちょっと髪型変えてみたの、みたいな軽いトーンで言うことか。
そもそも目の前の相手を「投げる」という判断は、格ゲーの攻防の中でしか出てこない選択だろうに。
初っぱなから彼女の常識を疑いたくなる。
それと、ぼんくらという蔑称は他人に言われると思ったより心が痛むな。
「で、そのバイト先──事務所にさっき連絡してたみたいだけど、私の名前も症状も全部聞いたうえで会ってくれるって言ったのよね? その探偵さん」
「うん、うちは基本的に誰が相手でも断らないから。何も心配せずに来てほしいって」
「そう。安心した」
一歳はやたら上機嫌そうに頷いた。
「先生は普段出張が多いんだけど、今日はちょうど話を聞ける時間があったみたいで。まさに善は急げだ」
「先生ねえ。探偵って意外と忙しいんだ。どういうお客が相手なの?」
「ほとんどは不可解な現象に悩まされて、色々頼って最終的にうちに辿り着いたって感じの人達かな。あと事件絡みで警察のオブザーバーをやることもある。その他の依頼者は、魔術師──」
「まじゅつし?」
「あ、いやあの、間違えた、そうじゃなくて占い師みたいな相談事とか、かな」
俺は慌てて取り繕った。
何の説明もせず、ありのまま業務内容や客層を語ったとしても、一般人にすぐ分かってもらえる仕事ではない。
よく言葉を選び、段階を踏んで説明し、ようやくうちがどういう事務所なのかに理解が及ぶ。
だから俺がここで下手に話すより、弁の立つ先生からのほうが彼女に伝わりやすいだろう。
不自然に言い換えた俺を深く追究したりせず、一歳は口元に笑みを浮かべていた。
「その先生? 怪現象を専門に取り扱ってる不思議探偵さん、一体どんな人なのかしら。眼球から体が生えてる父親が一緒にいたりしたら、どうしましょう」
「うちの事務所は木の上にないし、先生は下駄もちゃんちゃんこも身に付けてないよ」
冗談が通じたことに気を良くしたのか、一歳はふふふと笑った。
この短時間で、俺の中にあった一歳のイメージが崩れた。
決して悪い意味だけではなく。
突然人を投げたり授業をサボタージュしたりと予想以上に強かではあったが、今は近寄りがたい雰囲気を感じない。
それは彼女が意外に饒舌だったことにも由来していると思う。
これらは日々澄ましている姿からは想像も及ばなかった。
「一歳さん、わりとよく喋るんだね。もっとこう、クールでドライな人かと思ってた」
「クールでドライって、人の性格をエアコンの設定みたいに言わないでよ」
そもそもの話、俺は一歳千歳の実像を何も知らないのだ。
実はまともに口をきいたのも今日が初めて。知っているのは高校における周囲の評価と印象だけ。
それを元に彼女の内面を想像し、偶像という姿形を組み立て、非の打ち所のない優等生というレッテルを勝手に貼り付けて、それらしくカテゴライズしていただけだ。
一歳千歳はきっと、基本的には同世代と変わらない等身大の少女なのだろう。
怪現象になれっこ、なんて極めて特異なところを除けばだが。
あえてその点についてだけ言及すれば、彼女はやはり普通ではないのかもしれない。
怪奇現象の専門家に会う、ともなれば、誰もがまず未経験だから一様に不安がるものだが。
彼女は会うのを楽しみにしているようだ。
「怪現象の相談に行くのに、なんか楽しそうだね」
「おかしい?」
「そうは言わないけど。今まで見てきた人達は大抵困り果てて、色々と抱え込んで助けを求めてきたし、俺も怪現象のせいで塞ぎ込んでた時期があったからさ。普通は暗めのリアクションをするんじゃないかと思って」
「その怪現象からやっと解放される期待の表れ、だとすれば、浮かれるのだって普通の反応でしょ?」
「そう捉えればそうだけど。でもなんていうか、ずっと探してた商品を入荷してる店をようやく見つけた、みたいな雰囲気でさ。なんだか足取りも軽やかで、他の人とはちょっと変わってるなって」
「ま、不思議探偵の助手がそう感じるなら、私は変わってるほうなのね。そんなところで働いてるなら、変わり者なんて山ほど見てきてるでしょうし」
「まあ、そりゃね。依頼人は別としても、うちの関係者ときたら、色んな意味で普通じゃない、特殊な変わり者ばかりだから」
「ふーん、特殊なねえ。なら、そういうあなたもさぞかし普通じゃない変わり者なんでしょうね?」
突然、一歳がグッと顔を近づけて来る。
はっきりした目鼻立ちが、可愛らしい唇が、すぐそばに来て。
整い過ぎた顔は圧を感じるほどの魅力を放っていて、何かの魔法にかけられたようにドギマギしてしまう。
「え、それ、どういう意味?」
「………ううん、別に」
何かを見透かすような目に、ふっと笑みを湛えると、
「あなたのいう先生に会えるの、とても楽しみ。私、初めて当たりを引けたみたいだから」
「当たり? うん、先生は怪現象を幅広く網羅する腕利きのプロだよ。それじゃ早速会ってもらおうかな」
俺は事務所が近いことを示唆した。