スカートの中の異変
「は? なに突然。怪異? あなた、人から妄想癖を疑われたり、厨二病だって指摘されたことあるんじゃない?」
妄想癖? 厨二病?
まったく、何を言い出すかと思えば。
どちらもあるが、今では以前より大分改善されている。
恥ずかしくない学校生活を送れる程度には。
いや、俺個人の黒歴史などこの件には関係ない。
「これは妄想や作り話じゃない。なぜそう言い切れるかって、俺はその被害者たちをこの目で何人も見てきたんだ」
「え……?」
「なにより、俺自身が怪異に遭って死にかけた経験があるからだよ」
「ちょっと……なに、どういうこと?」
「何年も前、俺は凶悪な怪異にやられて生死の境をさまよった。もう手の施しようがないってとき、その道の専門家が駆け付けてくれて、なんとか一命を取り止めることができたんだ」
「専門家?」
「怪異対策のプロだよ。それから色々とあって、今その人の仕事を手伝ってる。まだバイト扱いのアシスタントだけど、俺は不可思議な現象に苦しむ人を何人も見てきた……」
今まで携わった仕事では、常識で語り尽くせぬ経験を何度もしてきた。
その大部分は、怪現象に苦悩する人たちに寄り添い、つらい顛末を見るものだった。
だから──
「一歳さん、俺はただ君を助けたいだけなんだ。君もホントは、助けが欲しいんじゃないのか?」
俺は訴えかけた。
彼女の本心を射抜くように。
今までの偽りの戯れ言を諭すかのように。
こちらの本意が芯まで届いたのか、一歳はパチパチと目をしばたたかせた。
「……助け、って」
「今言ったその人なら、一歳さんのそれに対処できると思う。いや、先生なら必ずできるはずだ」
ついさっきまで俺を睨んでいた瞳が、微かに震え出した。
すれ違いはあったが、とりあえず脚の件のアプローチにはこぎ付けられたか。
「突然こんな話を信じろってほうがおかしいけど、嘘じゃないんだ。証拠になるか分からないけど、ほら」
俺は少々もたつきながらポケットから出した名刺を手渡した。
一歳は眉を寄せて、
「怪異・怪現象専門、鵜堂探偵事務所」
と音読するとベンチに座った。
「……言っては悪いけど、いえ、あえて言うけど……胡散臭さをそのまま印刷したような名刺ね。これが?」
「ああ。うちの探偵事務所は専ら、普通では手が付けられないような超常的な事件を取り扱ってる」
どこをどう切り取って説明しても彼女の感想通りになってしまうが、何一つ嘘は言っていない!
そう力説したい俺を、一歳は真贋を見定める目で見据えてくる。
「怪異専門って、普通探偵は素行調査とか、祟りを恐れる寒村とか名家の遺産相続で起こった連続殺人を推理するのが仕事じゃないの? こう、湖から両足が突き出てる系の」
「よそは知らないけど、うちは世間でオカルトって呼ばれるものが専門なんだ」
「だから私を事件の1つとして扱うってこと?」
「ずばり、そういうことだよ。うちは症状に関係なく、困ってる人は誰でも分け隔てなく受け入れて、相談に乗るんだ」
「誰でも? それ、ホント?」
「うん、一歳さんの解決法も見つかると思う。この話、信じてもらえるかな」
一歳は微かに逡巡を見せながら、名刺を裏返したりした後、
「……さすがに、こんな小道具を準備してまで作り話をしには来ないわよね」
「それじゃあ、信じてもらえるんだね」
「……信じるも何も、現に私の脚は「怪現象」としか呼べない状態になってるわけだし」
再び立った一歳は自らスカートをめくり、頑なに拒否していた脚を見せた。
左の太ももが透明になり、欠けていた。
やはり見間違えなどではなかった。
一先ず話が通じ、彼女がすぐ納得してくれたことに安堵する。
怪現象にさらされた者に事情を説明しても、大抵は理解されずに不審がられる。
だが彼女は俺の言葉を、拍子抜けするくらいすんなりと受け入れてくれた。
頼んでおいてなんだが、結構あっさり信じてくれたな、というのが正直な感想だった。
彼女はまた腰を下ろし、少し俯いて沈黙した。
何を考えているのかは察せない。
が、その両目の奥は感情でゆらゆら揺れているようにも見えた。
それから、ややあって、
「そうね……あんな化け物とやり合うなら、やっぱりその道のプロに頼まないと」
「化け物? 何があったのか、分かることだけでも教えてほしい」
俺は隣に座った。
恐らく特ダネを聞き付けた事件記者みたいな顔をして。
「食い付かれたのよ」
「食い付かれた?」
「夜道で突然、目の前に大きな口が現れたの。牙がずらっと並んでて、1.5メートルはあったと思う」
「口……それって、口だけの姿で出てきたってこと?」
「そう、肉食獣の開かれた口だけが宙に浮いてるような感じで……何か覚えがあるの?」
「え、あ、いや……話を続けて」
俺はあえて明言せず、説明を促した。
「私はそれを見て、本能的に逃げ出したの。まあ普通、そんなものが現れたら誰だって逃げるわよね。そこで振り向いて駆け出したとき、脚の後ろに痛みが走って」
「太ももを噛まれた?」
「そう思って倒れこんだら、そいつが丸飲みにでもするように大口を開けて迫ってきて。逃げなきゃ終わりだって飛び起きて、もう走って走って、息切れしたことに気付かないくらい走って逃げたの」
さぞ怖かったのだろう。
息も止まるほど必死だったに違いない。
「しばらく走って、物影に隠れて。助けを呼ぼうにも相手があれじゃ警察も呼べないし……。そこで傷を確認したときはミミズ腫れになってるだけで痛みも引いてたんだけど、家に逃げ帰った頃には赤みが脚を1周する形で広がってた。一晩経ったら透け始めて、時間が経つにつれて幅が広がっていって」
やがて、すっぽりと抜き取られたように脚が透明になったのか。
「それはいつのこと? 昨日?」
「いえ、半月前よ」
「半月!? そんなに前に?」
ちょうどその頃、彼女が数日欠席した覚えがある。
でもその後は普通に学校に来ていた。
今日だって、ついさっきまで平然としていたし。
未知の恐怖体験だったろうに、一歳はたった数日でその事態を飲み込んだのか?
「なんでこの女普通に学校きてんだ? って顔してるから先に答えるけど、私、この手の怪異? ってものにはわりと慣れっこなのよ」
「慣れっこ?」
「ええ、小さい頃からよくお化けみたいなものを見てね。睨まれたり威嚇されて。そのたびに熱が出たり、身体中が痛んだり、それこそ数えるのも嫌になるくらい経験してきたの」
「ああ、いわゆる視える人なんだ。そういう人は怪異を引き寄せて、障りっていう悪影響を受けやすい体質が多いんだけど、一歳さんもそうなのかな?」
「なのかなって、そんなの私に聞かれたって知らないから」
「そりゃそうか。今までは障りをどうやって対処してきたの?」
「親にありのまま話したら病院に連れていかれて、脳外科か精神科をすすめられて、オカルト系に頼ればインチキ霊能者や霊験あらたかな水だの石ころだのを売ろうとする奴らばっかり。だから、毎回寝てただけ」
「寝てただけ?」
「そ、体調不良ってことにしてね。いつもはすぐ治ってやり過ごせてたんだけど、今回は治る目処が全然立たなくて。あんな大きなお化けもはじめてだし、結構参ってたの」
そりゃあ参るだろう。参らないわけがない。
俺なんて初めて怪現象に遭ったときは、回復した後もしばらく引き籠って寝込むほどだったのに。
一体どんだけ精神的にタフなんだ。
「ねえ、その探偵事務所はどこにあるの? バイト先ってことはそう遠くではないんでしょ?」
「あ、ああ、街中にあるんだ。ちょっと、いやすごく分かりづらいところなんだけど」
「そう、なら案内して。今から行く」
「い、今から?」
「そうよ、善は急げって言うでしょ」
「いや、でも、午後の授業は」
「大丈夫よ、サボればいんだから」
優等生の顔をして、一歳はたしかにそう言った。




