昼休み
昼休み、パンとパックジュースを確保するとその足で急ぎ屋上へ向かった。
フェンスで囲まれた屋上は閉鎖されていたが、いつの頃からかドアが開くようになり、一歳は特別な用事でもなければ大抵そこで昼休みを過ごしていると聞いていた。
ギイと鳴く重いドアを開けると、彼女はいた。
春の柔らかな陽の下、古ぼけた色のベンチに腰掛け、膝に敷いたランチョンマットの上で弁当を開いている。
無機な屋上で1人過ごす彼女の姿は、さながら荒涼とした地で孤高に咲く一輪の花。
彩りに乏しい場所が逆にミスマッチしている。
俺はザラつくコンクリートに踏み出すと、2メートルほどの距離まで歩み寄った。
美少女はどこにいても絵になるものだな、などと思いながらその場でたっぷり8秒は見とれていたと思う。
「──何か用?」
箸を止めて、彼女は面倒臭そうに言った。
突如現れた、クラスメートという貧弱な接点だけの俺を、愛想よく受け入れる云われはどこにもない。
「さっきの休み時間はぶつかってごめん」
「……ええ、気にしないで」
彼女はさっそく目を逸らす。
さっさと回れ右しろ、とでも言いたげに。
「それであのときさ、俺、なんか奇妙なものが見えたんだよね」
「奇妙? 私、奇抜な下着は付けてないつもりだけど」
「あ、それはその、ごめん」
不可抗力とはいえ、下着もしっかり見ていたのだ。
デリカシーとして一応は謝っておくべきだろう。
「あの、いや、それはそれとして。奇妙な光景を確かにこの目で見たんだ」
「人のスカートの中を奇妙奇妙って失礼ね。何を言ってるのかよく分からないけど、ぶつかって驚いた拍子におかしな見違えでもしたんでしょ」
「いいや、あれは見間違えなんかじゃない。おかしいと言うなら、君の、それのほうだ」
俺はあえて彼女の肩の辺りを指さした。
「なに? 私の脚はどこもおかしくなんて」
「一歳さん、俺は脚なんて一言も言ってないよ?」
少し意地悪だが、語るに落ちる形になったか。
脚に自覚があるのは間違いない。
「俺見たんだ。君の左の太ももの辺り──透明になってるよね」
透明に──なっていたのだ。
赤く腫れていたわけでも青アザになっていたでもなく、脚が透明に。
まるでダルマ落としですっぽりと抜かれたかのように、縦5センチほどの幅で太ももが完全に消失していて、その断面は肌と同じ色をしていた。
俺の言葉を聞くと一歳は、弁当箱をそっと横に置き、立ち上がった。
長い髪が春を感じさせる5月の風を孕み、輝いて、さらさらと流れる。
手を通したら、さぞ心地よいことだろう。
「透明? 透明ってなに? 私の脚がスケルトン仕様になってるとでも言うつもり?」
「そんな限定版の腕時計みたいに言わなくても。俺はただ、それを確認させてもらいたいだけで」
「確認って、まさかここでスカートを捲って脚を見せろとでも言いに来たわけ?」
「そ、そう言われたらそうなんだけど……。でも俺は別に疚しい目的で言ってるんじゃなくて、それに女の子の秘密が詰まった空間を無理矢理暴いて詳らかにしようなんてつもりはまったく」
弁解しながら何気なく近寄って手を伸ばす。
もちろんフレンドリーな意味で。
それが彼女の不可侵のテリトリーを侵したのか。
手首をグッと掴まれ、もう一方の手も添えられる。
一歳が半歩踏み込むと重心をたやすく動かされて、
「あれ、ちょっ、待っ、あ」
視界が傾き、天地が逆転し、
次の瞬間には
俺はその場に投げ転がされていた。
「……おおぅ」
尻を痛打し、すぐには立てない。
ラップ包装のマヨ唐揚げサンドの安否が確認できた頃には、俺は彼女にチンピラを蹴散らすほどの護身術の心得があるという噂を思い出していた。
「うう……俺、投げられるようなことした……?」
「私は今、スカートの中に興味津々で屋上まで追ってきたあなたに、目の前に立ち塞がられて、そのうえ急に掴み掛かられるように迫られたのよ?」
「そんな極端な捉え方しなくたって」
まるで俺が悪辣な暴漢であるかのような解釈だ。
ええい、日本語の短所は言葉の選び方次第で簡単に語弊を作れるところだな。
「私が1人でいるところを見計らって、わけの分からない話で言い寄ってまで太ももを見たがるなんて。井神君、これは学校や保護者に報告されてもおかしくない、とんでもない変態行為よ」
「ご、誤解だよ、俺は脚の状態を確かめたいだけで疚しい理由じゃ」
井神君、と彼女は見たこともない険のある表情で遮ると、
「これ以上この話を続けるか、私の脚がどうとかあらぬ噂を言いふらしたりしたら、太ももに異常なまでの執着心を持つ男子がスカートの中を見せろと迫ってきました、って担任と生徒指導の先生に言うわ」
射竦める視線で言った。
──それは、恐ろしい。
俺は下衆な態度や物言いはしていないつもりだが、人望厚い彼女が今言ったように誇張して教師に訴え出たとしたらどうだ?
俺は周囲から変態と言う汚名を着せられ、白い目で見られながら今後の学校生活を送ることになるだろう。
まさに人生の転落。
悲鳴をあげながら奈落の底に真っ逆さまに落ちていく、そんな定番のイメージ映像が頭に浮かぶ。
これは彼女からの「この件には一切触れるな」というアンタッチャブルの警告だ。
さっきわざわざ俺を投げ倒したのも、近寄れば痛い目を見るぞと分からせる為だろう。
だが逆に考えれば。
そうまでして遠ざけたいということは、やはり見間違えなどではないのだ。
俺は彼女の刺すような眼差しをあえて受け止め、立ち上がった。
「誰にも言いふらしたりしない。だから、誤魔化さずにその脚のことを俺に」
「話を聞いてなかった? その話題に触れるなら、話を続けたとみなすわよ」
力ずくで直に確認できない以上、見違えだという一歳の主張は揺るがせない。
ならば。
真実を告げ、話を突っぱねようとする彼女自身の興味を引き出す他ない。
「一歳さん、聞いてくれ。君に起きている異変は、怪異と呼ばれる危険なものなんだ」
「怪異……?」
「現実にはあり得ないような出来事や怪現象、早い話が超常現象のことだよ。それはそのまま放っておいたら絶対にダメだ。最悪、命を落とすはめになるかもしれない」




